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10  薄いカーテン越しに降り注ぐ陽差しが、気付けばもう、一切の陰りもない春の色だ。  寒さに震えることはなくなったとはいえ、それでもまだ、しっかりと被った布団から体を起き上げるのには気合いと勇気が要る。  そんな早朝だ。  押し開けた窓から見る街には、すでに幾筋かの煙が上がっていた。  この家屋からほど近い距離に建ち並ぶいろいろな工房では、早ければ夜明け前には、それぞれの炉に火を入れているものなのだ。  王都から遠く遠く離れた、とある地方の工業都市。  大通りを綺麗に整備された王都の街並みとは違い、雑多に家々がひしめきあうごちゃごちゃとした景色が広がるこの街は、それでも不思議に統一されて見えた。二十一世紀を生きた日本人としての自認が相変わらず消えない俺からすれば、ファンタジーアニメの世界に飛び込んだような風景だ。  そしてここが、俺のいまの生活拠点である。  家の名を持たないただの「リオン」としてこの地を踏んだ時、俺が何よりも始めに取り掛かったのは、仕事を求めることだった。  もはや盛大に指を差して笑ってくれていいんだが、俺は自由を得てもなお、紙芝居読みにはならなかった。……食うに困っても幸せだ、なんてことは、資産も地位も腐るほど持っている公爵家嫡男のリオンだから言えたことであって、実際に身一つで街に放り出されてみれば、食うに困る生活は、普通に困る。  俺はほどなく住み込みの下働きという仕事を得て、とある屋敷へと入った。そこでの序列に従い、いちばん下っ端の屋根裏部屋住まいからのスタートとなったのだ。  ところで、芸は身を助く……というのとは違うが、育ちの良さというものも、我が身を助ける。 『おまえさんはやたらと教養があるし、礼儀作法もびっくりするほどしっかり仕込まれてるね。これなら、貴族様相手の商売でも充分やっていけるんじゃないかい』  ある日、屋敷の主人にそう言われて、俺は街でいちばん大きな書店へと出向することが決まった。  結論を言えば、その書店がいまの俺の職場だ。 「物は試し」と(書店のオーナーは、本当に俺に向かってそう言った)数月間の試用期間を設けられたものの、一月も経つ頃には、俺は晴れて屋敷の使用人部屋を出ていた。……書店の裏にはオーナーのセカンドハウスが建っており、忙しい時や気の向いた時にだけ寝泊まりをするというその家に、俺も部屋を一つ貰ったからだ。  正式な書店員採用が決まると、オーナーから「姓を決めてほしい」と請われた。もちろん、捨ててきた家の名など持ち出すつもりはない。  だから、新しい名前を考えたんだ。  そんなわけで俺は、王都を出て一年半経ったいま、リオン・ローレオと名乗っている。  俺が王都を出たのは、ノエル王女殿下の誕生日当日だった。  なにもこんな日に出て行くことないのに、と見送りのオーギュストには嘆かれたが、いろいろなスケジュールを調整した結果、俺の王城騎士団の退団もちょうどこの日に重なってしまったのだから、仕方ない。  ずいぶん前に説明したとおり、第二隊はこの日一日、王女宮の警備に奔走する予定でいた。さらに誕生会の後は、賓客たちを招いた晩餐会まであるのである。とてもおまえの退団に係っている暇はない、というのが騎士(なかま)たちの本音だろう、と気を利かせた俺は、朝いちばんに退団処理を済ませ、もう二度と上がることのない王城の門を出たのだ。  シルヴァンの晴れ舞台をこの目で見てみたかった気持ちはあるが、まあ、去りゆく身で贅沢は言えない。  そうして足を運んだのは、王都のとある裁判所の前。そこでは、きちんと制服を着込んだオーギュストが待っていてくれた。  この日、俺たちは一つの裁判を見守る必要があったのだ。  つまり『ブノワ・ビゼーの沙汰』については、俺は普通に、裁判にかけた。そりゃそうだろう。他人の人生を裁く責任なんか負いたくないし、恨みを買うのもごめんだし、殺人はもっと嫌だ。  この世界ではまだ、裁判は公平なものとは言えない。リッシュ家なんぞが関わっていればなおさらだ。  仮にも侯爵家嫡男の彼にまっすぐ失墜されるのはどうか、と俺も俺なりに考え、人道に反しない範囲でブノワ寄りの採決をするよう、裁判官に提案する手筈も整えようとはしていた……のだが、当のブノワにそんな意思はまったくないようだったので、普通に公平に裁いていただく運びとなり、その結果ブノワには刑期が課されていた。  俺としては非常にすっきり、かつ心穏やかな決着だ。  とはいえ、こんな『沙汰』が父親にバレれば、俺はいよいよ彼の怒髪天を衝き、勘当は必須だった。  そんなこともあろうかと、と父親へ渡すための、俺の廃嫡に関する書類は、裁判の後、オーギュストの手に託している。父親がサインを入れればそのまま効力を発揮する、手間なし洩れなし完璧な廃嫡お手軽完了セットである。……俺に出来る最後の親孝行と言えば、もはやこんなことくらいなのだ。  辻馬車の乗り場まで俺を見送ってくれたオーギュストは、「僕は、それでも父様の守っているものを尊重したいって思うんだよ」と話してくれた。 『父様には悪いけど……これまでは見逃されてきた悪事も、これからはどんどん表沙汰にされて裁かれていく、って僕も思うんだ。現に、シルヴァン殿下はいま、そういった暗部にも切り込まれていこうとしているって噂だよね』 『シルヴァンが? ……そんな噂があるのか』 『うん。ほら僕、兄様に呼ばれて、何度か王女宮まで通ったでしょう』  オーギュストは俺を見下ろして、どこか大人びた表情で笑う。 『その時、知り合いになった騎士様がいるんだ。僕がリッシュ家の次男だと知っていて声を掛けてくれた方で、この前の夜会でもお世話になったんだよ。すごく顔も広くて、博識な方なんだけど、「シルヴァン殿下はきっとこれから、王城内のルールを大きく塗り替えられていくことだろう」って話をしてくれた』  いつだったか、シルヴァンは俺に「船に乗りたかった、世界を知りたかった」と話してくれた。そんな彼へ向けて、俺は無責任にも言ったんだ。 (シルヴァンなら、王城を変えられる)  きっと、いまからだって遅くない、なんて。  俺なんかの言葉が、彼の心に影響を与えたんだとは思わない。それこそ大きな組織の変革なんて、昨日今日の思い付きで進められるものじゃないもんな。  でも、「俺は見る目があるな」と自惚れることくらいは、許されてもいいんじゃないか? 『父様も、もしかしたら処罰を受けるのかもね。だけど――だからこそ、僕はあの人が守ってきたものは引き継ぎたいんだよ。父様は、その人生を賭してこの国を守り続けているんだって……僕はね、そう思うから』  弟の言葉を聞いて、俺はマジで当主に向いてないな、と実感したものだ。  俺というやつは主観ばかりで、大局をまったく見られない。  ……父親が何かを守っているだなんて、そんなふうに考えたことなど、ついぞなかった。  でも、確かに、そうだ。 (家族よりも法よりも、自分自身の人生よりも) (この王国を)  デュラフォア王国が長く平和で、ゆったりと繁栄し続けているのは、国の真ん中にそれを支える人たちがいるからだ。彼らはうっかり腐り切ってはいるものの、最後の最後で、ぎり「王国のため」という矜持だけは捨てていない。  俺の代わりに公爵家を継ぐオーギュストがそう信じるのなら、俺もそれを信じたい、と思った。  だから、親父。オーギュストの思いを裏切らずにいてくれよ。……悪役なら悪役らしく、潔く散るべきなんだ。 (俺は) (この国を、見て回るのもいいかもな)  どうせもう、王都には戻らない。だったらいっそ、遠い遠い街へ行き、その地に営まれている生活を通して、王城とはなんたるかを考えてみたいと思った。  離れるからこそ見えてくるものも、きっとある。  雑多な人たちで賑わう辻馬車の中、そんなふうに思った。そしてその途端、フレデリクの放浪の意味がわかった気がしたのだ。そうか。そういうことか。  俺は一人で笑った。  うちの弟たちは、なんて優秀なんだろう。  あの二人に任せておけば、リッシュ家の将来も、ついでにたぶん王国の未来も、安泰だ。

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