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【13】秘密の帰り道
なぎ先輩やスタッフさんとは数回の打ち合わせのみ。通話で読み合わせや動きの確認はしてあるものの、恒例のほぼぶっつけ本番。
加えて、なぎ先輩には秘密の終盤シーン。最後の最後は、まるきり僕のアドリブ。
自分でも、ひやひやもののリスキーな公演だったと思うけれど……
(よかった、成功して)
あらたや実織さん、香夏子さんたちの称賛を受けながら、地下の控え室に戻った。
控え室では香夏子さんがなぎ先輩に小さな花束を渡し、これまでの感謝を伝えるプチ送別会が開かれたりもして。
学校に戻り、メイクを落として着替えを済ませて。
「……ふぅ」
普段の自分に戻って、ようやく僕は人心地つく。
それまではまだ、心をステージに置いてきたように現実味がなく、足元がふわふわしていた。
(終わっちゃった。なぎ先輩の、最後のステージ……)
でも、伝えたいことはきちんと伝えられた。離れてしまう先輩に、僕が最後に贈りたかった言葉。
(どこまで届いたかはわからないけど、言えた。これでもう、思い残すことは……)
「麻青」
「!」
考えながら帰り支度を進めていた僕は、背後からの声に手を止める。
「は、はい」
振り返ると、すでに荷物を手にしたなぎ先輩が立っていた。真顔でまっすぐな視線を向けられ、思わず鼓動が速まる。
(なんか、どんな顔してたらいいかわかんないや……)
ステージでは『そうだね』と微笑んでくれた。
あれは『兄』であると同時に、なぎ先輩の想いでもあると感じた。けれどこうして素の状態で向き合うと、照れくささもあって正解の対応に迷ってしまう。
「帰る前に、少し話せる?」
ひそかに混乱している僕とは対照的に、先輩は落ち着いていた。
「二人で話したい」
(僕と……?)
「あ、えと……僕は大丈夫ですけど……先輩はいいんですか?」
「いいって?」
「いや、最後だし、実織さんたちと打ち上げとか、ご飯とか……?」
「そんなの実織がやりたがるわけないよ、今日は。『あんたたち早く二人でどっか行け』ってとこじゃない。だからほら、話しにも来ないでしょ」
(……? 実織さん、都合が悪いのかな?)
実織さんは離れたところで衣装にブラシをかけている。ちらっと見たけど、こちらの目線に気づく様子もなかった。
「もう出れる?」
「あ……はい、出れます」
まだテーブルに置いてあったハンドタオルとスマホを、急いでバッグにしまう。
残っている実織さんたちに「お疲れさまでした」と「ありがとうございました」を言い、同じ言葉をたくさん返してもらいながら部屋を後にした。
校舎ビルを出ると、先輩は特に何を言うでもなく駅までの道を歩き出す。僕も隣を歩いた。
先輩の歩調は、いつもよりやや遅い。ゆっくりと歩を進めながら、最初の角を曲がったところで視線を空に向ける。
「……月、出てるね」
「……はい。三日月ですね」
冬のキリリと冷えた空に浮かぶ、細い月。
(なぎ先輩の空だ)
しばらく月を眺めながら無言で歩き続けた。二人分の足音だけが続く静寂を、やがてなぎ先輩が破る。
「ちゃんと報告してなかったけど、大学は合格したよ」
「! そうなんですね、おめでとうございます!」
(よかった、第一志望に合格して……!)
「ふふ……うれしそうな顔」
「うれしいですよ! 本当におめでとうございます」
「ありがとう」
薄く微笑んで、先輩はすぐに続けた。
「今日のステージも、ありがとう」
「……いえ。何ができるだろうってたくさん考えたんですけど、僕にできるのはあれくらいかなって。大きなお世話かもしれないけど、でも……」
「そんなふうには思ってない。麻青にしかできないことだよ」
言いながら先輩はバッグのサイドポケットを開ける。中から、ステージ上で渡したあの小瓶を取り出した。
「これも、麻青の言葉もちゃんと受け取ったよ。……この種、育ててみるね」
「ぜひ! それ、僕んちの庭に咲いてた花から取ったやつなんです」
「え、そうなの?」
「はい。なんて花だったかな……お母さんから名前とか育て方はメモもらってるんで、後で送りますね!」
勢い込む僕がおかしかったのか、先輩はクスクス笑いながら「うん」と答えた。
「そうか、あの庭に咲いてた……じゃあ、絶対に綺麗な『幸せの花』が咲くね」
小瓶を見つめながら目を細める。その面差しがとても柔らかくて、僕の心臓がドキリと音を立てる。
(こんな顔で笑うの、初めて見たかも)
彼の笑顔は、いつも奥底に冷たさやはかなさが潜んでいた。でも今は、それがまったく感じられない。
横顔に見とれているうちに駅前へ到着した。どうするんだろうと思ったけれど、先輩は「あっち」と指をさす。
駅前広場──僕が夏休みにバイトしていたコンビニからも見える、なぎ先輩が最初実織さんたちとの待ち合わせに使っていた場所だ。
そこにあるベンチに、僕たちは並んで座った。
クリスマスソングが、乾いた風に乗って僕たちの上を通り過ぎていく。
「すぐ行動に移せるかはわからないけど、両親ともきちんと話してみようと思う」
小瓶をバッグにしまってから、先輩は静かだけどはっきりした声でそう言った。
眼前の人波をぼんやり見ていた僕は、ハッと横を向く。
「それって……」
「これまで伝えてこなかったことを、全部話すよ。オレには養父母と同じようには考えられないこともたくさんあって、汚い感情も渦巻いてる。その本音をずっと隠していて、苦しかった」
そう話しつつも、先輩の表情に苦悶はない。これまで同じ過去を吐露する時にうかがえた陰りは、もう見えなかった。
「オレはあの人たちみたいな善人にはなれない。でも、これがオレなんだって」
「先輩……」
(僕は、あなたの抱いてきた感情が汚いなんて、これっぽっちも思わない)
実の親に別れを告げられ、施設に入って。初対面の第三者に引き取られて。
どれほどの孤独や生きづらさを味わってきただろう。恵まれた環境で育った僕には想像しようもないほど、寂しく不安な日々だったはずだ。
ネガティブな感情は、全部なぎ先輩の心の叫び。それを間違いだなんて誰にも言えない。
(でもそれを汚い感情で、そんな自分が悪いって先輩は思ってきた。そう思えることこそ、先輩の心が綺麗で、人に優しい証拠なのに)
「幻滅されるかもしれないけどね」
片方の眉だけ上げて、先輩は自嘲的に笑う。
「されないですよ、絶対」
僕は力を込めて断言した。
「先輩は汚くなんかない。苦しいのも怖いのも、許せないのだって、汚いっていうのとは違います。少なくとも僕は──」
その先をありのまま口にするか、ごくわずかに迷った。でも、伝えることにする。こうして話せるのも、これが最後かもしれないから。
「僕は、先輩が汚いっていう感情も抱えてる、そのまんまの先輩をすごく綺麗だと思って、好きになりました」
「っ……」
先輩が息をのむ音がかすかに聞こえた。大きく開かれた瞳が、僕を映して揺れている。
これ以上困らせないよう、僕は間をあけずに話を続けた。
「万がいち幻滅されたとしても、別にいいと思います。誰がどう感じようが、それよりも大事なことがある。僕には、先輩が先輩らしく生きることのほうが大事です。先輩は、先輩の幸せを探せばいいんです」
「……オレらしく、か」
「はい。とにかく先輩が幸せじゃなくちゃ。幸せそうな先輩を見てたら、今はわかってもらえなかったとしても、いつかきっとわかり合えます。先輩のことを大事に思う人なら、絶対に」
義理のご両親がなぎ先輩を大切に思っているのは間違いない。
(ステージで『弟』として伝えた通り……僕は、必ずそんな未来が来るって信じてる)
「はは、また背中押されちゃったな」
なぎ先輩は僕から目線を外し、体ごと正面を向いて背もたれに背中をあずけた。ぐっと背筋を伸ばして虚空を見やった先には、今も三日月が浮かんでいる。
「近いうちに、ちゃんと家族に向き合う。……麻青がいなかったら、多分一生こんなふうには考えられなかったと思うよ。本当に感謝してる」
そう話す目線は月に向いていたけれど、気持ちはしっかりと僕へ届いた。
(僕がいなくても、いつかは先輩一人の力で決められたかもしれないけど……それでもこう言ってもらえるならすごくうれしいし、力になれてよかった)
「ど、どういたしまして、です」
恐縮してぎこちない口調になってしまった。なぎ先輩が吐息のような笑みをこぼす。
「ふふ、うん。まずは養父母と話して……その後で、実の母親にも会ってみるつもり」
「え……お母さんとも?」
つい戸惑うような声を漏らすと、先輩が不思議そうにこちらを向いた。
「どうしたの?」
「いえ、えっと……」
(先輩の決意に水を差すつもりはないけど……)
「そ、そんなに一気に、大丈夫ですか……?」
以前は動揺して、家を飛び出したほどのことなのに。口で言うのは簡単だけど、心への負担が大きすぎないだろうか。
僕の意図を察した先輩は「ああ」と納得したようにつぶやいて、
「わからない。間違いなく気合は要るね。でも気持ち的には、今はそうしたいと思ってる。実の母親にも、オレが思ってきたことを伝えたい。だって──」
目元を和らげ、先輩は僕の頭にそっと手を置いた。
「ここまで麻青に背中を押してもらっといて、いつまでもぐずぐずくすぶってるわけにはいかないから」
「先輩……」
(……ああ、どうしよう)
困った。僕はまだ、今も……こうして触れられ、微笑んでもらうだけで、こんなにも鼓動が走り出す。うれしさと切なさの混じった感情が、甘く全身を締め付ける。
(泣いちゃダメだぞ。頑張れ、僕)
「……先輩がそういうふうに思ってくれるのはうれしいです。応援してますけど……でも、無理はしないでくださいね。急がなくても、ゆっくりで……」
「うん、わかってる。無理はしないよ」
そう答えた後で、なぎ先輩はちょっとバツが悪そうに口元をゆがめた。
「自分に意気地がないのはよく知ってるし。いざとなったら直前でビビり出すかもしれない。だからさ、その時は麻青に連絡していい?」
「え、僕にですか?」
「そう。麻青と話したら勇気をもらえると思うから」
2回、僕の髪を撫でて、先輩は返事を待っていた。だから僕は、視線を合わせて深くうなずいた。
「はい。僕なんかでよければ、いつでも電話してください」
「……ありがと」
安心したように先輩の頬がゆるむ。でもすぐに、再び少し緊張したような顔になると、
「あと今日、集合前にオレが店に行った件だけど……」
やや言いにくそうに、先輩は語尾を濁した。
「集合前……?」
(そういえば、バックヤードの床掃除をしてる時に先輩が駆け込んできたんだっけ)
本番のバタバタと興奮ですっかり忘れていた。でも、あの時先輩の様子がおかしかったことを思い出す。
(なんか汗だくだったし、僕のこと探してたみたいだったし。先輩も状況がよくわからないみたいで、実織さんに電話して何か話してたけど……)
結局事情がつかめないままだったので、実織さんとの待ち合わせに行き違いでもあったのかな、くらいに考えていた。
「あれがどうかしたんですか?」
「ん、いや……一応確認だけど、流音や実織からまだ何も聞いてはないんだよね?」
「……? はい、特には」
(舞台は成功したけど、何かそんなトラブルになってたのかな?)
どこかそわそわした気配の先輩を疑問の眼差しで見上げていると、彼はそれ以上の質問を避けるように立ち上がった。
「ならいい。また今度、ちゃんと話すよ」
「……今度?」
「うん。卒業までには絶対連絡するから、待ってて」
座ったままの僕の正面に立ち、先輩は静かに僕の瞳をとらえた。彼の目に宿った真摯な光に、引き付けられる。
「麻青からも、もう逃げないから」
揺らぎのない声でそう告げ、手を差し伸べた。
「──帰ろう」
「……はい」
(卒業までに、何を……?)
今はまだわからない。
でも、彼は何か大切なことを僕に伝えようとしてくれている。
(それなら僕は──その時を待とう)
伸ばされた手に、そっと自分の手を重ねた。
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