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No.3「触れていないと」

【9月20日日曜日】 昨晩は、いつも自分が寝ている畳の部屋に布団を敷き、そこにフミオを寝かせた。 俺はと言えば、扉一枚を挟んだ診療所の硬い簡易ベッドで、タオルケットをかぶり一人で眠った。 「えー、なんで。一緒に寝ればいいじゃん、タクミ」 フミオは甘えたことを口にしていたが、余程眠かったのだろう。 ゴネながらもスースーと寝息を立て、気持ちよさそうに寝入ってしまった。 一緒に寝なかった理由を並べれば、いくつも言える。 「布団が狭い」 「コックリさんと眠るなんて恐ろしい」 「誰かと寝るなんてずっとしてないから、眠れなさそう」 でも本当は、変に意識してしまっただけ。 中身が怪奇な存在だろうとなんだろうと、15年前に死んでしまった愛おしい恋人の姿形をしているのだ。 平常心でいられるわけがない。 イヤらしいことをしたいとかそういう意味とは、もちろん違う。 もしも夜中に目が覚めて、隣に眠るフミオの、あの頃と同じ寝顔がすぐ近くにあったら、寝ぼけた俺はどうするだろう? パニックを起こし、大声で叫んでしまうかもしれない。 フミオが搬送されて来た日のことを思い出し、声を上げて泣いてしまう可能性だってある。 しかし、そうはならなかった。 明け方。 フミオがもぞもぞと狭い簡易ベッドに潜り込んできた。 そのときのことは、夢うつつに覚えている。 寝ぼけていた俺は、ごく自然に彼を受け入れたようだ。 目覚まし時計が鳴ったとき、背の高い俺より10センチほど小柄な彼を、胸元に抱き込んで眠っていた。 寝返りが打てないほど狭い簡易ベッドでも、タオルケットの中は温かさで満たされていて、いつもより熟睡できたようにすら思える。 「おはよう、タクミ」 腕の中にフミオの顔があり、上目遣いで俺を見つめてくる。 少しクルクルとした柔らかい髪すらも、過去によく撫でていたそれと同じだった。 「おはよう、フ、フミオ」 慌てて腕を解こうとしたが、狭いベッドは身動きが取れない。 すると俺より先にフミオが上半身を起こし、大きく伸びをする。 「ねぇ、朝ご飯はなあに?僕、食パンをトーストして、ジャムをたっぷり塗って食べてみたいな」 ほらやっぱり、この男はフミオではないのだ。 俺たちは一緒に暮らしていたけれど、家にはガムシロップも、ジャムも置いていなかったのだから。 こんな非科学的な存在を、どうして俺は拒絶しないでいるのだろう……。 (満月の晩までここにいると言っていたフミオ。俺はこのままそれを受け入れるつもりなのか?) そう考えながら二人でベッドを降り、顔を洗うためのフェイスタオルを彼に渡してしまう自分が、ちぐはぐだった。 — トーストにマーガリンを塗り、甘さのないヨーグルトをガラスの器に盛り、患者さんにもらった梨を剥いてやる。 特に梨を気に入り「甘くて冷たくてみずみずしい!」と喜んだ。 コーヒーも淹れてやったが、フミオは「苦い」と文句を言って、一口で飲むのをやめてしまった。 どうやらコックリさんも人間と同じように眠り、食事を摂り、トイレにだって行くようだと分かった。 ただ少し違うのは、朝食後にまた眠ってしまったことだ。 「あーお腹いっぱい」と言って畳の上にゴロンと横になり、スースーと眠り始める。 医者目線で見ても、具合が悪いわけではなさそうなので、タオルケットを掛けてやった。 定時になって、診療所の前に掛けてある板をひっくり返し「診療中」にする。 すぐに患者は来なかったが、しばらくして上野さんという中年男性が「腰が痛い」と湿布薬をもらいにやってきた。 「先生、カボチャを持ってきたから食べてよ」 元はIT関係の会社を経営していたという彼は、重そうな袋にいくつもカボチャを入れて持ってきてくれたようだ。 「上野さん、腰が痛いのに運んできてくれたんですか?ありがとうございます」 彼はこの診療所の常連だから、慣れた様子で「ここに置いておくよ」と畳の部屋に続く扉を開け、ドスンとカボチャを置いた。 一拍遅れて、俺は慌てる。 だって、そこにはフミオの形をしたコックリさんが眠っているのだから。 (しまった!俺が怪奇なものを匿ってるとでも噂になったら厄介だ) しかし、上野さんはその姿を見ても何も触れてこない。 いつもの彼なら「先生のお客さん?紹介してよ」などと言ってきそうなのに。 「じゃ、先生。湿布ありがとう。また来るよ」 ただそう言って去っていった。 — 昼間は思いのほか気温が上がり暑くなったので、素麺を茹でた。 一人ならそれで済ませたが、フミオがいると思い、もらったカボチャも煮てやる。 いつもより味醂を少し多く入れ甘めの味付けにすると、彼は「とっても美味しい」とおかわりまでした。 「ねぇねぇ、タクミ。また美味しい食べ物作ってくれる?」 フミオは白衣を着た俺の腕を掴み、食後にそんなことをねだってくる。 この男は、本当に甘え上手だ。 「こんにちは、先生」 そんなタイミングで来客があった。 管理事務所の吉田さんだ。 「あら先生、お客さん?こんにちは。私は管理棟で働く吉田です。先生がこの村に来てくださって、皆心強く思っているんですよ」 「こんにちは。僕はフミオです。吉田さん、よろしくね!」 「はい、よろしく。そうだ先生。移動販売車が来たから声を掛けに来たの。フミオくんと管理棟前の広場へいらして」 吉田さんが診療所から出て行くまで、フミオは俺の腕に掴まったままだったが、変に思われなかっただろうか。 いやそれよりも、さっき上野さんがフミオに気付かなかったから、俺以外には見えていないのかと思った。 どうやらそういう訳ではないようだ。 「タクミ!お買い物行こう。ガムシロップとジャムと、コーヒーに入れる砂糖とミルクも買って!」 はしゃいだフミオは俺と手を繋ぎ、外へ出ようとする。 「なんだこれは?手なんて繋がないぞ」 (25歳同士だったあの頃。夜中の犬の散歩中に人目のないところで手を繋いだりもしたけれど、今は15歳差だ。ありえないだろ) 「ううん、繋がないとダメなの。腕を組んでもいいけど、とにかくタクミに触れていないと、タクミ以外の人に僕の姿は見えないからね!さぁ、行こう!」 「は?俺にはずっと見えてるぞ」 「そりゃそうだよ。タクミは呼んでくれた人だもん」 俺はこのフミオが、やはり科学的にありえない存在なのだと改めて認識し、彼に気付かれないよう深い溜め息を吐いた。 自分の手が、彼の手よりも随分と年を取っているように見えたから尚更だった。

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