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「おまえが……破天荒な人間だということは、俺は充分、知っているつもりだったが」
「ん」
破天荒?
「だが、自分自身にまつわるすべてのものを壊して消えるなど、俺には予想もつかない……。どうして、そうなったんだ」
どうして、と問われて返せる俺の答えは、一つしかない。
俺は両方の手でシルヴァンの頭の丸みを辿って、彼の頬を包む。
「シルヴァンが好きだっていう自分に、嘘を吐けない」
いつかの練習室。
シルヴァンに抱き締められたい、と思ってしまったから、俺はアデラの手を離すことを決めた。
父親が定めた婚約者と別れる、ということは、公爵家嫡男の責務を放棄することと同じだ。……だから俺は、リッシュ家から出ようと思った。課される責任を果たす気もないのに、権力だけ手にしようだなんて道理が通らない。
それを教えてくれたのも、シルヴァンなんだ。
『高い地位には、相応の責任が伴うものだ』
俺は、自分の人生にどれだけの責任を負えるだろう。
少なくとも、高い地位なんかは要らない。遡ればいつぞやの王女が降嫁しているらしい血筋にも、そこに俺のための椅子が用意されている国政にも、まったく興味がない。
(俺は)
ただ、シルヴァンを好きでいたい。
――だからこそ、彼の傍には居られないんだ。
『偶然、恋する相手と会い、秘密の愛を育むのだって、ここでは許される』
俺がシルヴァンの手を取ると決めれば、俺たちの関係は『秘密の愛』になってゆく。
もちろん、当たり前みたいにそう言ったシルヴァンを責めたいわけじゃない。互いの立場を考えたら、仕方のないことだった。俺だって、シルヴァンとの友人関係が公になるのかどうかについて、あれほどビビり散らかしたんだぞ。
それが恋愛関係ともなれば――社交界がどんな目を向けてくるのかなんて、容易に想像がつく。
俺たちがお互いを、そして何よりも二人の関係を守ろうと思えば、大々的に公表する、という選択は出来ないんだ。
『カナリアは、鴉の保護下にある』
例えば、公爵家嫡男の立場を捨てた俺でも、あるいはシルヴァンは囲ってくれるのかもしれない、という気はしていた。多少外聞は悪くなるだろうが、私邸に愛人を置いている王族なんて珍しくもないんだ。
かつての婚約者に逃げられたことをあっさり話すシルヴァンなら、自分自身の醜聞を恐れはしないだろう。
『おまえに接触してきたら報せろと、要注意人物のリストを託している』
実際、エリクを監視の目とすることで、彼は俺を護ろうとしてくれていた。そんなふうに、外堀を埋める準備は進んでいたはずなんだ。
俺との関係を巧妙に隠しながら、俺とともに生きてゆく道。シルヴァンはそれを、たぶん築こうとしてくれてたんだろうと思う。
そういう気持ちを、嬉しいと感じないわけでもない。……いや、いまわりと盛大に嘘を吐いたな。ごめん。
(邪魔なんだ)
そりゃ、わかるよ。
真っ正直にぜんぶ晒していたら、守れるものも守れない。壁や扉は、家屋には必要だ。
だけどそれは、俺の手には余る。分不相応に大きなものは、背負えない。それでもどうにか背負おうと――その『家』に住まうための責任を果たそうとすれば、俺はまた、父親の操り人形だった頃の自分へと戻ってゆくんだ。
シルヴァンと父親は、そりゃ違う。
違うんだが、だがな、父親が後継者たる俺へと差し向けていたのは、彼なりの『愛情』だ。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」みたいなもんで、彼自身が生きる王城の厳しさを、そこで生き抜いていけるだけの力を、俺に教えようとしていたんだ。
もしも俺が、父親の想定したとおりに「自分以外を全員踏みつけてから宰相の座に就きたい傲慢な野心家」であったなら、俺たち親子はもうちょっと温厚な関係を築けていただろう。……その場合はまあ、まごうことなき悪役親子に成り果てていたはずだが。
俺は、シルヴァンには愛されたい。
だから、なんにだって耐えてみせるよ。……シルヴァンに愛されていれば、シルヴァンへの愛があれば、俺は俺自身を殺してだって生きていけるんだ。
そんなふうには、残念ながら少しも思えなかった。無理なもんは無理だ。
その選択は例えば、俺の中にいまだ消えない死んだ風船を片付けて、代わりに薔薇でも育て始めるみたいなものだろう。――キンキラの額縁か、似合いもしない豪華な薔薇か。どっちを選んでも、それは俺のかたちをしていない。
ちっちゃな宝箱でいいんだ。
俺の手で、確実に守れるものさえ、あればいいんだ。
シルヴァンが好きだ。
この気持ちだけは、シルヴァン本人にだって奪い取ることが出来ない。あの夜に彼がくれた雪は、俺の中からは決して消えない。
好きだ。
好きなんだ。
「ほんとに……大切だから、嘘を、吐けない。吐きたくない。絶対に」
「わかった」
なにひとつ上手く説明出来たはずもないのに、シルヴァンはどこかほっとしたような笑顔を見せた。
俺はそれを見つめながら、瞬きを繰り返す。
わかった、とは一体……。
「おまえは賢いカナリアに見えて、少しもそうじゃない。いくらここが安全だと説いても、鳥かごには入らない。無理に入れようものなら、こんなものは邪魔だとすべて壊して、空へ飛び立ってゆく。恐ろしい鳥だな」
「――」
だいぶ物騒な言われ方だが、というか若干、不名誉な断言をされているんだが、それも含めて、シルヴァンの言葉はちゃんと俺を言い当てている。え。そんなことって、あるのか。
彼の火照った頬へと添えている、自分の両手が、じわと震えた。
「リオン。おまえは確かに、王城では生きてはいけない。愚直なほどまっすぐに、己をまっとうしようとするからだ。権威という剣も、責務という盾も必要としない。生まれ持った羽根の一つだけで、空を渡ろうとするんだ。……そのために生身の自分が傷付いても、おまえはまったくお構いなしだろう?」
危なっかしいな、と彼は笑う。どこか仕方なさそうに綻ぶそれは、こちらの網膜に染み込むみたいな優しい表情をしていた。
「だからこそ、俺はおまえに強く惹かれてやまないんだ。……リオン」
おまえが一人で泣いている姿を思うだけで、矢も楯もたまらない心地になる、とシルヴァンは続けた。そんな途方もなくあたたかい言葉を紡ぐ彼の方が、いっそ泣き出しかねない表情をする。
――こんな人が、いるんだ。
まるでもう一度、シルヴァンと新しく出会うみたいだな、と俺は思う。心臓がどきどきと跳ねていて、胸が苦しい。
もしかして俺は、彼に愛されてもいいんだろうか。
いや、いま正に体を繋げている状態で暢気に言うことでもないが、それは確かにそうなんだが、つまり。
シルヴァン、と俺は呼び掛ける。漆黒の髪が変わらずにぺたんと乗っている俺の胸は、なんだか嘘みたいにあたたかい。まるで、シルヴァンの心から熱を分け与えてもらっているみたいだ。
この気持ちを、どう言えばいいいんだろう。
「――俺、は……シルヴァンから貰うなら、家よりも温もりがいい」
家? とわずかに目を丸めたシルヴァンは、だけど俺の言葉はまだ止まりそうもない、とすぐに悟ったらしい。特に問い掛けを差し挟むこともなく、ただまっすぐに緑瞳の光を向けていてくれる。
俺は続けた。
最後の一手で盤上の黒い駒がすべて白へと塗り替えられてゆくように、俺の奥底を占めた暗黒歴史が真っ白な羽ばたきへと変わってゆく。
「素直な言葉がいい。あったかい胸がいい。いっしょに話す時間がいい。……俺のためになにかくれるんなら、シルヴァンの人生を、くれよ」
「リオン」
「俺は、シルヴァンといっしょに生きて行きたいんだよ……っ」
逃げ出したくせにな。
自分でもそう思うのに、どうしようもなく、これが本心だった。
「リオン。俺は」
シルヴァンは両腕を俺の腰後ろへと回して、まるで独占するように、それを抱く。
「おまえが「自分の中の消えない痛みといっしょに生きてゆく」と話すのを聞いて、俺を選ばせたいと思ったんだ。――俺といっしょに生きて行けばいいと、強くそう思った」
言いながら、シルヴァンはゆっくりと上体を起き上げた。
「んぁっ……」
その途端、結合部分がぐりっとよじれて、俺の喉を喘ぎ声が衝く。同じに身体がびくんと跳ね、シルヴァンの頬から両手が滑り落ちた。敏感に震える二つの手は彼の肩に引っ掛かって、俺はそれを頼りに、シルヴァンの太い首へと縋り付く。
シルヴァンは低く顔を伏せてきて、俺とキスをした。
「……ん、ん」
「そのための場所をおまえに与えるつもりだったんだが、……俺の思い上がりだったな。王城や王都では、おまえの空とするにはあまりにも狭すぎる」
「ふぁ、んっ……」
「俺にとってのリオンは、広い空の下で、よくわからない呪文を呟きながら、気ままに歩いている変な男だ。俺は何度でも、おまえに会いに行く。おまえの空が続く場所へと、どこへでも行くんだ」
(うん)
俺はいま、まるで同じ空を渡る仲間を見つけた気分だった。
シルヴァンはきっとすぐに王城へと戻るだろう。だけど、それは俺たちの別れにはならない。俺はもう、ちっぽけな宝箱も必要ない。
ようやく出会えたこの温もりを置き去りにすることなんて、お互いに、絶対にないんだ。
「シルヴァン、……っ」
自分よりはるかに大きな鳥の羽毛に埋もれて、らしくなく甘えている。そんなのどかな光景を想像してみたはずが、それはすぐに、ぐわんぐわんと揺れ狂う海に取って変わった。
「あ、あ、」
シルヴァンの嵐みたいな情欲が、俺の体を食い尽くそうとする。ぶつけられる熱情の激しさに、俺の身体は深くわななく。
「や、あっあっ、あああ……っ」
「もし、俺がこうして追わなければ……おまえは、あの夜を最後にするつもりだったんだな」
熱に浮かされたような声音で、シルヴァンが呟く。どろどろに熱した蜜を俺の肌に垂らすようなそれは、彼の恨み言だ。……肌の上から脊髄の奥にまで染み込んで来るくらい、強烈な甘さの。
「あれが最後の夜になると知っていたら、俺はおまえをひどく傷付けてでも、抱いたんだ。そんなことを……今日までずっと、考えた。リオン」
「うん」
「リオン」
リオン、リオン、と何度も呼ばれて、俺の目には涙が滲んだ。涙の意味は、もうまったく違う。
俺の中にはシルヴァンへの想いが溢れていて、たっぷりまで満ちたそれが、ゆらりゆらりと危うく揺れる。溺れそうだった。
シルヴァンの尽きぬ律動に手ひどく追い上げられながら、俺は彼の頭を掻き抱く。
限界は、すぐに訪れた。
白く白く、爆発する。
俺を求めるシルヴァンの欲動に押し上げられ、壊されて、バラバラになりたい。――きっと、もう二度と再生しなくたって、いいから。
「あっあ、あー……ッ」
長く、長く震える嬌声を放ちながら、俺は達する。
同じに、体の奥深く、ほかの誰も知らない場所に、シルヴァンの熱を感じた。びく、びく、と腰を震わせる彼を、俺は全身の力を振り絞ってでも、ぎゅうと抱き締める。
この人を離したくなかった。……離す必要も、もう、なかった。
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