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第一章 五話

side:渡辺翔馬 僕が生徒会に入ったという噂は、案の定、次の日にはもうクラス中に知れ渡っていた。 「ちょっと、ちょっと」 教室に入るなり、叶に目立つからと手招きされ、廊下へ引っ張り出される。 忠告された手前、少し気まずくて苦い顔をしていると、叶は憑き物を落とす勢いで僕の背中を叩いた。 「入学したばっかで出世しすぎだろ! てか言えよ!」  パァンッ!と景気のいい音と共に、衝撃で噎せる。 「けほっ、ご、ごめん…」 「それにしても、おめでとう。で、誰の推薦?」 きらきらした目で覗き込まれた。叶は僕が生徒会の誰に気に入られたのか気になるらしい。 「えっと……」 「この時期だから推薦以外ありえないじゃん」 「そ、そうなんだけど」 僕の歯切れの悪さに、叶がぴたりと表情を止めた。 「え、まさか、副会ちょ――」 「おはよう、俺の話?」 ひょこ、と小さな顔が僕と叶の間に割り込んできた。 吉田先輩だ。 叶の顔が凍りつく。僕も僕で、心臓が止まりそうになった。 副会長は、固まる僕らの様子には目もくれず、いつもの調子でべたべたと肩を組んでくる。 「早速いろいろめんどくさい手続きあるからさ。放課後、生徒会室よろしくね」  叶の視線が僕と吉田先輩の間をせわしなく往復し、やがて吸い寄せられるように、副会長の顔をガン見していた。  分かるぞ、叶。僕も最初はそうだった。  美人は三日で慣れると言うけど、そんなわけない。現に僕は中学の時、学年で一番かわいい子とずっと同じクラスだったけど、結局卒業まで一回も目が合わせられなかった。今も吉田先輩に至近距離で覗き込まれると、少しドキッとするし。 「ていうか、誰? 友達? 翔ちゃん友達なんていたの?」  どう返せば正解なんだろう。  友達かと面と向かって聞かれて、はいそうです、と胸を張れるほど、まだ僕は自分に自信がもてない。    僕が何も返さなくても、吉田先輩は勝手にジロジロと叶を覗き込んだ。冷や汗をかく叶は可哀想なくらい顔が引きつっていた。 「ふーん、かっこいいじゃん」  直球で褒められて、叶の頬が一気に赤くなる。      叶は吉田先輩の闇を知っているみたいだったから、簡単にこの距離の近さにコロッといったりはしないと思うけど。 「あはは、全然釣り合ってなくてウケる」 ──ほらきた。 いつものノンデリ発言に僕は天を仰ぎ、叶の表情は再び硬直した。絶対に相容れない二人だと思う。叶と副会長は同じ“陽属性”でも、その性質はぽかぽか太陽とネオン街くらい違う。ようするに、住む世界が違う。  この二人をこれ以上引き合わせたくなくて、肩に顎を乗せてくる先輩を引きはがし、くるりと向きを変えて背中を押した。 「分かりました。放課後行きますから。目立つので帰ってください」  教室の窓越しにクラス中の視線が刺さる今、これ以上変なことを言わないでほしい。 「言うようになったねー。生徒会になったからって調子乗っちゃだめだよ? 友達できなくなっちゃうからねー」 「ちょ、ほんとに、うるさい……」   先輩は僕が困るのを面白がるみたいに、嫌みを言って子供みたいに笑った。本当に意地悪なんだこの人は。 僕が先輩を押し返したあと、叶はもうさっきの祝福ムードではなくなっていた。 「翔ちゃん、ほんとに大丈夫?」 「……自信なくなってきた」  それから叶に生徒会のことを根掘り葉掘り聞かれたけど、どこまで話していいのか分からなくて、結局生徒会になるメリットだけを答えた。個々人の人柄については伏せる。余計な心配の種は増やしたくないからだ。  廊下の端から、教室の中から、遠巻きの視線がまだこちらを向いている。ああ、なんか、どんどん居心地悪くなっていくな、と、じわじわと足場が沈んでいく感覚を抱えたまま、僕は叶の背を追って教室に戻った。 ✴  あの後も、さんざん「考え直したほうがいい」と叶に引き止められたけど、僕は結局、その苦言を受け流し、吉田先輩に言われるがまま、まんまと生徒会室へ来てしまった。  きっと叶は、僕がなにか吉田先輩に丸め込まれていると思っている。しかし、それはあながち間違いでもない。でも、生徒会に入る本当の理由を説明するのは、さすがに気が引けてしまう。  叶の心配を無下にしているような、うっすらとした罪悪感を抱えたまま扉を開ける。すると、生徒会室にはすでに柴崎先輩と涼先輩が来ていた。そして、元凶とも恩人とも言える張本人は、ソファですやすやと眠っていた。 「あ、渡辺君、来たんだ」  僕は軽く挨拶して、少し迷ってから、寝ている吉田先輩の隣に腰を下ろした。空いているのがそこしかなかったからだ。 「えっと、吉田先輩に呼ばれてきたんですけど」 「ふぅん、起こしていーよー」  柴崎先輩はあっさりそう言って、手元の雑誌に視線を戻す。    今日の雑誌は昨日と違い、誌面に写るのは二次元ではなく三次元だった。つまり、ゲイ向けのアダルト雑誌だ。  ──あんなの、どこに売っているんだろう。  別に知りたくはないけれど、怖いもの見たさでついチラ見してしまう。しかし実写なぶん昨日より視覚的にキツく、後悔してすぐに目を逸らした。  視線を隣へ移す。  ──起こすって、どうすればいいんだろう。  見たところ、吉田先輩はかなり気持ちよさそうに眠っている。起きていると何をするか分からない冷や冷や感があるのに、こうして寝ていると、長い睫毛が目立つ寝顔はただただ綺麗だった。  ひんやりした血色感のない肌、ゴツゴツしていない滑らかな骨の形、派手さはないが完璧に整ったパーツのバランス。全体的に人間味が薄くて、呼吸をしていなければ人形が横たわっているみたいだった。  僕は遠慮がちに先輩の体を揺すった。金糸のような髪がキラキラと光を反射するばかりで、ぴくりともしなかった。 「起こし方優しいな」 「もっとぶっ叩いていいよ」 「ええ……」  そんなことを言われても、できるわけがない。  いくら先輩がデリカシーなくて頭のネジが抜けてて僕のことを心底楽しそうに馬鹿にしてくる人だったとしても、一応は僕にとっての恩人なわけだし。 「あ、そうだ。聞いてみたかったんだけど」  涼先輩が唐突にスマホから顔を上げた。 「お前は吉田狙ってんの?」 「……えぇ!?」  大きな声を出してしまい、僕は咄嗟に口を押さえた。  先輩が起きていたらどうしよう。  慌ててもう一度、吉田先輩の呼吸を確かめるが、静かな寝息は続いていた。 「ないない、ないです! なんで……?」  どうしてそう思うのか分からない。  確かに、先輩は綺麗だなとは思うけど、そもそも、男の人だし。左右に首をぶんぶん振ったが、涼先輩は「強がんなくていいのに」と薄い反応だった。 「やたら顔ばっか見てるから、好きなのかと思った」 「……っ、みて……」  ──見てたか?  いや、見てた気はする。でもそれは、道端の猫をつい目で追ってしまうのと同じようなものだ。綺麗なものとか可愛いものは自然と目に入ってしまうのである。しかし、無意識とは言え、自分の視線がそこまで露骨だったかと思い直し、僕は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。  涼先輩はそんな僕を茶化すでもなく、世間話として、吉田先輩の過去を語った。 「こいつ距離感バグってるからさー。男にもべたべたすんだよ。で、散々その気にさせといて、自分はノンケだからとか意味わかんねぇ梯子の外し方する」 「確かに、何人か撃沈させてるの僕も見たことある」  柴崎先輩も話に入ってきた。僕は、そんな先輩の知らない一面を知らされても「へ、へぇ…」と薄い相槌を打つことしか出来ない。僕が話に入る隙もなく、涼先輩と柴崎先輩の暴露は続いていく。 「一回痛い目見たほうがいいよな」 「見てると思うけど学ばないんだよ、馬鹿だから」 「柳とかさー、よくぐらっとこねぇなっていつも思ってる」 「ないだろ、あいつら幼馴染だし」 「そーか? 俺だったら味見くらいはするけどな」 「涼、副会長の顔好きだもんね」 「結構好き。生意気なのがまたそそる。わからせたくなるっていうか」 「そう? まあ、たしかに。首絞めたくなる顔はしてる」 「すまん、それはよく分からん」  ──本人がいる前で、さっきから何を言っているんだこの人たちは。狸寝入りだったらどうするんだと、ひやひやしているのは僕だけだろうか。 「そういえば、副会長と絡むならあの番犬くんには気をつけたほうがいいよ」  急に話題が僕の元へ戻ってきた。内容があまり頭に入ってこなくて、「ばんけん……?」と聞こえたフレーズをオウム返ししてしまう。 「安達真広。昨日見たでしょ、腕に入れ墨入ってる反社みたいな奴」  それを聞いて、思い浮かぶ人は一人しか居なかった。昨日吉田先輩を迎えに来ていた、あの怖い人だ。確かに威圧感があって、近寄りがたい雰囲気だった。吉田先輩は華奢だし、もしいつも一緒にいるとしたら、そのひときわ目立つ体格も相まってボディーガードみたいだな、とは思った。 「あいつも吉田にたぶらかされてる。ある意味一番の被害者だよ」 「あれさ、気持ち悪いくらい四六時中一緒にいるけど、付き合ってないの?」 「いや、俺はああ見えて向こうがチキって手出せないと見たね」 「相変わらずキッショいムーブしてんな。副会長も分かってて一緒にいそうな気もするけど」  これ、僕が知っても大丈夫な話だろうか。あとで何かしらの天罰が下ったりしないかな、と僕の心配をよそに、涼先輩と柴崎先輩のおしゃべりは止まらない。  ──吉田先輩、まだ起きないかな。  半ば脳味噌が現実逃避しかけていた。今日は叶のルームメイトが別の部屋に遊びに行っているらしく、帰ったら叶の部屋でボードゲームをしようと誘われていた。きっとまだ教室で待っているだろうし、早くやるべきことを終わらせて帰りたい。 「あ、会長、もう来るって」  柴崎先輩がスマホの通知を見て言った。  僕は少しほっとする。これでようやくこの変な空気から解放される。 「涼の言ってたことさ、ちょっと試してみようよ」  柴崎先輩は何か悪戯を思いついたような悪い笑みを浮かべた。 「何?」 「会長がどう思ってるかってこと」  そう言うなり、柴崎先輩は僕と吉田先輩の間に細い身体を捩じ込むように座る。慌てて僕はソファを立った。空いたスペースを有効に使い、柴崎先輩は振りかぶって、吉田先輩の頭を殴りつけた。 「────!?」 ゴッ、と鈍い音をたて、側頭部に命中。吉田先輩は目を白黒させて飛び起きる。  「痛っ……え、殴……」 「副会長〜、渡辺くん来てるよ~、起きて〜」 「いってぇ! 起きてる! 起きてるって! いった! 殴りたいだけだろっ! おい!」  最後はパアンッ!と乾いた音を立てて平手打ち。呆然とした吉田先輩を背景に、柴崎先輩は僕を振り返り、ニコッと可憐な笑みを浮かべた。 「いい? これが副会長の起こし方だよ」 「普通に起こせよ馬鹿がよぉ!」  吠える吉田先輩と、「やったよ? でもお前が起きないのが悪いんじゃん」と全く悪びれない柴崎先輩。  また取っ組み合いの喧嘩を始める先輩二人を、下っ端の僕が仲裁なんてできるはずもない。あたふたしながらその様子を見守っていたとき、ようやく会長が生徒会室に到着した。 「……何をやっているんだ、お前達」 ──よかった、会長ならきっと二人を止めてくれる。 そう思った矢先、僕の目には一瞬、柴崎先輩が口角を上げるのが映った。その丸い目が会長を捉えると、柴崎先輩があからさまに見せつける勢いで、吉田先輩に覆いかぶさった。 「……! っ? んぇ、ちょ、しば、っんん……!」  吉田先輩の悲鳴を、柴崎先輩が唇で塞ぐ。頭に抜けるような、くぐもった高音が部屋に響いた。背けようとする顔をがっつり両手で掴み、おそらく舌まで入れている。気まずいなんてもんじゃない。    柴崎先輩の突然の奇行に、会長も僕も固まっていたが、涼先輩だけが「おぉー」となぜか嬉しそうだった。 「む、……っんむ、…ンッ!……っちょっ、と…!……んむ…っ、長……っ、んん゛!」 「……おい」  会長が柴崎先輩の首根っこを掴んで、吉田先輩から引き剥がす。会長から感じる静かな怒りは恐ろしく、僕は冷や冷やしながらその様子を見守っていた。  酸欠なのか吉田先輩はふらふらとおぼつかない手つきで後退り、ようやく柴崎先輩の下から抜け出した。濡れた口元を拭う先輩は、まだ夢の中みたいな顔をしている。 「柴ちゃん、キスうっま……」  今言うことがそれか。 「勃った?」 「うるせーうるせー」  ぺしぺしと柴崎先輩の手を払いのけ、緊張感のない言葉の応酬。 「ていうかいきなり何、ほんと何考えてんのか分かんなっ……」  吉田先輩は言葉を止めた。柴崎先輩の背後に立つ会長にようやく気づいたらしい。口を空けたまま、あからさまな動揺を見せる。 「は!? えっ、あっ、会長……!? うそ、いつからいた!?」 「さっきから」 「やりやがったなこの野郎……」  全てを悟った吉田先輩が、小声で恨み言をこぼす。可哀想に、茹でダコみたいに真っ赤に染まった顔は、今にも泣きだしそうだった。悪戯に成功した柴崎先輩だけが一人、満足げに鼻を鳴らしている。 「俺はこの後予定がある。渡辺くんの手続きを進めてやってくれ。ほら、これ書類。できるな」 「ハイ……」  会長の目は氷点下に冷え切り、半泣きの副会長に、淡々と事務的な連絡のみを告げると、会長は何も言わずに再び生徒会室を後にした。これには、さすがに吉田先輩に同情せざるを得ない。  魂の抜けた吉田先輩に、涼さんが嬉々として声をかける。 「良かったな、吉田。あれは脈アリだぜ」  やっぱりこの人たち、ちょっとおかしい。  僕は目の前の書類を見つめた。白紙の生徒会入会届。 「うるせぇ……ほんと馬鹿、イカれてるよお前ら……」 「はっ、ざまぁみろ」 「俺は柴崎がいつ吉田を脱がせるかヒヤヒヤしてた」 「期待の間違いだろ。涼、勃起してるし」 「あ、バレた?」       叶の忠告が何度も頭の中を木霊する。生徒会に入るのは本当に正解なのか。きっと限りなく不正解に近いのは分かってて、でも僕はおそらくそこにサインするしか選択肢がない。そうは分かっていたものの、僕は勇気が出ないまま、暫く呆然とその空欄を見つめていた。

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