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第一章 七話
「ふふ、先輩、全然、こっち見てくれないじゃん……」
耳にぬるく息を吹き込まれ、笑われる。俺は無視して枕の布地を噛んだ。頭が馬鹿になるような、甘い匂いがする。それが枕なのか、玲のつけてる香水なのかはわからない。
「……っ、──ッ!」
「あは、そんなに締めないでよ。ここ、感じる?」
「…………ぅあっ」
強いて言うなら、後悔は着いた時点でしていた。誘われるがまま縄張りにほいほいついてきたのは俺だ。もはや牙を隠さない獣に、自分の肉を差し出したのも俺。そのまま好き勝手に食い荒らされ、息も絶え絶えなのに抵抗しないのも。
気づけば窓の外の日は沈み、部屋は真っ暗になっていた。
「ふふ、先輩、可愛い。口数減ったね?」
皮膚の薄い部分を噛まれ、吸われ、くすぐったくて、そんな満身創痍を、幼馴染にそっくりな顔があざ笑う。胃もたれするほど甘ったるい。それが一番いやだった。こんなことを、小一時間続けられて、頭がおかしくならないわけがないんだ。
「こっちみてよ、寂しいじゃん」
玲は俺の枕に張り付いた頬に手を差し込み、ぐいっと顔を前に戻した。先ほどからこの攻防の繰り返しだった。右に左に視線を逃がすと、今度は両手で顔を包まれて、無理矢理視界を遮ってくる。吐息が触れる距離で見られると、その度俺は心底嫌な気分になった。この顔を見てイくのだけは嫌だ。上目遣いで覗き込んでくる目は、にやにやと俺の不快を愉しんでいる。
「クソ、も……黙って、動けよっ──」
好き勝手揺すられるのにも飽きた。嫌いだ。男なんて。強引で、自分勝手で、もううんざりだった。
「いいの?動いて」
視界が埋められたまま、トントン、と奥を小突かれた。狭い肉を優しく擦られる。
「はぁっ……っう、う、ぅあっ」
乾いた空気が喉を通る。ちがう、そういうのじゃない。さっさと早く出して終わりにしてほしいのに。
「ぅあ゙っ……そこっ!」
「奥が好きでしょ、ほら、ここね、先輩のいいとこ」
「やめて、っ……! っいやだぁ、っ」
「だから……締めすぎだって。まじ先輩中よわよわだね」
「──は、 ……〰〰っ!♡」
「あ、今度はちゃんと目見てイけたね、えらいえらい♡」
最悪だ、こいつ。本当に、サイアク。
いやなのときもちいのが、頭の中で変に混ざって、鳥肌が立って、腰がガクガクする。確実に、なにか戻れないものがダメにされているのに、俺は大抵こういう時、ただひたすらされるがまま、馬鹿みたいに時間が過ぎるのを待つ。馴染みの快楽に何度突き落とされたところで、それが平気になることなんてない。それなのに、なぜ俺はまたこんなことをしている。いろいろと自問をしてみるけれど、頭の片隅では、もうとっくにどうでもよかった。だって、ここに来た時点で、どうせすべて、間違えている。
「ん゛っ……! もうっ、…しつこ……っ、あ゛──ッ゙」
──早く終われ。
さっきから頭はそればかりだった。だって、若い。負けだ。悔しいけど、体力が全然違う。いや、べつに俺と比べてるわけじゃなく。それにしても、よくもそんなずっと腰を振っていられるものだ。しかも、これで下手くそならまだ可愛げがあるものの、妙にこなれているのがタチ悪い。
「はい、もう一回♡ 頑張ろ? 先輩♡」
「ひ!……っい゙──!……やだっ…!そこ!」
今一番触らないで欲しい所を、内側からゆっくりと押し上げられて、押し付けて、嫌な揺すり方をしてくる。こっちはもう出るものもないのに、玲はまだ終わるつもりもないのか、小刻みな動きはこちらの余裕ばかりを奪う。本当に、腹が立つ。やり返すつもりで、腰に食い込む玲の手に爪を立てた。ダメだった。ふやけた力は何の抵抗にもなっていない。止まってくれない。嫌なのに、また、
「おー、すっげぇ痙攣。はは、もうなんも出てないじゃん」
「──ッ」
「声も出なくなっちゃった。ちょっと慣らすの時間かかったし、先輩、もしかして久々?」
うるさい、うるさいうるさいうるさい。
下腹を撫でられる。そこまで入り込んでいる、と意識するだけで、中がドクドクと脈打って、内臓ごとダメにされていく気がした。こうなるから、こうなるから嫌なんだ。男なんて。
「嬉しいなぁ。これから俺以外としちゃダメだからね」
煩い、調子に乗るな。どうせ、相手は誰だって同じだ。そう思うけれど、乾いた口は空気を食むばかりで、一つの毒も吐いてくれなかった。
✴
目が覚めて、真っ先に目に入った見慣れない部屋。コンドームと服が散らばるベッドの下。隣で寝ている見知った顔。そこまで把握して、寝ぼけた頭が昨日の痴態を思い出した瞬間、猛烈な恥ずかしさと後悔が押し寄せた。
「あ、おはようございます♡ 先輩、身体しんどくない?」
「…………」
自業自得といってしまえばそれまでだった。一夜の過ちというのは酒の入った男女だから言い訳にできるのであって、シラフの男同士はそこに理性の介在する余地がありすぎる。それでこのザマだ。まったくもって笑えない。
「あの、なかったことに、してくれませんか……」
気分はもう三つ指をついて首を垂れていた。気分は。実際は腰がだるくて布団から一歩も出られないが。
なぜ俺がこんなに下手に出ないといけないのか。まったく納得いかないが、なんとなく、こいつ相手には穏便に済ませたほうが良いと本能が告げていた。
それにしても、随分好き勝手してくれたなぁとは思うけど。
最終的に、昨日だけで何回したか覚えてない。マジだるかった、こいつ。遅漏だし、でかいし、めっちゃ噛んでくるし、犬かよ。久々だったからまじで死ぬかと思った。
しかも、起きた時点で甲斐甲斐しく世話を焼くのはいいんだけど、とにかくうっとおしい。めちゃくちゃベタベタしてくるし、全然求めてない甘々ピロートークを繰り広げてくる。そして、心なしかもう既に彼氏面をされている気がする。
「えー、なんでそんな酷いこと言うんですか?」
玲はわざとらしく膨れた顔をした。
別にプラスをマイナスにするわけではなく、ゼロに戻すだけだ。それを酷いと言われたら困る。あくまで過ちであって、全く俺の本意ではないと、そう言い訳をしなければいけない理由が俺にはあった。
「気の迷いというか、間違えたというか……とにかく、もうなしね。俺らには何もなかった、いい?」
このままズルズルとセフレに持ち込まれるのだけは避けたくて、先手を打った。
「そんな……嫌です。こんなに好きなのに」
嫌だと言われたら、もうそれまでだった。
俺たちの間には体の関係という事実だけが残り、ぶん殴ってこいつの記憶でも消さない限り、その意味づけは双方の自由となってしまう。
「一方的に言うなんて酷いですよぉー。あんなに昨日ラブラブだったのに。先輩って意外と冷たいんですね。いいですよーだ。じゃあ俺、先輩と付き合ってるって言いふらしちゃお」
「は?」
玲は俺にスマホの画面を見せつけた。その薄暗い画面には、死んだように寝ている俺と、わけわかんないくらいハイテンションなピースをキメている玲。いかにも事後感満載のその写真に、ひっ、と喉が引き攣った。最悪……
そしてさらに酷いのは、他にもスクロールされて出てくる盗撮の数々。大体、後ろとか横からの構図で、望遠だと信じたいがかなりアップのやつもある。いつの間に撮られたのかわからない。めちゃくちゃ怖い。
「やめて、消して」
「この写真とかめっちゃ可愛くないですか? 不意打ちでもこんな綺麗なのすごいなー。ロック画面にしちゃおっかな。自慢したいし」
こいつならやりかねない。
別に今さらハメ撮りを撮られようが全裸の写真を撮られようが、そんなのはばら撒きさえされなければどうだっていい。でも、俺がこいつと関係を持ったなんて、知る人が知ればもう、あれだ。すぐ分かる。なにがとは言わないけど。だって、あからさますぎる。情けなさすぎて、もう泣きそう。なにが悪いかと言えば、昨日の俺が全部悪い。
「分かった、分かったってば。言うこと聞くから、せめて隠して……お願い……します……」
「じゃあ付き合ってください」
「…………いやだぁ……」
考えたけど、やっぱり嫌だった。
だって、昨日知ったばかりの仲だし、男だし、ちっとも好きじゃない。あと、普通にストーカーだし、強引だし、話が通じてる感じもしないから、健全に関係を深められるビジョンが見えない。どう考えても地雷男だ。見え透いたそれを踏んでしまったのは俺の落ち度だけど、分かった以上、避けたいと思うのは当然だった。
「なーんて、嘘ですよ。好きになってもらうまで俺、がんばるんで。だからもう終わりとか言わないでね」
抜け殻のように放心した俺の頬に、ちゅ、と軽くキスされる。
こいつ、顔で全てを許されてきたタイプだ。
結局なんの写真も消してもらえないまま、「じゃあ学校行くまで時間あるからもう一回だけしよ」と、俺はもう一度ずるずると生ぬるい布団の中に引きずり込まれた。
✴
そこからはもう、俺の危惧した通りの酷い学校生活だった。
玲は巧妙に人と離れた時を狙っては学校で触ってくるし、頻繁に泊まりに呼びだしてくる。俺の部屋に上がり込まれるよりはマシだ、と思い込み、現状、まんまと言いなりになるしかない。たとえどんな目に遭うか分かっていたとしても。
どうしてもしんどい時は、真広の部屋に連泊して避難していたのだけど、あんまり放置するとメンヘラを起こしてすぐ周りに言いふらそうとしてくる。マジでめんどくさい。涼ちゃんにメンヘラの対処法を聞いておくべきだった。女の子だったら何をされても可愛くて許せるから、俺には関係のない話だと思っていたのに。
そしてさらに最悪なことに、やっぱりどんどん会長との距離感がおかしくなっていった。具体的には、いつもみたいにベタベタ出来なくなった。顔を見ると、気まずいし、恥ずかしいし、条件反射で身体がむずむずして、まともに目が見れない。俺の様子があんまりにも変だから、一度二人きりの時に理由を聞かれた。でもその時の俺は動揺しすぎて、一刻も早くその場を抜け出そうと、言い訳もそこそこに、最終的には逃げた。
全然そんなつもりなかったのに、俺はもう会長を前のように見れないのかもしれない。
小学校からの幼なじみなのに、こんなにもあっさりと関係性にヒビを入れられて、どうしてくれるんだこのやろう。関われば関わるほどに、ボロが出てきそうで、次第に俺は生徒会室に行かなくなった。たとえ生徒会の仕事があっても、サボるようになった。そんなことは長く続かず、授業すらサボり散らかしている俺の部屋まで、珍しく柴ちゃんが押しかけてきた。
「会長となんかあったでしょ」
開口一番にそう聞かれ、俺は周りを見渡した。
「……とりあえず、部屋ん中入ってくんない?」
「ここでいい、お前の部屋とか汚そうだし」
「あ、そう……」
柴ちゃんの久々のチクチク言葉が荒みきった心に染みるけど、流石に玄関先でする話ではないので帰るか入るかして欲しい。
「喧嘩した?」
「……」
会長とは、ない。
正直に言ったら余計拗れそうで、どうしよう、と目が泳ぐ。
柴ちゃんは「へぇ」と薄く笑った。
「言いたくないならいいけど、それはそうと、お前、最近、生徒会サボっといて随分いいことやってんじゃん」
「……え」
「バレてないと思った?」
口調は柔らかいのに、追い詰めるような視線が怖くて、ドアノブを掴む手に変な汗をかく。
いや、まだカマをかけているだけかもしれない。自分からゲロるのは早い。
「最近変だなーと思ったんだよね」
そうやってスマホを取り出し、見せつけてきた画面を見て、俺は負けを悟った。
「……いつ撮ったの、これ」
あいつは人のいるところでベタベタはしないが、逆にいえば人の居ないところでは何をしてもいいと思ってる。そんな見せられないような所が堂々と写っていて、言い逃れはもうできなかった。
柴ちゃんは俺の問いに「内緒♡」と、こういう時だけ見せてくれる可愛い笑顔で、容赦なくトドメを刺してくる。
「会長に言っとこっか、副会長は新しい彼氏にお熱で生徒会サボってますって」
「いや、待って、ごめんそれだけはっ」
さすが柴ちゃん、俺に一番ダメージが入ることを的確に見抜いてる。右からも左からも脅されて、今更になって”周りからの恨みは買うものじゃない”と言っていた会長の忠告の意味を理解した。もう手遅れだけど。
「あと、付き合ってない、です…」
柴ちゃんからすればどうでもいいだろうが、俺にとっては重要だった。
「セフレってこと?」
「……うん……はい、そうですね……」
気まずすぎて、歯切れの悪い返事しかできない。
「へー、意外だね。お前ノンケかと思ってた」
「いや、違くて……なんか、その、事情が……」
「顔でしょ」
「………」
柴ちゃんが吹き出すように笑った。
「わっかりやす。お前ほんとに会長のことタイプなんだ。あれ冗談かと思ってた」
「あ、なんか腹痛くなってきた。じゃあね」
「逃げんなよ」
ドアを閉めようとしたら、ヤクザみたいにつま先を隙間にねじ込まれた。
「あの、言っておくけどね、俺からじゃないから!」
「でもエッチしちゃったんでしょ?」
「………」
「しかも、めちゃくちゃ入れ込んでるじゃん。コソコソいちゃついても意外とバレてるもんだよ〜。お前がアイツの部屋に入り浸ってることは知ってんだから」
「あの、ほんとに、帰ってください………」
ほんとに恥ずかしい。
正直、一、二回掘られたくらいどうだっていいんだけど、それを俺の本意だと思われるのだけは耐えられない。性欲は普通にある方だけど、それは男に対してじゃない。
半泣きになりながら、「帰るか、部屋に入るかしてくれませんか」とお願いした。
「ふーん、そうやって簡単に入れちゃうんだ」
なんとなく、柴ちゃんの声色が変わった。
なんか面白がって悪いことを考えているときの、いたずらっぽい顔。
ドアが急に引かれて、何も構えていなかった俺はあっさりノブから手を離した。さっき入らないと言っていたのに。柴ちゃんは俺の部屋へ足を踏み入れると、後ろ手で鍵を閉めた。ガチャリと鍵の音が響く。
「ん……?」
そして襟をつかまれたかと思うと、くるりと体を翻し、ドアに背中を思いっきり叩きつけられた。
「いった……っ」
ガンッ、と金属製のドアにぶつかって、頚椎が痺れる。遅れて肺を襲った衝撃に噎せていると、間近に柴ちゃんの顔が迫った。ひっくりして、咳が止まる。女の子みたいな花の香りがした。
「……っ」
「僕が何もしないと思ってるんだ?」
クスクス笑いながら、柴ちゃんが首の後ろに手を回し、なんとなく流れるようにキスされた。なんで、とか、言いたいことはたくさんあったけど、身体は少しの違和感もなく、その行為を受け入れた。
だめなんだ。こういうの。別に怖くも何ともないのに、声の出し方を忘れる。
「抵抗しないの?」
力の抜けきった手首を掴まれて、「これ、これ」と振られた。無抵抗に揺れるそれを、なぜか他人事みたいに感じる。
自分の中で、スイッチみたいなのがある。
発動条件は曖昧で、強いて言うなら、雰囲気、匂い、声色? とにかく、こういう雰囲気になると、頭の中がぼやけたように、何も考えられなくなる。ストッパーがかかるというか。それが正しい振る舞いだったというか。染み付いたものが抜けない、というか。
「そんなんだからつけ入られるんだよ、お前」
分かってる。分かってるけど、別に、それならそれでどうだっていい。別に今更減るものもないし。
柴ちゃんは俺の反応が思ったより薄くてつまらなかったらしい。興味を失ったように掴んだ手首を放ると、自分で閉めた鍵を開けた。
「忠告はしたからね、僕は」
俺は濡れた口を拭いながら、柴ちゃんを振り返る。妙に引っかかる言い方だった。
「知らないの?お前今、結構ピンチだよ」
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