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④
休み明けの労働っていうのは、何回体験しても疲れるものだ。アパート前までたどり着き、ヘトヘトな体に鞭を打ちながら階段を登って行く。手前から3つめ、俺の自室の前に小さな箱が置かれているのに気づいたのは、階段を完全に登りきった時だった。
なんだろう。警戒しながら近づいて覗き込み、品名を見て安心した。フィギュアと記されているそれに、出勤前の出来事が頭に過ぎる。
ドアを開けた時に誰もいなかったのは、やはり車に荷物を取りに行ってたんだろうか。置き配にするなら鳴らす必要もないだろうに。疑問に思いながらも、箱を抱えて部屋へと入った。
バタンと玄関を閉める。それから鍵とチェーンをかけて振り返り、いつもと違う空気感に首を傾げた。でも、何がおかしいのかまでは分からない。少しだけ気配を探ってみてみるものの、何も思い至らない。分からないのなら、一旦保留にするしかない。もやっとするが、ここに立ち尽くしているわけにもいかず。靴を脱ぎ、部屋へと入ろうとした時。ふと、視界の端に捉えた物へ視線を向けた。直したばかりの御札が、また剥がれかかっていた。けれど、疲れて帰ってきたばかりの今、それの補修をする気にもなれない。結局はそのままにして、奥へと進んだ。
ダンボールと鞄を適当に床へ置き、そのまま風呂へと直行する。いつも通り熱い湯を頭から浴びれば、汗が流れ落ちていく。気持ち良さに目を閉じて息を吐いた瞬間だった。突如右腕に鳥肌がたった。次いで、悪寒のような感覚。9月に入ったとはいえ、蒸し暑さが続いている今、シャワー中に寒さを感じるのは異常だ。
(なにか、いる……?)
シャワーカーテン越しに、トイレが設置されている方向へと視線を向ける。特に人影はない。それでもなにかがおかしいのだと、全身へ感覚が告げてきていた。
確かめなければ。
カラカラに乾いた口内を一度湿らせてから、ゆっくりとカーテンに手をかける。深く息を吐き、瞬きの間に開く。
大きな音を立てて開いたカーテンの先、明るい洗面所には……何もいなかった。
リフレッシュのはずだったシャワーは、怯えながらの時間へと変わった。超特急で体を洗い終え、廊下へと逃げ込む。
あの男に入り込まれたかもしれない。そんな予感が頭を掠める。きっかけは昼間のチャイムだろう。できれば、宅配業者であって欲しい。そう願いながらスマホで追跡番号を追い、突きつけられた真実に手が震えた。配達時間は、19時台。
慌てて玄関に設置してある御札の元へと駆け寄り、剥がれて倒れていた部分を起こす。
「ひっ?!」
出かけた悲鳴を寸でのところで飲み込んだ。起こした御札は、3分の1ほどが黒ずんでいた。
カビなのか、ススなのか分からない。それでも、昨夜まで黄ばんでいた所は、その色を変えていたのだ。
15年怪異と付き合ってきたといっても、ここまで逼迫した状況は初めてだった。家に現れる通りすがりのモノと、意志を持ってここまで上がり込んできたモノとでは全くの別物だ。おまけに、同じタイミングで御札の色まで変わっている。どう考えても、今回の怪異の仕業としか考えられなかった。
これからどうしたらいいのか、想像も付かず途方に暮れる。自分の部屋に居るというのに、とてつもなく居心地が悪い。それでも他に行く宛もない。仕方なくリビングへと戻り、見慣れた部屋を見渡してから、大人しくベッドに座るしかなかった。
警戒のため、部屋の隅、廊下へと続くドアの場所をジッと見つめる。どれぐらいの時間が経過しただろうか。唐突に、手に収まっていたスマホが振動した。大きく肩を揺らして驚き、目を落とす。そこには、その後異変はないかと心配した朧からのDMの通知があった。朧、その名前にハッとする。
彼ならばなにか知っているかもしれない。藁にもすがる思いで、画面を叩いた。
【@___oboro:何度もごめん。大丈夫か?】
【@syuuu:やばい。部屋の中入ってきた。御札もなんか黒ずんでる。どうしたらいい?】
【@___oboro:それやばいかも。シュウって都内住み?】
【@___oboro:新宿まで出てこれる?】
【@___oboro:知り合いに祓い屋がいるんだ、そいつに御札もらいな。紹介する】
ぽこぽこと発言が続き、相手の慌て具合が見て取れた。朧がここまで焦るのは初めてだった。だが、自分の金銭状況を考えれば、ありがたいが受け入れ難い提案でもあった。だからといって、この現状を自分の力で打破する作戦は全く思いつかない。
振れない袖と自身のプライドとの天秤にかけるほど、5分。素直に情けない実状を打ち込んだ。金の切れ目は縁の切れ目。これで拗れるぐらいなら、財布事情を打ち明けて断るしかないだろう。
【@syuuu:めちゃくちゃ有難いんだけど、金無いんだ。申し訳ないけど、気持ちだけ貰っとく】
【@___oboro:待て待て! こっちから言い出してるのに金なんかとんないよ!】
【@syuuu:本当にいいのか?】
【@___oboro:これで金とったらソレ系の詐欺みたいだろうw】
確かに。打ち込みはしなかったが、朧の発言には同意しかない。くすりと笑いを零す俺に向けて、追加のメッセージが届いた。
【@___oboro:どちらかと言えば、シュウの反応が鈍った方が怖かったわ。襲われたのかと思ったw】
【@syuuu:悪いw てか、縁起でもないこと言うなw】
これには思わず軽口で応戦してしまった。俺の気持ちを紛らわせようとしてくれているんだろう。祓い屋の人との集合時間についてはまた連絡すると伝えられ、ようやく緊張がほぐれていく。
途端に、襲ってくる睡魔に欠伸を漏らす。時刻は4時前。そりゃあ眠いはずだと思いながら、ベッドへと身を倒した。タオルケットを体に巻き付けて目を閉じたら、思ったよりも早く意識を手放した。
◆
いやな臭いがする。
何かが腐ったような、腐臭に近い、そんな臭い。
胃の奥がひっくり返りそうになった。吐く、そう反射的に思ったのに、不思議と体は動かない。
代わりに、右手首にじんわりと熱が集まっていた。
どうしたのか。状況を確認すべく目を開けようとした。ふるりと瞼が震え、ゆっくりと動いていく。目を開けるだけでも、渾身の力が必要だった。何十倍もの時間をかけて開いた瞳。仰向けで眠っていたようで、薄暗い天井が見えた。カーテンの隙間から入り込んでくる外の光のお陰で、室内はしっかりと見渡せる。そこで、違和感に気付いた。
なぜ部屋が暗いのだろう。普段、部屋の電気を切ることは無い。出掛ける時、眠る時、どんな時でも常に灯しているはずの電気が、消えていた。
更に、腐臭が強くなる。それから、部屋の隅で何かが動いたのを視界の端でとらえた。
ずる……ずる……
ぼと、べちゃ……
何かを引きずるような音と共に、落ちる音がする。
嫌な予感がした。
部屋に入った時から。いや、昼間に玄関を開けてしまったあの時から、よぎっていた不安が形になっていく。
緩慢な動きで目視できる範囲へと近寄ってくるそれの姿。やはりと言うべきか。
ゆらゆら体を揺らしながら近づいてくるのは、バイト先で接近してきたあの男の霊だった。
「ッ!」
絶叫は声にはならず、ただ空気が抜ける音で終わった。金縛りのせいで動けない俺の元へ、男が間合いを詰めてくる。成す術もなくベッドの脇まできた男がぬっと顔を寄せた。気が遠くなるような腐臭に視界がぼやける。それでも、ここで気を失うわけにはいかない。睨みつけるような視線を返すも、相手は取り合うつもりはないようだった。
『ああ、おいしそう』
聞き覚えのある言葉。次いで、ギシリとベッドが軋む音。圧し掛かるように馬乗りになった男が、視界いっぱいに広がる。首でも絞められるんだろうか。ああ、こいつ、飛び降りのわりに意外と頭部の損傷は激しくない。現実逃避のように関係ないことを巡らせる俺の手首を、男が掴み上げた。強く引っ張られ、熱の集まっていた手首をじっと見つめている。
何をするつもりなのか。睨み続ける目の前で、男は俺の手首へと唇を寄せた。
(え……?)
未だに薄く残っている痣の上へと、軽く口付けを落とすこと数回。啄む様なものへと変わり、次第に力が籠められる。
ちゅ、ちゅ、と静かな室内に、異質な音が響く。理解が追い付かず、ただ呆然と見つめることしかできない。次第に動きが大きくなっていき、キツめに吸い上げられる。痕を付けるようなソレに、ゾクっと悪寒が走った。それから、滑り気のある感触。
こちらへ見せつけるように、何個もつけられた痕の上を舌先で舐めまわされていることを理解して、胃がせり上がった。気がした。堪えがたい吐き気を感じていのに、体は一切動かない。苦しくて、視界が滲む。
「う゛……ッ」
漏れ出る声に、男が笑う。執拗に舐めあげていた手首から顔を離したと思えば、相手の指先が手首から上へと上がっていく。黒ずんでいる爪先が、なぞるように肘から二の腕、肩へと這わされ、そのまま鎖骨へと至る。とうとう首を絞められる、そう覚悟して目を閉じた。
だが、その瞬間は訪れなかった。代わりに、蠢きは下へと移動していく。薄手のTシャツの上から、柔く胸をまさぐられる感触。
「ひ、ぅ……ッ?!」
詰めた声が口から漏れた。驚いて目を開く。目の前の男は、ニタニタとした笑みを浮かべながらあろうことか乳首を引っ掻いていた。
(な、なに……?!)
わけも分からず行為を見つめる俺の体を、男が触る。蹂躙するようなそれに、性の匂いを感じとり、今まで以上の嫌悪感に襲われた。何度も何度も、執拗に胸の先端を引っ掻き、優しく撫で、捏ねられて。いつしか、服の上からでもはっきり分かるぐらいに硬くなっていく。体が反応をし始めているのとは対照的に、気分はどんどん悪くなっていき、思考は恐怖で真っ黒に染まっていく。
『堪らない……』
何を言っているのか聞き取れなかった。とにかくこの男から逃れたい。気持ち悪い。助けて欲しい。
目を閉じて必死に吐き気と戦うが、無慈悲にも感触が体中へと這う。それが、更に下へと向かっているのに気づいたのは、下半身に触れられた時だった。
「ッ!?」
慌てて目を開く。信じられないことに、男の手が俺の急所へと触れられていた。ズボンの上から、萎え切っている股間を揉み上げられ、全身に悪寒が走る。一体、こいつは何をするつもりなんだ……?!
それから、生理的な反応をし出した体に絶望した。何度も何度も揉みしだかれ、柔らかいそこが徐々に硬さを持っていく。最後に抜いたのはいつだったか。堪っていたせいもあり、半分ほど勃ちあがり始めた自身。
「ん、ぅ……」
勝手に漏れ出る声が鼻にかかった。こんな男に感じさせられているのが屈辱だった。
嫌だ。やめろ。触るな……! そう叫びたい。今すぐに起き上がって、目の前の男を殴りつけたかった。
だというのに、金縛りは一向に解けず、体は動かない。
ゆっくりとズボンのゴム部分へと指が掛かる。中へと入り込もうとする動きに、首を振った。つもりだった。
(頼むから、触らないで……!)
必死に念じ続けていた時だった。ブーッと無機質な音が響いた。
通知を告げるスマホのバイブ音。突然の第三者の介入により、綻びが生じたように力が弱まった気がした。その瞬間に全力の力で体を動かす。軽い抵抗を感じはしたが、一拍おいてから勢いよく体は起き上がった。
「う゛え゛えぇッ!!」
喉元までせり上がっていた物が口から飛び出していく。トイレへ行く余裕もなく、ベッドから転がり落ちながら下にあったゴミ箱へ頭を突っ込んだ。胃の中の物を全て吐き出しても、気持ち悪さは一向に消えない。しばらく胃液を戻し続け、ようやく顔を上げる。うすら気持ち悪い胃を擦りながら、纏わりつく嫌悪感に顔をしかめた。あいつに触れられた箇所すべてが気持ち悪い。特に、直接触れられた腕は未だに鳥肌が立ったままだった。
「気持ち悪い……」
両腕を擦りながら、ゆっくりと立ち上がる。それから、やっと部屋の中を確認しなければいけないことを思い出す。虚ろな顔で見回してみても、何も変化はない。眠る前同様に、電気で明るく照らされていた。鼻をつくような腐臭も、何かが零れ落ちて汚れたであろう跡も、何もない。それなのに、まさぐられたあの感覚も、唇の感触も消えることは無かった。
ゆっくりとスマホを持ち上げた右手首に、無数の赤い痕が残っているのがその証拠だろう。
【@___oboro:祓い屋だけど、最短で今夜空いてるって。予定どう?】
点灯させた画面。通知欄に表示された短いそのメッセージを目にした瞬間、一気に体へ熱が戻っていく。両手でスマホを掴み上げて、返信を打ち込んでいく。
【@syuuu:行く。何時でもいい。相手に合わせるから、今日で頼む】
視界が滲んで、画面に水滴が落ちる。思っていたより限界が近かった。
◆
夜。バイトを休んでやってきた新宿には、たくさんの人間がいた。これだけ人がいる空間は苦手だ。どれが生者でどれか死者か、区別が難しい。それでも、今はそんなことを言っていられない。
なるべく目をあわせないように下を見ながら一歩を踏み出す。指定された東口の外、ライオン像の元へ小走りで向かった。本来なら、予定の時間までまだ30分以上ある。走る必要はないのだが、逸る気持ちは止められなかった。
人を縫うように進めば、額に汗がにじむ。シャワーで何度も擦った手首の痣は消えてくれず、仕方なく薄手のカーディガンを羽織ってきたせいだろう。
無事に集合場所へと到着し、横側へと立つ。手持ち無沙汰で、ポケットに入れていたスマホを取り出して、SNSを開いた。何気ない日常の呟きをぼんやり流していく。5分ほど経った頃だろうか。
ふわりと花の香りがした。どこか懐かしい、落ち着くその香りに誘われるように、顔を上げる。喧噪の中から、一人の男性がこちらへ向かってくるのが見えた。
少し長めの前髪から覗いている優しい瞳は、なぜだか目を逸らせないような強さを感じる。黒髪、というには色が薄い。くすんだグレーのような色の髪は、歩く度にサラサラと揺れていた。体型を拾わない大き目なシャツを身に付けているのに、清潔さを感じさせるのは、纏っている雰囲気が凛としているせいだろうか。綺麗な人だった。
見ず知らずの人だというのに、目が離せなかった。姿勢良く、品のある男性をただじっと見つめていれば、驚くことに相手はこちらの方へと向かってきた。
流石に見つめすぎてしまったのか。慌てて視線を逸らそうとするが、とうとう相手と目が合ってしまう。バチリと視線がぶつかった瞬間、男性がにこりと微笑み、小走りで駆け寄ってきた。
「すみません。シュウくん、ですか?」
「え、あ、はい……」
「良かった。すぐに分かりました」
「えっと、貴方は……?」
「ああ、これは失礼致しました。僕はカスミと申します。朧くんからお話を伺いました、祓い屋です」
思わず目を見開いてしまった。祓い屋なんて職業だ、和服だったり、数珠をジャラジャラつけてたりなんて、見るからに怪しげな人がくると思っていた。こんな一般人……むしろ、モデルと言われた方が納得できそうな人が来るとは思いもしなかった。
ポカンとしている俺を見て、祓い屋の男性、カスミは首を傾げた。ふわりといい匂いがする。
「シュウくん? 大丈夫ですか?」
「あああ、すいません! 大丈夫です!」
大袈裟に両手を振りながら声を上げた俺に、一瞬きょとんとした顔をしてから、すぐに笑ってくれた。こんなに優雅な大人の男性と話す機会など皆無のせいで、どう接していいのか分からない。挙動不審の俺に、カスミは気にする素振りも見せずただ穏やかに接してくれた。
「ふふ、そんなに緊張しないで。取って喰ったりはしませんよ」
「いや、あの、すいません……」
「とんでもない。さて、まずは約束していたものをお渡ししましょう」
そう言って、手に持っていた小さな紙袋を手渡してきた。反射的に受け取ると、中には更に小さな紙袋が1枚入っている。「中の確認を」と告げられ、言われた通り紙袋を開いてみれば、真新しい御札が確認できた。家にあるようなものではなく、霊験あらたかなものそうで、思わずカスミを見上げる。俺の表情で何を思ったのか察した彼は、俺の手へ重ねるようにして御札を紙袋の中へと戻した。
「何も言わず、受け取ってください」
「で、でも、」
「お困りなのでしょう?」
「それは、そうなんですが……」
被せるように言われて、思わず言葉を飲み込む。さすがにこれを無料でもらうには心苦しい。でも、全てが俺の上を行きそうなカスミに、俺が何かしてやれることは無さそうでもある。
戸惑っている俺に構うことなく、カスミは自身の鞄を漁り始めると、小さな箱を取り出した。
「それと、こちらも」
「これは……?」
「お香です。これにも効果があるのですよ」
開けた蓋の先には、クリーム色の線香が入っている。この人から香っている物と同じ、甘く爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
「夏椿ですよ。僕も好きなのです。いい香りでしょう?」
「ええ、そうですね」
柔らかく優し気なこの人にぴったりだと思った。同意した俺に嬉しそうに微笑むカスミを見て、思わず頬が緩んだ。甲斐甲斐しく紙袋へお香と、それを立てるためのお香立てだろうか、ガラス製の花形の入れ物をしまい込んでいく。そして、顔を上げた彼と目が合えば、今度は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「シュウくん、僕良いことを思いつきました」
「なんですか?」
「申し訳ないと感じるのでしたら、連絡先を交換してください」
「え、俺と?」
「ええ。たまに話し相手になってくださいませんか? それで、今回の件はチャラとしましょう」
「それは全然構わないんですが……」
正直、恐縮しまくっている俺への手打ちとして更に気を使ってくれているようにしか思えない。逆にカスミに負担をかけてしまうのでないかと心配になっている俺を他所に、目の前の男はスマホを取り出すと連絡アプリを立ち上げる。QRコードを差し出されてしまえば、断るわけにはいかない。自分のスマホを取り出して友達追加をしたら、ポコンと犬がお辞儀をしているスタンプが送られてきた。意外と可愛いスタンプだな、なんて思ってアイコンに目が留まる。オレンジ色の塊。
「アイコン、柿……? ですか?」
「あ、はい。僕の好きな食べ物でして……お恥ずかしい」
眉を下げて笑う姿に、一気に親しみが湧いた。綺麗な見た目も相まって、不思議な人って印象が強いせいで、勝手にカスミのことを決めつけていた。もしかしたら、連絡先交換も本気で話し相手が欲しいだけかもしれない。
「柿、美味いですよね。俺も好きです」
「シュウくん……! 君は、いい子ですね」
ぴえんとしている絵文字みたいな顔で見つめてくるカスミに、とうとう笑ってしまった。それに、カスミもつられるようにして笑う。お互い笑い合ってから、シュウくんと改めるように声を掛けられた。見上げれば、一歩距離を詰められる。俺よりも頭一つ分ほど背の高いカスミが目の前、後ろは像。まるで死角へと追いやられたような場所で、カスミに右手を触れられた。
「カスミさん……?」
壊れ物のように持ち上げられ、手のひらを返される。血管が見える手首の内側に浮かぶ薄い圧迫痕と、赤く散っている内出血。それを見て、カスミは痛ましい表情を浮かべた。
「触れてもよろしいですか?」
何と言えばいいのか分からず、頷きだけを返す。それに彼は礼を述べてから、そっと口づけた。
あの男にやられたのと同じ行為。それなのに、カスミがするそれは神聖な儀式のようにすら見えた。右手からじわりと熱が広がっていく。凍えていた体が少しずつ解けていくようだった。
触れるだけですぐに離れ、伏せられていた睫毛が上がる。色素の薄い瞳と目が合い、心臓が高鳴る。
「今は、これで」
微笑みながら解放された手が、なぜだか少しだけ寂しいと感じた。それから体が軽くなっているのに気づく。手首へと視線を戻せば、あの忌々しい痕が綺麗さっぱり消え去っている。
「え……?!」
「ふふ。カーディガンを羽織るには、まだ暑いですからね」
そういって笑う目の前の男性は、正真正銘の祓い屋だった。
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