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No.5「ジャムの味とキツネの耳」
怪奇と同居するおかしな日々が続いていても、日常生活は回っている。
今日は燃えるゴミの日だと、俺は部屋の中のゴミをまとめていた。
ローテーブルの上には、200ピースのジグソーパズルと、三日前にコックリさんをしたときの鳥居を書いたコピー用紙が、そのまま放置してある。
俺は深く考えもせず、その紙を掴みゴミ袋に突っ込もうとした。
「タクミー!ダメ、ダメだよ!僕、その紙が無くなったら、帰れなくなっちゃうよ」
「え?あっ、そうか。そうだな。悪かったごめん」
(コックリさんが帰れなくなるなんて、大変なことになるところだった……)
俺は診療所の引き出しからクリアファイルを取ってきて、その少し焦げた紙を挟んだ。
そしてうっかり捨てて帰路を断ってしまわぬよう、本棚へと立て掛けた。
—
夕食後、フミオが「散歩に行きたい」と言うから、虫の音を聞きながら、川沿いをぶらぶらと歩くことにした。
初秋の夜風は涼しくて気持ちがいい。
そう思うのは俺たちだけではないようで、管理棟の近くで宮川さんご夫妻とすれ違った。
「タクミ先生、こんばんは。一人でお散歩なんて珍しいですね。フミオくんはお留守番?」
「まぁ、そんなところです」
手を繋いでいなかったから、彼らにはフミオが見えていない。
これでは、ブツブツと独り言を言う、おかしな男だと思われかねないではないか。
フミオは困惑気味の俺の顔を見て、クスクスと笑いだしそうだ。
俺は仕方なく、宮川夫妻が通り過ぎ周りに人の気配がないのを確認してから、「ほら」と右手を差し出す。
するとフミオは、うれしそうに「やったー」と笑い、手を繋いできた。
この村は、星空が綺麗に見える。
足を止めて夜空を見上げれば、フミオが現れた日には半月だった月が、少し満ちているのが分かった。
満月まであと六日。
そしたら、フミオはどこか遠いところへ、帰ってしまうのだ。
「フミオはさ、本物のフミオのこと何か知ってるのか?」
気になっていたことを問う。
「ううん。全然知らないよ。タクミが強くこの名前を呼びたがっていることと、強くこの姿を見たがってることしか僕は知らない」
それはとても腑に落ちる答えだった。
このものと、俺が愛したフミオとは、見た目が同じなだけで何の関係もないということだ。
(つまりこれが、俺が自分の中に住まわせているフミオの姿形なのだろう)
「ウー、ワンッ、ワンッ」
前方から飼い主を引っ張るように駆けてきた灰色の犬が、突然フミオに向かって吠え始める。
さすが犬は、このものが怪奇な存在だと分かるのだろう。
吠えられたフミオは、犬が怖いらしく怯えていた。
「す、すみません。ほら、吠えちゃダメだろ」
「スバルくん、こんばんは。大丈夫だから気にしないで」
そう伝えたが、フミオは全然大丈夫ではないようで、俺にベッタリとくっつき犬に向かって、シッシッと手で追い払うような仕草をしている。
この犬の飼い主のスバルくんは、この村で一番若い17歳。
上野さんの甥っ子で、三ヶ月前から高校で思うことがあり不登校になったらしい。
「だったらこのデジタルデトックス村でゆっくりすればいい」と、今は上野さんが面倒を見ているという。
「スバルくん。またね」
彼はベタベタとくっついている俺たちを見て、少し恥ずかしそうにはにかんだ。
俺はそれに気付かないフリをして、手を振って彼と灰色の犬を見送った。
【9月22日火曜日】
「ねぇ、本物のフミオってどんな人だったの?」
朝食のブルーベリージャムをたっぷりと塗ったトーストを頬張りながら、フミオが訊いてくる。
俺は、何から話したらいいか分からなかったが、思いつくままにポツポツと喋り出す。
こんな風に、フミオのことを誰かに話すのは初めてかもしれない。
「フミオとは大学のとき、塾講師のバイトで知り合った。格好いいと言うより、可愛い雰囲気を纏っているのに、妙に男らしい奴で『今日から僕たち付き合おうよ』って突然告白された」
「へー」
自分から訊いたくせにフミオは興味が薄いのか、ヨーグルトにもブルーベリージャムを入れ、熱心にかき混ぜている。
「ある日フミオが、子犬を友達から貰ったんだ。チョコレート色の小型犬で、一緒に育てたいって連れてきて。だからペットが可だった俺のマンションで一緒に住むようになった。楽しかったなぁ。二人で散歩に連れていったりして、世話をして」
「僕は犬は嫌い。その犬、今はどうしてるの?」
「フミオと一緒に川で溺れて死んじゃった」
「ふーん。……あのさ、タクミはキスってしたことある?」
「え?」
突然の質問だった。
「ねぇ、キスってどんな感じ?僕もしてみたい」
そう言ってフミオはスプーンを置いて身を乗り出し、不意打ちでチュッと唇を合わせてきた。
15年ぶりのキスに驚き、一瞬、息が止まる。
ただ、フミオの唇の感触は覚えているそれと、全く同じだった。
甘い甘いブルーベリージャムの味がしたことを除いては……。
と、そのとき。
フミオの頭からポワンとキツネの耳が生えてきた。
呆気に取られていると、ふさふさと揺れる太い尻尾も目にはいる。
「あー、もう。恥ずかしいと制御できなくて、出てきちゃうの。お願い、見ないで」
フミオは、両手で俺の目を隠し、視覚を奪おうとする。
耳と尻尾が生えたフミオはあまりにも可愛らしく、俺は「よく見せてよ」とその手をどかし、腕を伸ばす。
ずっと撫でていたいくらい、モフモフした触り心地だ。
「やめて、見なかったことにしてー」
(これはこれで、可愛い)
こんな風に誰かとじゃれ合うのも15年ぶりだと、とても懐かしい気持ちになった。
急にキスの話題を持ち出したフミオは、もしかすると俺の顔色を見て、明るい話題に切り替えようとしてくれたのかもしれない。
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