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第一章 六話

side:吉田美月  俺は全く悪くないと思う。なぜなら、俺からふっかけたわけではないから。 「美月、なんでお前はそうやって敵ばかり作るんだ」  はあ、といつものごとく青息吐息を漏らす会長。もったいない、と思って俺が深く吸って回収すると、説教中にふざけていると思われたのか、二度目の拳骨を食らった。 「敵? どこが? ちょっとイジっただけじゃん。あいつが繊細なんだって」  事件は三十分前に遡る。  この前親交を深めたばかりの滋賀? 古賀? と廊下ですれ違った。奴はめちゃくちゃ睨んできたくせに全然話しかけてくれないので、でかい声で「お前、柴ちゃんと寝てるってマジ?」と話しかけただけだ。  周りの何人かがギョッとして振り返ってきたけど、別に恋バナの範疇だろ。青春青春、知らんけど。  それなのに、顔を真っ赤にして罵倒してきたから、ちょうど暇だったのもあり、薪に火を焚べるかの如く煽り散らしていたところで会長に見つかり、今に至る。  生徒会室でのお説教は慣れたものだけど、もうすぐ授業五分前だ。会長のお説教は授業開始時間まで聴き流せば勝ち、というカスのライフハックを持っている俺にとって、たとえ会長の魅力的なお口から放たれる金言であっても、心地良いBGMにしかならない。 「だから、イジるな、絡むな、近寄るな。どうせ問題ばかり起こすんだから」 「ちぇー、友達になろうと思ったのに」 「本気で言ってるのか」  会長の瞼がぴくぴくと引き攣った。分かりやすいストレス反応だ。困ってる会長、可愛い。好きな人ほどいじめたくなる性分なので、俺は会長の胸をツンツンして、追撃を飛ばした。 「俺が人と仲良くすると不機嫌になるもんね? そんな束縛しないでも俺は会長が一番だって」 「あまりふざけたことばかり言ってると、流石の俺も怒るぞ」  人差し指を掴まれて逆方向に曲げられた。悲鳴を上げると、「お前に友達がいない理由をよく考え直すんだな」と、胃に響く低音。 「あは、真広がカウント外になっててウケる。まだあいつのこと嫌いなんだ」 「……」  理由はわかる。初めて会長に真広のことを話した時、うっかり犯されそうになったことまでペラっちゃったからだ。その時点でだいぶ真広の信用は地に落ちていたのに、その後俺の見た目は見るからにグレていった。状況証拠として、確実に悪い影響を与えられたと思っている。  隣に座っているのももどかしくなって、ごろんと会長の膝に寝転び、首に腕を回す。肺いっぱいが会長で満たされて、頭がくらくらしてくる。 「相変わらず心配性なんだから。おにーちゃん」 「近い」 「ちゅーする?」 「やめろ、気持ち悪い」 「あは、ひでぇー」  俺のペラペラな言葉は、いつもの如く会長には一ミリも響かない。壁打ちみたいで気持ちがいい。だって、何を言ったって、どうせ俺を拒まない。  それにしても、会長だって少し変わった。昔はもうちょっと優しかった気がするけど、最近はもっぱらそっけない。空いた距離がさみしくて、日々俺の粘度は増すばかり。でもねちゃねちゃするほど突き放されるのは、会長も思春期かしら。仲良くしようぜ。  せっかくこんな近づいて、チャンスとばかりに会長の耳や頬を触りまくった。  やっば、かっこいー。お顔が天才。めろめろになっちゃう。存在がマタタビみたい。頭がふわふわして、眠くなってきた。このまま授業をサボったら怒られるかな。  物言いたげな会長の眉間に寄ったシワを親指でぐりぐりしたあたりで、ついに手首を掴まれた。 「お前はそういう態度をやめろ」 「んー? なんで? いいじゃん。スキンシップ、スキンシップ」  人目があるとすぐ摘み出されるけど、こうして二人きりだと会長は特に俺に甘い。肯定はしないけど否定もしない。だから、どこまで許してくれるか、ついつい試したくなっちゃう。調子に乗ってちゅーする振りをしたら、思った反応と違うものが来た。  首の後ろに会長の手が回る。引き剥がされる、と思ったら、予想が外れてぐいっと引き寄せられた。 「んっ?!」  吐息が触れる位置で顔を突き合わせた。ここまで近づいたことはない。  びっくりして息を詰まらせる俺と、何も喋らない会長。くっつきもせず離れもせず、そのまま無限に感じる時間が流れた。湿気た空気が嫌で、徐々に顔に血が集まって、触れている部分に汗をかく。 「……な、何?」  何、なんか喋ってよ。心臓がバクバクして、無意識に離れようと会長の胸に手をついたが、びくともしない。力つよ。何、ほんと。恥ずい。待って。 「お前、俺がやり返さないと思ってるからこんなことするんだろ」 「………」 「そんな顔するなら最初からやるな」  ぺし、と額を叩かれて、正気に戻った。  ──なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。今度は俺が黙って、熱くなった頬を手の甲で冷ましていると、授業開始のチャイムが鳴る。 「お前は自覚しろ、色々と。心配になる」  会長は息を吐いて、「授業サボるなよ」とだけ言って授業に向かった。俺は全然それどころじゃなくて、「ういー」と返事をしたはいいものの、いつもの如く気まぐれに早退したのがさっきの話。   そして、やっぱり同じくサボっていた真広の部屋でゲームをしているのが、今の話。 「なあ、俺って近いの?」 「……あー、近いんじゃね」  お互い画面を見ながら、一拍遅れた会話をする。適当に返されたので、俺も薄い返事をした。 「そうなのかなぁ」 「てか何。いきなり」  あ、赤甲羅。ヒョイッと避けると俺の前にいた真広に激突した。「ざまあ」と笑い、悠々追い越す。キレた真広が肩をぶつけて来た。 「いてぇ、リア凸すんなよ」 「誰に言われたの」 「ん、会長」 「……」 「あっぶねっ、避けたぁー」  無言で飛んできた緑甲羅を避けると、真広がチッと舌打ちした。 「じゃあやんなきゃいいんじゃね」 「えー、イチャイチャしたいじゃん」 「じゃあやればいいんじゃね」 「あ、適当だなお前」  気持ちよく一位を独走していたら、羽付き甲羅に激突され一気に四位まで転落する。はー?!と叫ぶと、隣で真広が鼻を鳴らした。最後の最後で巻き返せず、結局三位。ふざけんな。何連敗だよ。 「あー、つまんね」と悔し紛れにコントローラーをクッションの上に投げた。一旦休憩。不貞寝を決め込むことにした。真広の膝枕で。固ぇけど。 「気にしてんならやめろよ」 「気にするとか別にねーけどさ、なんか、無意識だったからびっくりした」 「まじかよ、これで?」 「え、お前もそういうこと言う?」  別に気にする性分ではないが、わざとしていたことではない部分が指摘されると、もやもやする。別に自分を常識的な性格だとは思ってないけど。自覚している部分と違う部分でズレがあると、なんというか。 「少なくとも、俺はダチの膝に頭乗っけたことないな」 「これー?」  頭をぐりぐり真広の太ももに擦り付けた。  たしかにいつもやってる。人を選んでるかって言われたら、別に選んでない。男にも女の子にもやったことある。会長は嫌がるけど、他はあんまり嫌がられた経験がないから気にしたことなかった。だって、人肌ってなんかあったかくて気持ちいい。  そう考えると、なんか一緒にいて落ち着く人を選んでやっていたかもしれない。下から真広の顔を覗き込むと、そっけなく目を逸らされた。 「気にし過ぎなんだよなー、みんな。男同士だぜ」 「美月が気にしなさすぎなんだよ。お前がやると洒落にならん」  うわ、会長にも似たようなこと言われた気がする。何、みんな。そんなに俺を責めたいか。はいはい反省すればいいんでしょーっと。 「じゃあもうやーめた!」  勢いよく起き上がると「うわ」と真広が声を上げた。 「あぶねーな」 「もう一戦しよ」  真広の分のコントローラー奪い取り、勝手にステージとキャラを決める。強さとかどうでもいいから、両方女キャラを選ぶ。「使いづらいんだよな」と真広が文句を言った。  「可愛いじゃん、男なんて使っててもテンション上がんないし」 「どうでもいいわそんなの」 「いーや、どうでもよくないね。女キャラなんていればいるほどいいんだから」 「大体弱いじゃん」 「だからお前にも使わせてんだろ」  バランスだよバランス、というと、「バカの理論だな」と返された。期末で数学14点叩き出した奴に言われたくない。俺が教えてこれだから本当に救いようがない。 「あ、会長からライン来た。サボってんのばれたか」  通知を秒速で開いて既読をつける。今は昼休みか。微妙な時間だ。午後は授業出ろって言われそうな気がして、このまま無視しようか迷った。 「いいだろ、別に。バレたって」 「真広のとこいるって言うと怒られそうだな。自分の部屋にいることにするかー」 「……なんであいつの許可制なんだよ。ウゼェー」 「お父さんは認めませんってな。今度挨拶しにいく?二人で」  自分で言ったくせになんか気分悪くなってきた。冗談でも口にしたくない言葉が舌の上でざらざらする。一般用語の中に地雷を持ってると、こういう日常会話で嫌な思いをすることが多い。これは、俺の中の自覚しているズレ。 「お前も嫌なら言えば。なんであいつの言うことなんでも聞いてんの。ただの幼馴染だろ」 「ただの幼馴染……」  確かに、そう言われるとそうかもしれない。  他人から見る俺らの関係なんて、きっと言葉にするとそっけない。それどころか、会長から見た俺だって、もしかしたらそんなものなのかもしれない。  でも強いて言うなら、"家族"が近いといいなぁ。        贅沢な希望を持ってみる。ホンモノを知らない俺が言った所で、所詮は憧れでしかないんだけど。 ✴ 「この学校にも“顔ファン”というキモい文化がある」  真面目に生徒会室で課題をやっている翔ちゃんに向かって、俺は期末テストの点に一ミリも貢献しないゴミ知識を植え付けていた。 「もー、副会長、邪魔しないでくださいよ」 「あれ、もう“吉田先輩♡”って呼んでくれないの?」 「先輩がそーやって馬鹿にしてくるから……」 「だってかわいいじゃん。なんか舌っ足らずで」 「……もう二度と呼ばないです」  翔ちゃんがムスッとした顔でプリントに向き直った。そのモチモチなほっぺたが可愛くて、俺は人差し指でツンツンつつき回す。 「ねー、拗ねないでよー。てか、入試ぶっちぎり一位のやつが今さらテスト勉強なんて必要なくない?」 「そんなわけないじゃないですか。先輩と一緒にしないでくださいよ。ていうか、先輩、勉強全然しないのに一位取り続けるって本当だったんですね」  「誰から聞いたんだ」と言ったら、「誰でもいいでしょ」と返された。翔ちゃんも気難しい年頃か。まったく、どいつもこいつも思春期め。 「今日柴ちゃんも涼ちゃんもいなくて暇なんだよー。話そーよ」 「他の人たちはちゃんと勉強してるじゃないですか」 「まあまあ聞けって。少なくとも知っといた方がいい文化だからさ」 「顔ファン、ですか? そんな、アイドルじゃないんだし」  アイドル、か。  翔ちゃんと話すと、こういう新鮮な一般意見を浴びれて面白い。 「確かに、翔ちゃんには多分関係のない話だけど」 「あー出た出た。よくないですよ、そーいうルッキズム」  入学して一月経ち、だいぶ慣れが出てきたのか、翔ちゃんの態度は日に日に俺に対して雑になっていった。それでも無視しないところが翔ちゃんの甘いところだ。  他の三人だったら丸無視するところを、いつもこうやって片耳くらいは貸してくれる。 「ほら、男だってあるじゃん。こいつカッケェな、みたいなさ」 「まあ確かに、ありますけど」 「それがこの閉鎖環境だと、マジで好きになっちゃうケースが結構ある」 「はぁ……」  心底どうでもいい、みたいな顔。翔ちゃんのこういう正直な所は嫌いじゃない。 「で、そんなリアコ勢が一番多いのは誰でしょーか!」 「……リアコ? 知らないですけど、会長さんとかじゃないですか?」 「は? 一発で当てんなよ、つまんね」 「そっちが聞いたんじゃないですか! 大体、ちょっと考えればわかるし……」    まあ、かっこいいからな。当たり前か。  ちなみに会長の人気は意外と侮れたもんではなくて、誰かしらが会長に近い存在になると、ファン同士で自浄作用が働く。端的に言うと闇の勢力にシメられるっぽい。気安く近づいてはいけない存在、みたいにされて、何事もやりづらくて迷惑だと会長が嘆いていた。ちなみにそいつらに一番敵対視されてるのが俺。超気持ちいい。  柴ちゃんの囲いは見た目が厳ついから怖いと思われがちだけど、意外と平和らしい。柴ちゃん曰く"ペット"を平等に愛してるから、そのお仲間内での上下がなくて揉める要因が無いとか。  涼ちゃんは、頼めば誰とでも寝るから、一番何もない、と思いきや、たまにメンヘラに当たって面倒くさい事になってる。誰にでも優しいとそういうデメリットがある。  翔ちゃんにも注意喚起のつもりで教えてあげたんだけど、いまいちピンときていないみたいだった。 「ふーん、僕には遠い世界の話ですね」 「まあ、翔ちゃんゲイ受けしなさそうだもんねー」 「副会長にはいないんですか、そういうの」 「……いると思う?」 「……いや……その……まあ、顔ファンって感じですね」  遠回しに性格をディスられた。翔ちゃんも生意気になったものだ。とりあえず強めのデコピンをしておいた。  だいたい、野郎からの好感度なんてクソの役にも立たないし、心底どうでもいい。  翔ちゃんは赤くなった額を押さえながら、そういえば、と話題を変えた。 「かっこいいといえば、話題の一年生がいるらしいですよ」 「なにそれ」 「僕も見たことないですけど、一人飛び抜けて美男子がいるって、友達が」 「へー誰」 「……興味ないのに無理やり聞かなくていいですよ。えーっと、確か、早川玲だったかな」 「忘れそーな名前。てか男の顔なんてどーでもよくね? みんな暇なの?」 「さっきまで生徒会のファンについて熱弁してたのは副会長じゃないですか。あと、暇なのは先輩の方でしょ」  翔ちゃんも言うようになったものだ。反論の言葉を考えるのがめんどくさい。ていうか、今日はオンラインゲームのアプデの公開日だった。さっさと帰って、真広より先に新武器を攻略しなければならない。 「暇なら勉強教えてくださいよ」 「よーっし、帰ろうかなー」 「あ、ひどい」  「ほんとに帰るんだ」と寂しそうな翔ちゃんに、「また今度ね」とだけ言って、生徒会室を後にした。直帰するか、飯だけ真広を誘うか迷っていた所、唐突に後ろから肩を叩かれた。 「今日は一人なんですか?」 「うわっ」  知らない声にびっくりして、肩を跳ね上げる。  振り向くと、頭ひとつ分上に顔があった。視線を滑らせ、目が合う。無意識に口が開いた。  誰かは全く分からなかったけど、こんな顔を一度見たら絶対忘れない。そして俺は、多分こいつの名前を、さっき聞いた。 「一年の早川玲です。覚えてくれたら嬉しいなぁ」  そうだ、そんな感じの名前だった気がする。あまりにも俺がガン見しているから、玲が照れくさそうに笑った。確かに、これは話題にもなる。  だって、めちゃくちゃ会長に似てる。 「えぇ……」  思わず感嘆が漏れた。  会長に爽やかさを足して、ちょっと甘めに味付けしたみたいな、女子ウケに特化した雰囲気がある。   会長の硬派すぎる空気を柔らかくして、愛想を付け足したらこうなりそう。  もしここが共学だったら、同じ男として隣に並びたくない。  会長はあの有り余る男前さを、朴念仁な気質でバランスを取っているからこそ、男にも好かれるというのに、それで愛嬌まで身につけているこいつは一体なんなんだ。ずるすぎる。羨ましい。 「……? あの……」  玲が戸惑ったように目をぱちぱちさせた。  そんな仕草もいちいちあざとくて、俺の中で別人なのにも関わらず、「会長はこんなことしない」と解釈違いのセンサーが誤作動している。 「えっと、何か用?」 「あの、俺、告白がしたくて」 「ん?」  告白? 告白って言ったか。  告発の聞き間違いだっただろうか。彼が何か問題を抱えていて、だから生徒会の俺に話しかけたというのなら筋が通る。でもさっき、「今日は」一人なんですかって言ってたよな。  今日以外をなぜ知っている? 「俺、吉田先輩に一目惚れしちゃって」  ──。  “この学校には顔ファンというキモい文化がある”  さっき自分で言った言葉を思い出した。 「友達からでいいんで、仲良くしてもらえませんか?」  そんなうるうるした目で見られたところで、俺には男と甘酸っぱい青春を送るような趣味はない。  それに、お前はなんか気に食わない。 「え、ごめん無理」  一ミリも優しさで包まずに断った。別に男なんて繊細なもんでもないし。立ち直れ、自分の力で。  玲は一瞬固まり、みるみる萎れたように落ち込んだ。美形が落ち込むと悲壮感がすごくて、悪役はこっちのような気がしてくる。 「そっか……すみません、引き止めちゃって」  思ったより効いてしまったらしく、今にも泣き出してしまいそうだった。今さらになって胸がチクチクと傷むが、一度吐いた言葉は口に戻せない。  あああ、やめろ。その顔で落ち込むなよ、馬鹿。 「えっと、あの、なんで、俺?」  ──しまった。  罪悪感から無理やり話を続けてしまったせいで、さっき一目惚れと言ってたのに、さらに承認を欲しがる痛いやつみたいになってしまった。  やっぱりなんでもない、と言おうとしたら、手首を掴まれた。そのまま勝手に手を握られても、「触るな」という言葉が不思議と喉から出てこない。 「俺、元々男が好きなんですけど」 ああ、そう。俺は女の子が好きだけど。 「先輩からも同じ匂いを感じて!」  あ? なんだテメェ殺すぞ。  この顔じゃなければぶん殴っていた。この顔じゃなければ。 「だって先輩、会長さんのこと好きでしょ?」 「……」 「俺、結構似てるって言われるんで。俺じゃだめかなーって」  図星を抉られてダメージ過多な俺には、反論する元気がなかった。一つ分かったのは、玲からは底知れない恐ろしさがあるということ。 「代わりでもセフレでもいいんで、だめですか? 俺、結構マジで先輩のことタイプなんですよ」  気がついたら、“友達から”という建前はどこかへ吹っ飛んでいたらしい。薄々気づいていたけど、やはりさっきまでの態度は猫を被っていたのか。  急に欲望を剥き出しにされて、拒絶より先に圧倒されてしまった。握られた手に指を絡められる。 「ほら、抵抗しないじゃん」  玲は俺の心を見抜いたように、目を細めて笑った。  こいつ、なんかやばいかも。  気づいた時には、もう遅かった。腰を抱かれ、急に至近距離まで近づく顔。  この前の会長との記憶が蘇って、ぶわ、と頬が熱くなる。 「え、先輩、これワンチャンある?」 「な、なな、なにお前、離して」 「はは、ビビりすぎでしょ。全然力入ってないし」  目が合わせられない。  心臓がバクバク脈打って、ああ、こんな風になるなら、さっさと断って逃げればよかった。寮までの道をショートカットするため、人のほとんど通らない道を通ってきてしまったのも悔やまれる。たぶん全部、図られている。  壁に背が当たる。掴まれた手首が痛い。間合いが近すぎて、いつも使っている抜け技が使えない。対策されている。  こわい。こいつ、どこまで俺のこと知ってるの。 「先輩、そんな嫌がってないでしょ」  目線だけ下に向けて、僅かな抵抗を試みる。  こっち向いて、と言われても向かなかった。顎を掴まれて、会長とは越えない一線が、あっさりと越えられる。 「……ん、……っ」    虚勢も物理的に塞がれ、湿った空気が吹き込まれる。生々しい。熱い息がどっちのものか分からない。握られた手の熱があっという間に浸透して、こんなのでもう、どうだってよくなってくる。 「んっ、……んむっ、…はぁ……っ」  口の中を深く舐められ、混ざり合った唾液が顎を伝った。目を閉じるとこの空気に飲まれそうになるけど、薄目を開けたらもっとだめだった。  目が合って、柔らかく微笑まれて、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。重ねちゃいけない面影が重なって、気づいたら足に力が入らなくなった。がくん、と壁伝いに身体がずれ落ちる。 「力入んなくなっちゃった?」 「……」 「帰るんでしょ。送ってくよ。俺のせいだもんね」  腕を玲の首に回され、立ち上がる。なんとなく、今日はもうダメな気がした。 「かーわいい。やばい、俺、我慢効かねぇかも……」  ぼそっと聞こえた言葉も、もうどうでもいい。抗うより流されるほうが楽だ。そう言い訳して、全然俺の部屋の方向じゃないのに、その足取りを拒まなかった。

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