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避難所 ①

   どうしよう。どうしよう。  荒くなる呼吸を抑えながら、震える手でポケットを探った。手に当たる硬い物を引っ張り出して、画面を点灯させる。玄関からなるべく視線を外さないようにロック解除のパスワードを入力した。何度もエラーを起こしながらもようやく開くと、すぐに連絡アプリをタップする。迷うことなく通話ボタンを押せば、無機質なコール音が響いた。5回ほど流れる呼び出し音に、息が詰まる。 (早く、早く出てくれ!)  そんな願いと共に画面へ目をやって青ざめた。今が、0時をとっくに回っている深夜だということを忘れていた。親しい間柄でもない相手へ突然電話するには非常識な時間帯。慌てて切ろうと指を動かした時、プツリとコール音が途切れた。 『シュウくん?』  聞こえてきた柔らかい声に、喉の奥が熱くなる。申し訳なさを感じながらも、スマホへと縋りついた。 「カスミさん……ッ!! ど、どうしよう、御札がッ、部屋にも入ってきたかも……!」 『シュウくん、まずは落ち着いてください』 「で、でもッ」 『カメラ通話に切り替えられますか?』 「え、は、はい」  言われた通りにカメラをオンにして、外側のカメラで玄関を写す。同じ光景が映り込んでいる明るい玄関。 「え?」  思わず画面と玄関を見比べた。  いない。なんだか、おかしい。  さっきまでは、見えなくても絶対にあったはずの違和感があった。それなのに、一瞬目を離した瞬間に、消えている。 『部屋の中を』 「あ、はい……」  スピーカーから指示が飛び、一拍遅れながらもカメラを動かしていく。何がおかしいのか自分でも上手く言えないまま、レンズはゆっくり振り返って、部屋の中をぐるりと映してから燃えた跡で止める。 『なるほど』  カスミの冷えた声に、胸の奥がざわついた。思ったよりも状況は良くないのかもしれない。 『カメラ越しなので言い切れません。ですが、これだけははっきりとしている』  そう言って言葉を区切られた。不安になりながら、カメラがオフのままになっている真っ暗な相手の画面を見つめる。 『その部屋には留まらない方が良い』 「ッ!」 『明日、いや、今日ですね。前にお会いした所まで来てください』 「わかりました……」 『今夜、身を寄せる場所はありますか?』 「いえ……朝まででも、危ないでしょうか……」 『あまりオススメはしませんが……お香はまだありますか?』 「はい……」 『では、朝まで、出来れば5時頃まで。絶対に火を絶やさないで下さい』  貰ったお香は後何本あるだろうか。短くて15分程度で燃え尽きてしまうあれで、朝まで持たせられるのか。何でもない時に、落ち着くなんて理由で馬鹿みたいに消費していた自分が憎らしい。万が一の時のためにと持たせてくれただろうに。カスミの善意まで踏みにじってしまったようで、胸が苦しい。 『……ュウくん、シュウくん!』  いつの間にか思考に沈んでいた意識は、カスミの呼びかけで引き戻される。我に返ってスマホの画面へと視線を向けると、真っ暗だったそこに、揺れる鋼色の髪が映り込んでいた。 「あ……」  酷く心配そうな表情でこちらを見つめているカスミの姿。いつの間にカメラを付けてくれたんだろう。こんなに俺のことを気にしてくれているのに、何をやってるのか。ゆっくりとインカメラへの切り替えボタンをタップすれば、自嘲を浮かべた俺の顔が映り込む。 「すみません、大丈夫です」 『シュウくん……』 「えっと、お香燃やし続ければ良いんですよね、やってみます」 『……申し訳ありません』 「え……?」 『僕の見立てが甘かった。お住まいはどちらですか? 今から向かいます』 「え?! いや、もう終電ないですよ?!」 『問題ありません』 「ダメですって! まだお香もあるし、やるだけやってみます!」 『ですが、』 「カスミさんにはめちゃくちゃ助けてもらってます! 朝までなら、俺だけでもなんとか凌げますから!」  気付けばそんなことを口走って、言い切るように通話を切ってしまった。  怖いし、助けて欲しい。今すぐにでも傍にいて欲しかったのに、どうしてこんな強がりを言ってしまったのか。全く理解が出来ないけれど、俺の態度のせいであの人が自分を責めるのが許せなかった。 「はー……何やってんだろ」  シンと静まり返る室内。ぼやきながら改めて燃え跡を見つめ、悪寒が走る。  そうだ、こんな浮ついた気持ちになっている場合じゃない。今は、カスミの言った通りのことをしよう。息を深く吐いてから、廊下へと一歩踏み込んだ。  新たなお香を平皿の上へ置くのはこれで何回目だろう。ゆらりと上る煙を眺めながら、小さく息を吐いた。  カスミからもらった一本ずつ焚くタイプよりも扱いやすさを考慮して、キッチンから持ってきた普通の皿を受け皿へと変えてベッド脇に設置した。  十数分おきに替えているお香も、もう残り数本しかない。朝までは、たぶん持つ。  でも、本当に朝まで持てば大丈夫なのか。  御札が燃えるような相手だ。お香なんか関係なく、襲ってくるかもしれない。  いや、違う。だからこそ、カスミは火を絶やすなと言ったんだ。  大丈夫。きっと、大丈夫。  ……本当に?  この部屋で凌げても、外は? 昼になったら安全になるのか? ああいうのは、昼間でも平気でうろついていたじゃないか。  ぐるぐると回る思考で、目の前が歪む。ベッドに腰かけているはずなのに視界が揺れた。極限まで追い詰められた精神のお陰で眠くはない。だけど、体は消耗しているんだろう。ひどく頭が痛い。  チラリと隣へ視線を向ける。スマホのタイマーを確認してから、頭を抱えた。狭い視界に写り込む自身の足と、見慣れた床。息を吐き出してから、肺いっぱいに香りを吸い込んでいく。少しだけ気分が晴れた気がして、ゆっくりと瞼を閉じた。もう一度、深く呼吸をする。もう一度。次第に混濁し始める意識は戻ることなく、プツリと途絶えた。 「ぁ、ん……ッ」  鼻にかかったような甘えた声。それからゾクリとした痺れが体を揺らす。ぐぽ、そんな聞き慣れない音と、感じたことのない感覚が走り抜けた。何かが体の中から抜け出ていくようで、だけど、抜け切る前に再び中へと戻される。何かが弾けるような音と一緒に体が揺れて、得体のしれない快感が走り抜けた。 「んぁッ!」  聞いたこともないような声が耳に届き、訳も分からないまま目を開ける。滲んだ視界の先で、にったりと笑う、あの男の顔があった。 「え……?」 『ああ、オハヨウ』 「え、え……?」  今の状況が理解できずに固まっている俺に構わず、男は再び同じ動きを繰り返す。バチュッと叩きつける音、揺れる体、感じる熱さ。 「ひぅッ?!」  少しだけ甘さを抑えた声が口から零れ出れば、相手が喉を鳴らして笑う。顔を寄せられ、強くなる腐臭に吐き気がした。 『おいしいねぇ、キミ』 「ッ!」  キスされる、と咄嗟に目を閉じる。本当は顔を背けて相手を押し飛ばしたかった。それなのに、体はこの前同様に動かない。辛うじて動くのはやはり目だけで、簡単に咥内へ何か滑り気のあるものが侵入してくる。小さく開いていた口をこじ開けて、冷たいものが這いまわる。歯をなぞるようにしていたそれが、舌へと絡みつき、吸い上げられた。あまりの気持ち悪さに喉の奥が強張るような気がしたのに、それ以上のことは起きなかった。  ジュ、と聞いたことのある音がする。それから、再び開始される律動。抉るように何度も体の中を突き上げられて、痛みと気持ち悪さが襲う。目覚める直前に感じていた快感は微塵もない。今あるのは、触れられたところ全部を剥がしたい衝動と、泣きたい気持ち。 「う゛ぁ゛ッ!」  痛みに堪えながら、もはや悲鳴を上げているっていうのに、動きは一向に止まらない。あんなボロボロな体にどんな力が隠されているのか、何度も内蔵を抉られる。咥内を犯していた唇はそのまま移動して、首筋へと歯を立てられた。焼けるような痛さに、声が詰まる。 『ハッ、よく締まる……!』  楽しそうに何かを言っているが、聞き取るほどの余裕がない。痛みと恐怖と怒りで頭の中がグチャグチャになりながらも、今、俺は、このストーカー幽霊野郎に成す術もなく、ただの穴として使われていることだけを思い知らされていく。  激しく叩きつける動きの後、中に入り込んでいたものが震えた。次いで、何かが漏れ出てくる感覚。何が起きたのか分かってしまったこと自体が気持ち悪くて、吐きそうになる。それでも、終わりだと告げるサインに息を吐いた。  だというのに、男は中を掻き混ぜるように再び動きだす。信じられず、目を開けば男と視線がかち合った。にたりと口の端を上げて笑う姿に、ずっと見られていたのだと悟り、屈辱感が湧き上がる。目の前が赤くなるような怒りを感じているのに、何もすることができない。キツク睨みつけるだけの俺を嘲笑った。 『俺に、チョウダイよ?』  ぐっと喉元に力がかかった。気道を封じられ一気に呼吸が止まる。藻掻きたいのに抵抗できない体は、ただ口だけがハクハクと動いた。異様な笑みを浮かべた男と共に、見慣れた天井がぐらりと歪む。  苦しい、悔しい、怖い。目の前が霞む。  薄れる意識の中、脳裏を過ったのは直前に見た心配そうなカスミの顔だった。 (断らなきゃ、良かったかなぁ)  後味の悪い思いをさせてしまいそうだ。謝るのは俺の方だよ。ごめんなさい。  仄かに、あの花の香りがした。

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