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吊られた男(後編)13

 早朝の風呂場には当然湯は張られていなかった。家の者が湯浴みをした後、使用人によって湯を抜かれた風呂場は、隅々まで掃除が行き届いているせいもあってどこか寒々しい。  服を脱ぎ、彼と一緒に浴室に入ると、広いはずの空間がやけに狭く感じた。  シャワーの蛇口をひねり、少し待つ。ボイラーが唸る音が遠くで響き、冷水は生ぬるいお湯へと変わっていった。  自分の体をざっと洗い流し、裕也へと向き直る。彼はこちらを見上げ、何か言いよどんでいるようなそぶりをしながらちょこんと座っていた。 「どうかしたのか?」 「あの……ご褒美をまだ、いただいていなくて……」  言いづらそうに目を少し逸らしながら言う彼に、自分が彼とした約束を思い出す。  戻ってきたら続きをする。そのご褒美のために一晩中頑張ったのに、約束を反故にされそうになっているということに不満を抱いているのだろう。  俺が黙っていると、彼はハッと気づいて慌てて浴室の床にひれ伏した。 「も、申し訳ありません……! も、文句なんて、言っちゃだめなのに、ごめんなさいっ……!」  ガタガタと震えながら平伏する彼を、俺はしばし見下ろし、そっとその肩に手を置いて顔を上げさせた。 「謝らなくてもいい。お前の要求は正当だ」 「でもっ……」 「そういう可愛いワガママなら歓迎だよ、むしろね」 「かわ、いい……?」  きょとんと目を丸くして彼は困惑の表情になる。俺は自分の口から愛に類する言葉が自然と出たことに驚きつつも、そんな自分に嫌悪を抱いていない己にも気付いていた。  無防備に見上げてくる彼に口づけをし、そのまま床へと仰向けに押し倒す。二度目の優しいキスに彼はまだ戸惑っていたが、一度目よりは素直にそれを受け入れた。 「んっ……んむっ、にいさまぁ……んっ……」  キスの合間に名を呼ばれ、自覚してしまった愛しさが込み上げる。愛着とも愛玩欲ともつかない感情が胸の奥底で荒れ狂い、焦れったさで苦痛を覚えるほど優しく、彼にキスを与え続ける。 「んっ、はぁっ……アッ、ぅ……!」  姿勢を変えた拍子に僅かに触れた彼の性器は見る見るうちに芯を持っていき、その敏感さにすら愛しさを覚えてしまう。 「俺を求めて喘ぎ続ける自慰は気持ちよかったか?」 「はい……とても気持ちよかったです……」 「その上、まだ欲しがるとはお前は強欲だな」 「うぅ……ごめんなさい……」 「いいんだよ。お前は俺を裏切らない。それで十分だ」  瞼に一つキスを落とし、痛々しいほどにほぐされつくした穴の入口へと己の性器を密着させる。 「入れるぞ。痛かったら言うんだぞ?」 「はい、にいさま……ンッ、あぁっ……来たぁ……っ!」  ずぶずぶと飲み込まれるように入っていく性器の感触に、彼は目を見開いてのけぞり、絶頂を繰り返す。俺は、一番奥まで到達したところで動きを止め、彼の絶頂が収まるのをじっと待ってやった。 「アァ……ぁっ……ッ……、はぁっ、はぁ…………」 「落ち着いたか?」 「はい……ありがとうございます……」  両手の指を絡め合い、組み伏せられた姿勢で、彼はこの世の誰よりも幸せそうに笑う。 「うれしいっ……しあわせです……、にいさまと、いっしょになれて、きもちよくて、すごくしあわせ……」 「……ああ、お前にそう言われるのは、俺も嬉しいよ」  彼の言葉を肯定しながら、ゆっくりと腰を動かし始める。 「ァ、……あっ、あっ……ン、あぁっ……!」  半分は本心で、もう半分は嘘だった。彼をこんな境遇に追い込んだのは幼き日の自分だ。だというのに、人としての尊厳を全て奪われた彼に無邪気に慕われ、罪悪感を全く抱くなという方が無理な話だ。たとえ己の行いを止めるほどのものではなくとも、仄かな気まずさとして己の中に確かにそれはある。  彼に裏切られたくない。見捨てられたくない。自分にはもう、彼しか心許せる相手はいないのに。  いつの間にか関係性が逆転していることには薄々気がついていた。だけど彼の心を望む己を消すことはできなくて、じわじわと這い寄るような罪悪感を抱えながら、俺は彼の言葉を肯定して、望まれるままに体を揺さぶり続ける。 「あっ……ア、あっ、ン……はっ、あぁっ、アッ……!」 「中に出すぞ。腹の底でしっかり感じろよ?」 「は、はいっ……ァ、あぁっ、アァ、ぁーーーっ………!」  一番奥に向かって、白濁を全て吐き出す。彼は己の中の脈動と合わせるようにひくひくと体を震わせ、中出しの余韻に浸っていた。 「にいさま……にいさま、あいしてます……」 「……俺もだよ。だから……どうか裏切らないでくれ」  懇願するように彼に言う。彼は恐ろしくも可憐な無垢なる妖精のように、くすくすと笑った。 「裏切りませんよ……おれにはにいさましか、いないんだから……」  自分の言い聞かせがうまく機能していることに安堵し、俺は彼を抱きしめる。  彼は自分のものだ。俺以外に彼を愛する者はいない。彼を手に入れるためなら、愛というものを認めても良い。  好きなのかは分からない。だけど愛している。他に代わりが居ない俺の共犯者。当主という同じ男に人生を狂わされ、共にこの家を壊そうとしている俺の共犯者。俺はそう思っているし、彼も断片的にはそう思っているはずだ。  だから、妻が行方不明となり新しく俺にあてがわれることになったあの女を、俺は許せなかった。

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