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土の視線(後編)02
その事実を認識した瞬間、俺の胸を満たしたのは高揚だった。
邪魔者が消えた。これで和田先輩は俺のものだ。
しかしその舞い上がった気持ちは数秒で消え去り、後に残ったのはひりひりと迫り来る焦りだけだった。
先輩が人を殺してしまった。どんな理由があってもそれは社会的に認められるものじゃない。彼はじきに警察に捕まって、会社も解雇されて、自分との関わりは完全に断たれてしまう。
それでもいいじゃないか、と次々に男を乗り換えてきた自分は言う。そんなの耐えられない、と彼にすっかり執着してしまった自分は言う。
結局どちらの自分を支持すればいいか分からないまま、俺は和田の肩を揺すって声をかけていた。
「……先輩、先輩! しっかりしてください! 俺が分かりますか!?」
「北、川……?」
和田はゆっくりと顔を上げると、うつろな目で俺の存在を視界に捉えた。底なしの闇のような淀んだ瞳に苛立ちと焦りを同時に覚えたが、何とかそれを飲み込み、彼の前にかがみ込んで正面から問いただす。
「先輩、何があったんですか? その人は――」
「うぅ、あぁああ……北川ぁ……っ!」
彼はぐしゃぐしゃに顔を歪めると、俺の胸に縋り付いて声を上げて泣き始めた。
普段は誰からも愛される優等生めいた男が、幼い子供のような顔で泣きじゃくっている。しかも、他ならぬ俺だけを頼った状態で。
俺は、彼が顔を上げてこちらを見ないことを強く願った。今の俺の顔は、愉悦と勝利の確信で醜く歪んでいる。すぐそこで死んでいる名も知らない男より、今この瞬間だけは俺の方が優先されている。彼の視線は俺に向いている。
だけどそこから彼が吐き出し始めた懺悔の言葉に、俺のその優越感は粉々に破壊された。
唯一無二の存在だと思っていた高校時代の友人。そんな人物に突然結婚を告げられ、絶望して、ささやかな拒絶で仕返しをしようとして、運悪く死んでしまって。
「俺、もう、生きてる価値なんかっ……!」
何度もしゃくり上げながら彼は言う。想いに応えてくれないまま死んでしまった男の後を追いたいと、繰り返す。
悔しかった。こんなに必死になって近付こうとしている俺には目もくれず、もういない男にばかり視線を向けている彼が恨めしかった。
このままでは勝ち逃げされる。殺人という事実を和田は一生背負って生きていくことになるし、もしかしたら彼自身の言葉通り、後追い自殺をしてしまうかもしれない。
それだけは許せない。俺は、この死体に勝ってみせる。これはチャンスなんだ。
「埋めましょう。先輩は悪くありません。埋めて、隠すんです」
まっすぐに彼の顔を覗き込み、力強く諭す。それが最善の解決策だと思わせる必要がある。拒絶なんてさせない。この男の死を一人で背負うなんて許さない。
できるだけ真剣な顔を作って、その裏にある醜い本心を悟らせないよう、じっと彼を見る。
和田は、途方に暮れた迷子のような顔のまま、こくりと小さく頷いた。
「道具を取ってきます。ここから動かず待っていてください」
彼に頼られたという喜びを押し隠し、俺は立ち上がると、車に積んできたシャベルを取りに足早に歩き出した。
清々しい気分だった。和田にとってのあの男はすでに、隠さなければマズい厄介な物体でしかないと言われたような気がした。
俺の勝ちだ。このまま一緒にあの男の死体を埋めて、罪を共有して、俺と和田は唯一無二の関係になる。そのためなら、自分の人生を棒に振ってもいい。きっとその覚悟がないと、彼は手に入れられない。法律や倫理なんて投げ捨ててやる。
熱に浮かされているような強く偏った想いを胸に、シャベルとその辺にあった台車を携えて俺は現場に戻る。
台車に男の死体を乗せると、和田は小さく口を動かした。
「……ごめんな」
それが誰に対するものなのかは分からなかった。彼の視線は死体に向いていて、だけど罪を共有してくれる俺に謝罪したようにも解釈できた。
瞬間的に熱された感情で手が震える。大丈夫。負けていない。俺の勝ちなんだ。己の中で煮えたぎる怒りと焦りに見て見ぬふりをして、俺は彼と一緒に男の死体を廃墟の裏へと運んでいった。
廃墟裏のゴミ捨て場で、俺と和田は穴を掘り始めた。軍手を忘れてしまったので、シャベルの柄の感触が直接手のひらへと伝わり、強く握って振るうごとに摩擦のせいで手の内側が鈍く痛みを主張する。
死体がある方向に目を向けたくなかった。あの死体に対して勝っているという確信がない今、もし死体の半分だけ開いた目を直視したら、敗北を悟ってしまうかもしれない。死体ごときに勝ち誇られて、平静を保てる自信がない。
ほとんど無言のまま穴を掘っていると、ほどなくして和田の体力が尽きてしまった。
肩で息をした状態で少しも手を動かすことのできなくなった彼に、俺は優しく声をかける。
「休んでいていいですよ。ただし、俺が埋めるところはちゃんと見ててくださいね」
和田は意識をもうろうとさせながらも頷いた。本当は最後まで一緒に穴を掘りたかったが、無理をさせて倒れられてもその後が困る。ならばせめて、共犯者である意識を持ってもらうために、死体を埋める瞬間だけは見ていてもらわなければ。
だが彼は、俺から少し距離を取った位置に座り込むと、そのまま脱力して寝入ってしまったようだった。
夏の虫の声にまじって聞こえてくる規則正しい彼の寝息に、俺は強い苛立ちを覚える。
報われない。こんなにリスクを冒して彼に尽くそうとしているのに、彼はこちらを見ることすらしてくれない。
腹の底から叫び出したくなるほどの怒りが込み上げる。死体一つ分ぐらいであれば収まるほどになった穴に死体を引きずっていき、乱暴に投げ捨てた。
無理な姿勢で穴の底に落ちた死体に、怒りをぶつけるように次々と土をかけていく。顔が覆われ、体が埋まり、その輪郭が見えなくなったところでようやく、俺はずっと動かし続けていた手を止めた。
空は既に白み始めていた。近付いてくる朝の気配の中、俺はきつく死体を埋めた地面を睨み付ける。
「負けたのは、お前の方だっ……!」
忌々しく顔を歪めて吐き捨てるも、土の中からの返事はない。それがまた苛立ちを加速させ、俺は怒りをはっきりと表情に貼り付けたまま、和田のもとへと向かっていった。
和田は相変わらず穏やかに眠りこけていた。だけどその目尻には涙の後が数本残されており、それが誰に向けられた涙なのか理解して、いよいよ俺は頭に血が上ってしまうのを堪えられなくなる。
「……ほん、だ…………本多、いかないで…………」
うわごとのようにぽつりと呟かれた言葉。
それを聞いた瞬間、今まで耐えてきた俺の理性は怒りと衝動によって完全に塗りつぶされた。
酷い。あんまりだ。こんなに俺は、彼のために必死なのに。
彼に覆い被さり、無防備に横たわるその体に手を伸ばす。彼を傷つけてはいけないと主張するべき理性はもう消え去り、暴力的な衝動だけで彼の体を暴こうとしている。
シャツのボタンを外し、少し痩せた胸と腹に手を這わせる。俺の手のひらの温度に驚いたのか、彼の体が小さく跳ねた。
「目を、開けないで」
祈るように囁いて、彼の首元に触れる。指で喉をなぞると、もっと触ってほしいと望んでいるかのように無防備に喉をこちらに晒してきた。
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