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第一章 十四話
これはきっと罰なんだと思う。
運命、なんて信じないけど、もしそれがあるとしたら、他人に押し付けて放棄した俺が、今更普通の人生を歩めるかもなんて。期待していたこと自体が、滑稽で、無様で、笑える。
馬鹿みたいだ。
「あぐ、…っん、…っ」
そう、馬鹿みたい。馬鹿になっちゃおうか。頭を空っぽにして、俺はただひたすら、「物」であればいい。
「……ぉえッ、ん、ぐぅ……」
ガツ、と頭が壁に当たる。頭上で押し付けられた両手が冷たかった。気遣いのかけらもない腰使いで、喉の奥まで犯される。匂いも、味も、音も、苦しさも、あんなに前は耐えられたのに、今はもう、だめだった。胃液が込み上げ、自分の唾液で溺れそうになる。
「美月、教えただろ。ほらもっと奥、喉開け」
ぐ、と前髪を掴まれて、頭が上向くほど強く壁に押し付けられた。そのままのしかかるように上から貫かれ、苦しさに顔を顰めそうになる。
「っう゛、」
これ以上深く入らないと言うところで止まった。喉が何度も反射で締まる。ゆっくりと喉奥に押し付けるように腰が振られ、どんなに苦しくても、後ろは壁で避けることも出来ない。
まるでただの穴にされているようで、いや、それよりもっと酷い。公衆便所、といつの日か嘲られた言葉を、ぼーっとした頭の隅で思い出していた。
「…っん゛、んぐ」
気づいてしまった。
俺はどう頑張ったって普通にはなれない。
それを望むには、もう取り返しがつかないほど、欠けているところが多すぎる。
普通に学校に行って、普通に友達を作って、普通に家族と仲良く過ごして、普通に好きな人と付き合って。そんな当たり前のことが、どうしようもなく難しくて眩しくて。
だから全部、諦めた。
だって、どう頑張ったって、ほんとは人がこわいし恋とか愛とかわからない。自分の痛みにも他人の痛みにも鈍感で、どんなに傷つけても傷つけられても、結局はどうでもよくて、興味なくて。
だからこれは、そんな俺にはお似合いの最後なのかも知れない。
「美月、こっち向け」
降った言葉に、素直に従う。楽しそうな目。腹が減った獣みたいで嫌いだった。ずる、と喉を占めていたものが抜けて、咽せる。 俯いた顎を掴まれてすぐに上向かされた。下の歯を押されて、親指が口のなかに入り込む。
「そう、そのまま」
父がごそごそとスラックスのポケットを漁る。
俺は酸欠で目の前が霞んで、何をしているのかも分からないまま、空いた口にころん、と小粒な感触が転がり込む。
「………っ!」
吐き出す暇さえなかった。再び喉の奥まで埋められる。無理やり押し込まれて、それが一体何なのか、気づいてしまってももう遅くて。唾液と一緒に喉奥に流れ込み、ごくん、と飲み込んでしまう。
「んぐ……!っおぁ……っ」
ぞわりと、まだ効くわけもないのに、あの感覚が蘇った。だって、知っているから。それが、どんな天国をもたらすか、どんな地獄に突き落とされるかも、もう知ってる。嫌だ、と思った瞬間、身体がこわばって、少し、歯を立ててしまった。
「……ッ、がはっ──ッ!!」
鳩尾を走る衝撃と痛みに、腹を押さえて蹲る。
「……っうぐ、」
次に脇腹。背中、また鳩尾。
「美月、悪い子だなぁ……また躾直しが必要か?」
そのまま肩を掴まれ仰向けにされ、のしかかるように腹の上に体重が乗った。否が応でも記憶から引き摺り出される記憶に、噛み締めた奥歯がガタガタと音を立てる。
「いや……」
「あ?」
ぐ、と片手で気道を締め上げられ、細かく首を振る。父の片頬が、不自然に釣り上がった。
「どうやら、俺との約束を忘れてしまったらしいな。仕方がない。お前がそういう態度でいるのなら、念のためもう少し薬を追加しようか」
「……っ、ごめ、…なさい、もうしないから……」
「だから?」
「なんでもするから、だから、それは……」
そう言う間にも、さっき飲み込んだ薬の効果は出始めていた。心臓がどくどくと高鳴り、その血流に乗って身体中に得体の知れない疼きが広がっていく。
「欲しいよな?」
「……え、」
「飲みたいだろ?ほら」
再び顎を掴まれて、父がポケットからもう一つ。今度ははっきりと見えた。その小粒な錠剤は砂糖菓子のようにカラフルで、脳が勝手に、あの気が狂う様な快楽と高揚感を身体に思い出させる。舌に乗せられ、ぞわ、と肌が栗立った。
「飲み込め」
迷いなど与えられない。
震える歯の根を押さえつけて、ごく、と水もなしに飲み込んだ。当然の様に、錠剤が喉に引っかかる。それはそうだ。極度の緊張と恐怖で、カラカラに乾いた口で、まともに薬が飲み込める筈もない。喉に詰まった様な違和感が気持ち悪くて、何度も唾を飲み込むが、それはすぐに溶けて喉の奥の粘膜が熱くなってくる。
「……っ」
二度目の薬の効果は、驚くほど早く現れた。ただでさえ、一度薬の快楽を覚えた身体だと言うのに、この短期間で追加されれば、かつてないほど強く、待ち望んでいたとばかりに体温が上がった。鉛みたいに重苦しかった恐怖が和らいで、反対に頭の中が真っ白になりそうなほどの興奮で、口の中に唾液が溢れる。
「効いてきたか?」
「……ぅぁ、」
まともな返事はできなかった。降った声が随分遠い。
心臓が生き急ぐようにばくばく脈打って、身体の力が抜けた。視線は虚ろで、目玉さえ動かせないような。力がみなぎるような。泥のように眠りたいような、目一杯駆け出したいような。あんなに嫌悪していた薬を、細胞の一つ一つが喜んで受け入れているのが分かった。
じわっと、涎を垂らす様に、脳髄の中で何かが分泌されている。
こんなの、忘れられるはずもなかった。あんなに毎日馬鹿みたいに使われて、依存性がない訳がない。
俺が理性で押し留めていただけで、身体はずっとこの感覚を待ち望んでいた。
「次噛んだら、分かってるよな」
はい、と震える吐息は声を成せていただろうか。頭上に父が跨る。頭を押さえられて、身動きを取ることも許されない。嫌がらせのように、頬にずりずりと性器が擦り付けられた。先走りがぬるりと頬を滑る。眉を顰めると、口を開けろ、と命令された。
あ、と薄く唇を開く。こじ開けるように、喉の奥まで一気に貫かれた。
「────ッ」
先程とは明らかに違う感覚に、床に投げ出された足がばた、と音を立てる。
「んうっ…!んんぐ」
ずちゅ、ずちゅ、と音がするたびに、声にならない悲鳴を上げた。苦しさより、明らかに主張してくる感覚を、認めたくない。感じたくない。
「はっ……熱いな」
満足げな吐息が額にかかる。
上顎を何度も擦り上げられ、自分でもみっともない声を出していると自覚している。びく、と腰が跳ねた。違う、こんなの俺じゃ──
「口の中気持ちいいだろ、なあ、美月。お前喉でイけるもんな」
両手首を床に押さえつけられ、足だけがバタバタと何度も跳ねる。ずり、ずり、と喉の粘膜が擦られるたび、腹の奥がきゅうっと締まった。
「ふぅ、…っぐ、…んんぁっ、」
鼻から抜ける吐息が、隠しようもないほど甘く響いた。すぐそこまで迫った競り上がる感覚に、無駄だと分かっていても抵抗してしまう。動かせない頭を振る。手の腹に爪を立てる。嫌だ、いやだ、いや────
「ほら、イけ」
熱い涙がぼろりと目尻を流れた。真っ白に染まった脳みそに、その言葉だけが響いて、そこからはもう、止めようもなく、
「っんうぅうぅーー!!」
腰が浮いた。まだ触れられてもいない腹の奥がじんじんする。狂いそうな快感が背筋を登って、脳味噌が弾ける。身体が勝手にビクビクして、目の前を白い星が瞬いた。
「ははは、本当にお前は、最高だなぁ美月」
狂ったように嘲笑は耳に響いた。力の抜けた手首と口が解放された。ずちゅ、と性器が抜けた口の端から、胃液混じりの唾液が漏れる。心が全て抜け落ちてしまったような失意で、指の一本さえ動かせない。
「ほらおいで。ベッドまで運んであげよう」
背中を起こされる手の感触にすら反応して、身体を震わせる。もはや自分のものではないみたいだ。抱き抱えられて、足が宙に浮いた。
耳元で、ああそういえば、とわざとらしく父が呟いた。
「夏目がどうなったか、知りたがっていたな」
朦朧とした意識の中で、父の声をやけに楽しげだと思った。
「逃げたよ、ほんの数日前にな」
ピク、と指先が動く。
「まあ、捕まるのも時間の問題だろうが。今、組の奴らに頼んで探させている。なにせ身寄りのない女だからな。身一つで逃げて、そう何日も隠れられるはずもない」
たん、たんと階段を降りる足音が聞こえる。誰の声も届かない、地下室へ。
「もう十分だ。あの女に用はないからな」
夢の光景を、思い出していた。代わってあげますと、必死に言い募られたのは、果たして俺の生み出した夢だったのだろうか。今ではそれも満足に思い出せないけど。
気がつけば、父の胸元をぎゅっと握りしめていた。
「ころさ、ないで」
自分を?それとも、あの人を?
全て自分が招いた結果だと言うのに。
父の視線がゆっくりと俺を見下ろした。合わさった瞳は、暗く、冷たい。
「無理だ」
「お願い、します」
ギ、と地下室のドアが空いた。
中に入った途端感じる澱んだ空気。身体の震えが伝わったらしい。父は鼻で笑って、容赦なく俺をベッドに投げ落とした。高熱を出したような節々の痛みが、痺れるような感触を四肢に走らせる。
一歩、父がベッドに乗り上げてきた。ギシ、と軋む音に悪寒がする。後退ろうとした足を直ぐに掴まれた。近くまで引き寄せられ、顔を背けると髪を掴まれ痛みが走る。
「何被害者ぶってるんだ?お前があいつを殺すんだよ」
ひ、と喉が引き攣った。
見開かれた目に心臓が止まる心地がして、シーツを握る手がぶるぶると震えた。
「なあ美月、もう分かってるだろ?」
父は口の端に仄暗い愉悦を浮かべ、続けた。
「夏目はな、お前の代わりにしてくれって言ってきたんだ。信じられるか?散々お前がどんな目に合っているかを間近で見てきて」
吐き捨てるように、父は言った。
俺だって、あり得ないと分かっていた。でもその優しい嘘に縋っているうちは、救われたから。欲しい正解以外は、要らなかった。知らない、覚えていない、そんな甘い言葉で、罪悪感は簡単に誤魔化せたから。
「驚いたよ。でもな、私はその願いに乗った。何でだと思う?」
これまで父にされた暴力と凌辱の限りが、走馬灯のように頭を駆け巡った。肺いっぱいに砂を詰められたような、胸が詰まる心地がした。深淵のような絶望が、喉の直ぐそこまで迫って言葉を凍らせる。震える唇が、父の問いに答えられる気がしなくて。
「あぁ…美月」
ぐい、と頬をを掴まれ、戦慄した。狂ってる、と一目で分かった。爛々と輝いた瞳で、父は言った。
「その顔が見たかったんだ」
ガクガクと前歯が擦れて、指先が冷え切っている。
誰か、誰か助けて。こんなのもう嫌だ。
「この四年間、楽しかったか?自由になれたとでも思ったんだろう。でも、残念だったな、美月」
結局自分には、何もなかった。人の優しさを食いつぶして、結局全て父の掌の上だった。
「私はお前だけを愛してるよ」
ちがう、と口にした。声はもう出なかった。
腕が取られる。ガチャ、という音と共に、冷たい鎖の感触が皮膚に染みた。
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