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第一章 十一話
side:吉田美月
気絶するように寝ていたため、着信が30件以上溜まっていた。
「あー、てててて……」
急に起き上がったせいで、身体のあちこちが痛い。骨はキシキシするし腰の変なところが筋肉痛。玄関で寝落ちしたのだからそんなものだろう。それよりも。
「…ッチ、」
追撃してくんなよ、もう。
夢見の悪さは確実にこいつのせいだ。電源が切れていた、とか、通知がならなかった、とか、くだらない言い訳は意味ないから考えない。メッセージに既読をつけた。
そして、案の定。
「……あーあ」
内容は、嫌な予感的中。胃の底が溶けそうなくらい痛い。急に目の前が真っ暗になって、ずるずると床に額をこすりつける。
「……っ、嘘だろ…」
悪い冗談だと思いたかった。
でも、何度見直したところで届いたメッセージは消えないし、目を閉じたところで夢のなかにも逃げ込めない。
「……なんで」
なんで、今更。
戻ってこい、なんて。
「……ああぁあ、いやだ、嫌だ」
かゆい。見えない虫がまとわりつくような悪寒だった。皮膚の薄い腕をバリバリと掻きむしる。見えない手が、喉元に巻きついて、うまく息が吸えない。
安心していた。油断していた。またあの日々が、始まると言うのか。
「……おえッ」
途端に胃液が込み上げて、トイレに走る。薄い胃液を吐き切って、ぼーっとして、でも腹の奥底の絶望感は消えてくれない。実感を先延ばしにしたいから、固く目を瞑る。
何も考えたくない。何もかもを諦めたふりをして、覚悟を決めたと思い込んで。
「………」
蝉が窓に張り付いていた。つんざくような悲鳴が耳に刺さる。蝉の寿命は一週間だっけ。死にたく無いと、必死に泣き叫んでいるようだった。馬鹿みたい。どうせ無駄なのに。てかうるせぇ、ぶっ潰してやろうか。
虫の居処が悪いとは、まさにこのこと。
だって、俺なんて、嫌だとすら言わせてもらえなかったのに。
✴
昔話をしようと思う。
俺の家は、物心ついた時からずっとどこかおかしかった。
父親と母親と弟、あと使用人。家には常に人がいたが、和やかな会話なんて一度も聞いたことがない。家では常に妙な緊張感が漂っていて、俺は結局最後まで母親の笑った顔を見ることはないまま、俺が10歳かそこらのときに亡くなった。殺された、と俺は思っている。毎晩聞こえてくる悲鳴からして、子供ながらに、いつかこうなるだろうな、とは思っていた。母にはいつも痣が絶えなかった。
父親が本格的に狂い出したのは、その後だったと思う。
初めては父のデスクの上だった。突然部屋に呼び出され、殴られて、服を剥かれて突っ込まれた。
殴られるのも、それが初めてだった。俺はただ、恐怖と痛み堪えながら、母のように死ぬんだと思った。逃げ出したかった。しかし、父が脅しの言葉の中に弟をちらつかせると、抵抗はできなかった。
その日から、次のターゲットは俺になった。父は母を失い、ストッパーが外れたのか、昼夜家中、人目も気にせず行為を強いられ続けた。使用人たちはそれを見て見ぬふり。弟は泣いていた。
そこからはもう、生活はボロボロで、虐待と名のつくものは全てやられた。
父は弟を贔屓することで歪んだ欲を満たしていたんだろう。俺は家で隔離された。痣のせいで、学校はほとんど行けなくなった。これでも父は、世間体を気にするほうだ。学校に行けない代わりに、どこから連れてきたのかも分からない家庭教師に24時間監視され、成績での無理難題をふっかけられては、殴られたくない一心で勉強した。
年中家に閉じ込められ、ストレスで感情が麻痺し始めた頃、父が毎日知らない大人を家に呼ぶようになった。今思うと、俺は父の『接待』に使われたんだと思う。子供を好きな異常者は世の中にいくらでもいる。普通のサラリーマンみたいなおっさんから、いかにもな入れ墨が入ったやつまで。一対一で相手させられることもあれば、大人数でマワされることもあった。悪趣味な会合は毎晩続き、悲鳴をあげるのも無駄くさいと悟った。しかし、反応の悪いガキは奴らにお気に召されなかったらしい。
『それ』を使われたのは、確か小学校も最終学年に上がってのことだった。
違法スレスレのドラッグはあっさり入手できる環境だった。俺は精通より先に、射精を必要としない絶頂の仕方を身体に叩き込まれた。泣いて縋って失神しても、叩き起こされ薬を追加される。久々に感情を取り戻したかの様に泣き喚く俺に、奴らは大層ご満悦だった。
でもそんな生き地獄にも、終わりはあった。意図せず、ぱったりとなくなったのだ。
簡単な話だった。代わりができたから。
新しい贄は使用人の女の人だった。父のことが好きだったらしい。半ば志願する形で、女は父の新しい玩具になった。
そうして、俺は晴れて自由の身となり、ようやく社会に復帰できるようになったときにはもう中学の二年になったころだった。
「……」
ちゃんちゃん。
………で?
分かってるよ、最低だって。
だって、再び呼び出しということは、つまりは、そういうことだから。
そっけないけど、美人な女の子だった。父のことが好き?嘘に決まってる。俺は助けられた。それなのに、自分だけ助かって今日までのうのうと生きてきた。
「……」
あー、反省すればいいんですか。反省すれば。逃げてごめんなさい。耐えられなくてごめんなさい。なんて薄情。なんて残酷。人殺し。お前が死ねばよかったのに。なんて、うるせぇよ、まじで。
俺だって正義の心とか、道徳心とか、もちろんあったよ。母親が冷たくなるまでは。
「ナツメさん、生きてるかなぁ」
逃げられていればいいけど。
って、今は人の心配をしている場合じゃないか。
電話をかける。
3回着信音がなると、相手は不機嫌そうに電話に出た。深呼吸して、俺は感情をなるべく滲ませない声色で言った。
「会長、ごめん、俺学校辞めるかも」
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