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No.8「ゆだねられた未来」

【9月24日木曜日】 午後の診療時間中に「無事に退院できました」とスバルくんが報告に来てくれた。 彼は片手に、電波の繋がらないスマホを持っていて、それを操作しながら明るい表情を見せる。 昨日溺れてぐったりしていた子とは思えず、若さを感じた。 「退院するとき、母親がスマホを届けてくれて。電源を入れてみたら、すごくたくさんのメッセージが溜まっていたんです。サッカー部のチームメイトからも、同じクラスの人たちからも。僕に告白してくれた彼からは、毎日毎日、その日にあったことが日記みたいに送られてきていて」 届いたメッセージに添付されていたサッカー部の写真を、俺とフミオに見せてくれる。 「学校行かずにこの電波のない村にいた間も、スバルくんは、みんなと繋がってたんだね」 フミオの言葉にスバルくんが大きく頷く。 「そうだったみたいです」 (スマホネイティブな彼にとっては、少しの間、デジタルデトックス村で生活してみたからこそ、繋がりの意味を感じられたのかもしれない) 「じゃ、スバルくんにはコックリさんは必要ないね」 「え?コックリさん?」 確かに彼の世代の子たちが、コックリさんを呼び出して遊ぶなんてことはしないだろう。 困った顔をしているスバルくんに笑いかけながら、俺は話をまとめる。 「高校へ戻ることにしたのか?」 「はい、今日の夕方には荷物をまとめて自宅に帰ります」 霧が晴れたような顔を見れば、それ以上何かを問う必要はなく、俺とフミオは繋いでいないほうの手を振って、彼を見送った。 — 午後の昼寝から目覚めたフミオが、ボーッとしたまま畳の上に座っている。 彼の目線の先を追うと、本棚に立て掛けてあるクリアファイルを見ていた。 10円玉の焦げ跡がつき、端が泥で汚れてしまったA4のコピー用紙。 フミオにとって、コックリさんの世界へ帰るためのパスポートのような大切なものなのだろう。 「起きたか、フミオ。梨を剥いてやるから一緒に食べよう」 彼はコクリと頷いて立ち上がり、羽織っていたタオルケットを畳み始める。 フミオは今朝から、何か俺に言おうとしては躊躇っていた。 俺としても、何を言われるのか少しドキドキしてしまい、無意識に彼に口を開かせる隙を作らせないよう、振る舞っていたかもしれない。 シャクシャクと冷たくて甘い梨を頬張りながら、フミオは「あのね」と話を始める。 「実はね。もしも、もしもだよ。もしもタクミが望んでくれたら、僕はこの世界に残ることができるんだ。そもそも僕は自分の世界に帰るつもりだったから、その話を伝えていなかったんだけど……」 「けど?」 「今はね、ここにいたいと思ってるよ。山の葉っぱに色がついて落ちて、段々と寒くなって雪がチラついて、新しい芽が吹いて花が咲いて、暑い中ミンミンと蝉が鳴いて。そしたらまた来年も彼岸花が咲くんだ。その間、タクミとずっと一緒にいたい……」 それは楽しげに「移動販売車に行きたい」とねだる発言とは、違う種類のものだと分かる。 コックリさんとしても、この村に留まることは大きな大きな決意がいるものなのではないだろうか。 「だからね、タクミ。満月の日までによく考えておいてほしい」 その発言に俺は、やっぱりこれは本物のフミオではない、と感じる。 フミオだったら、もっと強引に「ここにいたい。タクミもそれを望んで。ずっと一緒にいよう」と言い切っただろう。 偽物のフミオのように、こんな大切な決断を俺にゆだねてはこなかった。 (フミオは、俺がノーと言ったら、おとなしくコックリさんの世界へ帰るつもりなのだろうか……。イエスと言ったら、俺は怪異とずっと暮らすことになる。明々後日までにそれを決めなければならないなんて……) そもそも、数日前だったら、迷いもせずノーと言えただろう。 俺がこのデジタルデトックス村で年を重ね、その隣にフミオがいてくれたら、たとえそれが偽物でも夢のようで、幸せに決まっている。 ただ、五年後を想像しても、隣にいるのは25歳の姿のままのフミオなのが恐ろしい……。 フミオは大切なことを俺に伝え終えスッキリしたようで、「梨、すごく美味しいね」と可愛らしく微笑んだ。 【9月25日金曜日】 昼時、吉田さんが診療所にやってくる。 「先生、今夜はお月見ですよ。管理棟広場で夜に皆が集まりますから、フミオくんといらしてくださいな」 お月見という言葉にドキリとする。 「え?吉田さん、満月は明後日では?」 「やだ、先生。中秋の名月っていうのは満月とは限らないんですよ。でも、満月に近い綺麗な月のはずですから、夜空を見上げながらお団子を食べましょう」 もちろんフミオが行きたがったので、夕食後に二人で手を繋いで広場へ行った。 村の人がたくさん集まっていて、振る舞われた団子や月見酒を味わっている。 上野さんの姿もあったが、スバルくんと灰色の犬はもう村にはいないようだ。 夜空を見上げると、確かに真ん丸ではないが大きな月が浮かんでいた。 (フミオが現れた日には半月だったのに、もうこんなに満ちていたのか……) 「さぁ、先生もフミオくんも、日本酒はいかが」 皆が親切に勧めてくれるが、本物のフミオは酒が入ると泣き上戸になって面倒くさかったから、偽物にも飲ませたくはなかった。 それに、うっかりモフモフした耳や尻尾が出てしまったら大事だ。 「僕、お酒よりお団子がいい」 心配するまでもなくフミオはそう答え、皿に盛ってもらった団子を「美味しい!」と頬張っている。 こうしている間も、俺たちはしっかりと手を繋いでいて、どう考えてもおかしいが、誰も指摘はしてこない。 もし満月の夜、俺がフミオに「帰るな」と言ったら、こんなおかしな生活が続くわけだ。 ただ、団子を頬張り村の人たちと会話を楽しむフミオは、とても楽しそうで可愛らしい。 「月が暈をかぶってるから、明日は雨が降るかもな」 誰かがそう呟いていたけれど、俺は月よりもフミオの横顔を見てしまった。

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