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吊られた男(前編)01

 心中というのは、ひとつの他殺死体と、ひとつの自殺死体でできているらしい。  誰かが言ったそんな言葉を、俺は呆然と思い出していた。  俺の目の前には一人の女の死体があった。天井から吊られたロープで首を吊っている彼女は、俺の恋人であり、義兄の再婚相手だった。  そもそも義兄の雅司は、俺の姉の結婚相手だった。婿養子として我が家の屋敷にやってきた雅司だったが、結婚の翌年、俺の姉は突如として失踪した。別の男と駆け落ちしたとも言われているが、正確なところは未だに分からない。  とにかく一人残されることになった雅司を、両親は正式に養子として迎え入れた。彼は見目も麗しく、何事もそつなくこなす優秀な男だったからだ。  少なくとも、何をやらせても平均以下の俺に家を継がせるより、マシだと判断したのだろう。  雅司のことは好きでも嫌いでもなかった。最初から家を継ぐのは面倒だと思っていたので、突如現れてこの家の全てを手に入れようとしている雅司に、密かに感謝すらしていた。  そんな雅司が再婚し、その相手の女性に俺が惚れてしまったのが、全ての間違いの始まりだった。 「裕也さん。私、あなたと結婚したいわ。あんな男よりあなたの方がずっと素敵なんだもの」 「でも……君には義兄さんがいるのに」 「私は真実の愛を貫きたいの。その証拠を見せてあげるから、明日の深夜、この場所に来てちょうだい」  気の強い彼女に押し切られ、俺は約束通り、指定された廃屋へと深夜に向かった。だけどそこで待っていたのは――天井からぶら下がり揺れている、物言わぬ彼女の死体だった。 「ひっ……な、なんで、嘘だろっ……!?」  それが彼女の死体だと気付いた瞬間、俺はその場で腰を抜かしてへたり込んだ。  うまく立ち上がることもできずに、手足を必死で動かして後ずさろうとしていると、ふと彼女の足元に書き置きが残されていることに気がついた。 『先に逝きます』  たった六文字のそれは、酷く乱れた筆跡で書かれた彼女の遺書だった。その文字列が意味するところをじっくりと時間をかけて飲み込んでいき、俺は彼女が何をしたかったのかを理解する。  心中だ。彼女は心中のために俺をここに呼び出して、こちらの了承も得ないまま勝手に先に死んだのだ。 「何だよそれ……聞いてないぞっ……」  一方的かつ中途半端に果たされてしまった心中現場を前に、俺はただ絶望で震え続けることしかできない。  義兄の妻に横恋慕してしまった罰なのだろうか。こんな顛末が両親に知られたら、家を追い出されてしまう。  学もなく、体力もない自分が、屋敷から追い出されて生きていけるはずがない。どうすればいいんだ。どうすれば。 「はぁっ……はぁっ……」  焦りと緊張で過呼吸気味になってしまいながら、俺はよろよろと立ち上がり、部屋の隅に積み上がっている放棄されたガラクタの山へと歩み寄る。  とにかく、自分のなすべきことをしないと。求められていることを、彼女の後を追って、心中を成立させないと。  自分の意思とは乖離した義務感で俺はガラクタの中を漁り、一本のロープを引っ張り出す。古ぼけてボロボロになっているその麻縄は、今の俺には死神の鎌のように恐ろしいものに見えた。 「はっ、はぁっ……大丈夫、やりとげないとっ……」  自分が生きたいのか死にたいのか、彼女を愛しているのかなんてもうどうでもよかった。とにかくこのロープを使って首を吊らなければ。混乱した頭はその思考だけを頼りに体を動かして、俺はつたない手つきで天井からロープを吊すと、その輪へと首を入れた。  最悪の人生だった。誰のためにもならず、何も成し遂げられなかった。これで終われるんだ。それでいいじゃないか。  意を決して足場を蹴り、首にぐっと縄が食い込む。あっという間に薄れていく意識の中、誰かが駆け寄ってくる足音が遠く聞こえた気がした。

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