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土の視線(前編)02
俺の手を取り、幸せそうな表情で彼は言う。だけど彼がその幸せを共有しているのは、目の前にいる俺ではない。
「俺、最初にお前に伝えたくてさ。和田は俺の一番の親友だし! あーでも一個謝んなきゃならないのが、俺、相手の婿養子に入るから名字変わるんだ。来月からは本多じゃなくて■■って呼んでくれよな!」
浮かれた笑みを顔に貼り付けて、くるくると軽やかに彼は踊る。その視線が本当の意味で自分に向けられていないという事実に、俺は酷く動揺した。
彼が俺を見ていない? 今までそんな瞬間、一度だってなかったのに? 理解できない。彼にとって俺は唯一で、俺にとっても彼は唯一で、それ以外何も要らないって思い合ってたじゃないか。
言葉で伝えたことはないけど、お前も俺と同じ気持ちだっただろ? それなのになんで、いきなり、そんな。
困惑と焦りで頭がうまく動かなくなる。このままじゃ彼をどこの誰とも知らない女に取られてしまう。そんなの許せない。なんで、どうして、お前には俺がいるのに。
支離滅裂な逆恨みが脳裏を駆け巡り、それでも理性は表情を取り繕って笑顔の形にする。
嫌だ。どこにも行かないで。こんなこと言えない。嫌われたくない。でも俺は、俺は――
「なあ、和田も俺たちのこと、祝福してくれるよな?」
歌うように、確信に満ちた声色で彼は問う。俺の手を支えにして後ろにステップを踏む。俺は、ふと生まれてしまった悪意を我慢できなかった。
彼と握り合っていた手を離す。俺の手を頼りにしようとしていた彼の体重は、彼自身の体を大きく後ろに傾かせる。驚きで目を見開いたまま、彼の顔がどんどん俺から遠ざかる。
そうだ。そのまま転んでしまえ。いつだって俺が味方をしてやると思ったら大間違いだ。俺を先に裏切ったのはお前だ。お前なんて、俺に拒絶されて傷ついてしまえ。
そんなささやかな悪意の代償は、勢いよく倒れ込んだまま動かなくなった彼の姿として、俺の前に現れた。
「ほ、本多……?」
仰向けに倒れ、半分だけ目を開けた状態で彼は脱力していた。その後頭部にはちょうど落ちていた瓦礫が食い込んでおり、傷口からはやけに明るい色の血と脳漿が床にこぼれ落ちている。
死んでいる。
どんな素人が見てもすぐに分かってしまうその事実を認識し、俺は頭をかきむしって滅茶苦茶な悲鳴を上げた。
吹き荒れる重く濁った感情と焦りと混乱。その只中に放置されたその時の俺の記憶は、後から思い返しても曖昧な部分が多い。必死に名前を呼んで体を揺さぶったり、泣いて縋ったり、謝罪を繰り返したり――どうすればいいのか分からなくなって、トーク履歴の一番上にいた人物に助けを求めたような気もする。
「……先輩、先輩! しっかりしてください! 俺が分かりますか!?」
「北、川……?」
強く肩を揺さぶられ、正気に戻る。俺の前には焦った面持ちでこちらを覗き込む男性――会社の後輩である北川の姿があった。
「先輩、何があったんですか? その人は――」
「うぅ、あぁああ……北川ぁ……っ!」
はっきりと問いただされ、俺は目の前の現実を直視せざるを得なくなる。
親友が死んだ。自分が事故で殺した。殺意は無かった。でも悪意はあった。変えようのない事実をわめくように伝え、自分より二つ年下の男に情けなく助けを求める。
北川はしばらく黙り込んで俺を抱きしめた後、覚悟を決めた表情で提案した。
「埋めましょう。先輩は悪くありません。埋めて、隠すんです」
どうして北川がそんな提案をしたのかは分からない。ただ、その瞬間の俺は、深く考えずにそれに同意してしまっていた。
北川は俺が頷いたのを確かめると、急いでどこかへと去っていき、台車とシャベルを持って戻ってきた。
本多の死体を折り曲げるように台車に乗せ、俺たちは廃墟の裏手へと向かう。廃墟の裏はおあつらえ向きにかつてゴミ捨て場であったらしく、少し雑草を避ければ穴を掘るための場所は確保できそうだった。
シャベルを手に取り、俺と北川は死体を埋める穴を掘り始める。普段、運動から遠ざかっていたせいか、そこまで暑くもないのに俺たちはすぐに汗だくになって、息もぜえぜえと荒いものになっていく。
ここに来るまでにかなり飲んでいた俺は、ものの十数分で使い物にならなくなって、北川に休憩を指示された。
自分がやらかしたことのせいなのに悪いという気持ちはあったが、体の疲労だけはどうすることもできず、俺は穴を掘る北川から少しだけ離れた位置でぐったりと座り込む。
ざくざくと土を掘る音。夏の虫が鳴く声。薄闇の中でシャベルを振るう北川の姿が、ふと本多と重なる。それを自覚した瞬間、俺は自分のことが心の底から嫌いになった。
親友を殺しておいて、それを一緒に隠すと言ってくれた相手に、その親友の姿を重ねて見るなんて最低だ。たしかに北川の背格好は本多と似通っているけれど、そんな勘違いが許されるわけがない。
深く息を吐く。体が重い。生ぬるい風が吹き抜ける。このまま意識を失って、いっそのこと死んでしまいたい。
自己嫌悪の海に溺れるように俺の意識は闇へと沈んでいき、誰もいないたった一人の空間を揺蕩い始める。
ふと、誰かが俺の指先に触れる。俺のことを見つめている。手を取り合って、体を動かして、何もない場所で俺をまっすぐ見ながら俺と踊っている。
本多、ごめん。でも俺を見てくれ。お前の視界に映ってるのは俺だけでありたかったんだ。頼む、俺以外を見ないでくれ。
目の前の本多はその望みに応えて、俺だけを見つめたまま一緒にダンスを踊ってくれた。指が絡み、離れ、肌が触れあい、少し荒い彼の呼吸がはっきりと耳に届く。
ずっとこの中に浸っていたいと望むほどの幸せな空間。やがてそれは終わりを告げ、目を開けた俺の前には、罪悪感からか表情を暗く曇らせる北川の顔があった。
「……あいつと踊ってる、夢をみたんだ」
ぽつりとそれだけを言うと、北川はしばらく何かに耐えているかのような苦しそうな顔をした後、俺の体を抱え起こしてくれた。
「帰りましょう。死体はもう埋めましたから。全部、終わったんです」
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