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吊られた男(前編)02
首に何かがまとわりつくような感覚がしていた。苦しさで意識が緩やかに浮上し、口を大きく開けて空気を求める。
「かはっ……! はっ、はぁっ……」
閉じられていた喉が開き、肺に促されるままに必死で呼吸をする。徐々に酸素が全身に行き渡り、俺はゆっくりと目を開いた。
霞む視界に広がったのは、見覚えのある天井の模様だった。三代前の我が家の当主が建てた洋館。その一室に俺は寝かされているようだ。
「ここ、は……」
視線を緩やかに彷徨わせ、自分が今いる部屋を把握しようとする。少なくとも自室ではない。俺の部屋はこんなに日当たりは良くないし、所蔵している古い本の匂いが染み付いている陰気な場所だからだ。
あまり見覚えのない内装に戸惑っていると、部屋の扉が開き、一人の清廉な印象の男性が入ってきた。
雅司。この家に養子として迎えられた優秀な義兄だ。
「義兄さん……どうして、俺ここに……?」
彼がいるということはここは、彼とその妻の部屋なのだろうか。
自分が夫婦の寝室のベッドに寝かされているという可能性に思いいたり、俺は慌てて寝台から降りようとした。
「す、すみません! すぐ出ていくのでっ、ごめんなさい……」
「なぜ謝るんです?」
「だ、だって新婚夫婦の部屋に他人が入って、ベッドまで使ったなんて奥さんが知ったら……」
「君と彼女は愛し合っていたのに?」
平然と告げられた言葉に、俺の全身は硬直し、うまく呼吸ができなくなる。
「はぁっ……ご、ごめんなさ……はっ、はぁっ……」
「大丈夫ですよ、ゆっくり息をして。はい、吸って、吐いて」
「ぜっ、ぐ……はぁっ、はっ、はぁっ……」
いくら促されても俺の呼吸はマシにならない。
バレていた。義兄の妻と浮気をしていたなんて、世間に知られたら人生が終わってしまうのに。その上、当の彼女はあの廃屋で、俺を置いて――
「かはっ……ハァッ、っ、ぜぇっ………」
天井からぶら下がる彼女の姿が目の前にはっきりと思い浮かぶ。まるで自分だけ悪夢のようなあの瞬間に戻ってしまったかのような絶望の中、俺は息を求めて苦しい喉をひゅうひゅうと鳴らし続けた。
「……先に謝っておきます。すみません」
「えっ……ん、んぐっ………!?」
俺の口が雅司の口で塞がれ、早く浅くなった呼吸が強制的に中断される。
「んっ、ん……」
頭の中が麻痺してしまうほどの長い口付けを経て、過呼吸になっていた俺は正常な呼吸のリズムを取り戻していく。
やがて全身が脱力し、雅司の行動に己の全てを委ねようとした頃、俺の唇はようやく解放された。
「はぁっ……けほ、はぁ……」
「落ち着きましたか?」
「……はい、ええと俺、何と言えばいいか……」
「あなたが意識を失う寸前、何をしていたのか記憶はありますか?」
「何をって……」
深く長いキスのせいで鈍った思考で、促されるままに記憶を辿り言葉にする。
「彼女に呼び出されて、そこに行ったら彼女が死んでいて、それで……俺も死なないとって思って……」
ハッと気付いて、己の喉を触る。わずかにヒリヒリとした感覚があって、あの決断が夢ではなかったのだと否応にも理解してしまう。
「あ、あの、義兄さん」
「何でしょう?」
「その……彼女はどうなったんですか? 俺は……自殺に失敗したんですよね……?」
ボソボソと小声になっていく俺の言葉を雅司は受け取り、なぜか余裕のある穏やかな笑みを浮かべた。
まるで西洋の絵画のようなアルカイックスマイルを前にして、俺は場違いにもその顔に見惚れてしまう。
「知りたいですか?」
「え……」
「知りたいなら一緒に来てください。……大丈夫。俺は絶対に裕也さんの味方ですよ」
張り巡らされた糸の中に獲物を誘う蜘蛛のように、彼は優しく語りかける。俺には、それに同意する選択肢しか存在していなかった。
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