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🎼Lesson13《酒は飲んでも飲まれるな・前編》

「秋森くん、飲んでる~!?」 「可愛い~! 顔ちっちゃ! 肌ちゅるちゅる~!」 「秋森くん、こっちの席来なよー!」 🎼Lesson13《酒は飲んでも飲まれるな・前編》  仁と出会ってから初めてなことばかり経験している奏は、今まさに新たな「初めて」を味わっている最中だった。グラスを両手で握り締めて固まったままではあるが。  大学の飲み会に初めて参加した奏は、その規模もさることながら酔っ払った学生の真髄を見た思いだった。  普段から陽気なひとだけでなく、比較的大人びた学友たちまでもがアルコールが入るとこうも弾けてしまうのかと大きな目を瞬かせる。  目の前はさまざまな〝かたち〟で溢れ返り、チカチカとした光で何が何だか分からない。奏はただただ圧倒されていた。 「お前ら、あんま絡むな。奏、固まってんだろ。散れ散れ!」  すかさず隣に座っていた仁が助け舟を出してくれる。非難轟々の女性陣が矛先を変えて仁に絡み出すものの、慣れているのか仁はそれを上手くあしらっていた。 「はー……ったく、あいつら……奏、ちゃんと水も飲めよ」 「ん……すごいな、女の子ってあんなに喋るんだね。全然ついていけなかった……」 「酒と本能とパンケーキで生きてるやつらだからな」  カシスオレンジが半分ほど減ったグラスを少しずつ空けていきながら、奏は止まっていた息を吐き出す。ビールを豪快に呷る仁の喉元を横目でちら、と盗み見する奏の頬がほんのりと赤いのはアルコールのせいだけではないだろう。 (かっこいい、けど……笑うと顔くしゃってなるの、可愛い……)  ピアノの前に座っていない仁を間近で見る機会はあまりない。骨張った長い指が調律器具ではなくジョッキを掴み、真摯にピアノを見つめる眼差しが今は楽しげに広間へと向けられている。  知らない顔だった。だからだろうか、そわそわとドキドキが混ざって落ち着かない。 「ん? 奏、酔ってる? 顔赤い……ふ、慣れてなさそうだもんなあ……大丈夫か?」  酒が入っているからか、いつもより仁の瞳が熱を帯びていた。奏の火照った頬を撫でる人差し指の背も熱い気がする。  仁と話したいひとはたくさん居るらしく、ふたりで座っていてもすぐに誰かしらに声をかけられていた。仁を独り占めしている優越感と申し訳なさを抱えながらも、彼が自分を気にかけてくれるその仕草と言葉だけで奏の心は簡単に跳ね回ってしまう。 「平気……美味しいよ、このオレンジジュースみたいなやつ」 「カシスオレンジな。あんま度数強くないやつにしとけよ。酔ったら俺がお持ち帰りするからな?」 「……ばか」  喧騒の中でも仁の声は優しく耳に届いた。軽口でさえも初恋を自覚したばかりの奏にとっては、擽ったくて嬉しいばかりだ。  炭火の香りが食欲をそそる焼き鳥、肉汁あふれるからあげ、とろりとチーズが垂れるマルゲリータピザ、塩が効いたほくほくのポテトフライにふんわり優しい口当たりのだし巻き卵──奏が飲み会の席に居ることが珍しいのか、あれもこれもと食べさせようとする周りに促されるまま奏は懸命に頬張る。それを見つめる仁の柔い眼差しに気付いているのは、何も奏だけではない。 「……ふは、リスみてえ。かわい……」 「んぐ!? んんん! んむ!」 「はははは! なに言ってるか分かんねえし!」 「んんんんぅ……!」  この甘い空気に割り込める猛者は居ないのか、とふたりと同じテーブルに座ってしまった不運な男子学生が挙動不審に周りを見回す。けれど、女子の大半は聞き耳を立てて口元を緩めているだけだし、ほとんどの男子は酔っ払ってそれどころではない。  ちびちびと日本酒を舐めながら早くこの場を脱したいとばかり、テーブルの上の枝豆に一点集中していた視線をちらりと上げた先で、不意に奏と目が合ってしまった。 「徳永(とくなが)くん……だよね? チェロの。あっ……俺、秋森です」  ふわり、と奏が柔らかに、けれど、ぎこちなさを残した笑みを向ける。「徳永くん」と呼ばれた青年はまさか話しかけられるとは思ってもいなかったのか、驚きと共に何度か頷いた。 「……なに、奏……知り合い?」 「和声学の講義が一緒で……ね、徳永くん」 「あっ……!は、はい!」  どこか不機嫌そうな仁にジロリと見られるだけで徳永の背筋がピンと伸びた。  ふーん、と値踏みするような眼差しを無遠慮に送ってくる仁の隣で、仄かに頬が赤らんでいる奏がにこにこと笑っている。  奏のことを知らない同期は居ないだろう、と徳永は仁の視線から逃れるように丸い眼鏡を押し上げて愛想笑いを返してみる。  いつも一緒に居る友人たち以外と親しくしている姿は見かけず、乏しい表情とあいまって儚げな美しい横顔に見惚れた覚えのある学友も多い。けれど話せば凛とした空気は途端に和らいで、ふわりと静かに笑ってくれる主席の優等生──それが奏の周りからの主な評価だった。 「徳永くんのチェロ、上手なんだよ。大きなクスノキみたいな〝かたち〟で優しくてどっしりしてて」 「ほーん? 優しくて、ねえ……?」 「あっ…いや、その……僕なんて……!」  奏が徳永に話しかけるたび、褒めるたびに仁の瞳が鋭くなっていく。眉間の皺はどこまで深くなるのだろうか。酔っていてどこかぽわぽわと柔らかな空気を纏う奏は、それに気付いていないのか交友の輪を広げようと嬉しそうに徳永に話し掛けている。 「徳永くん、こないだのバッハの《無伴奏チェロ組曲》、すごく良かったよ」 「あー……はは、ありがとう……秋森くんも講義で弾いてたショパン、すごく……その、良かった……です」  奏が褒めると、仁の眉間に皺が一本増える。  徳永が応えると、仁の形相が険しくなる。  見た目の威圧感も足されて徳永はまさに蛇に睨まれた蛙状態だ。酒の味も分かったものではない。 「えーと……早坂くんも、あの……調律、上手いよね。教授のどんな難問にも応えれるって聞いたよ……天才だって。あっ! それにかっこいいしね」 「!! そう! そうなの! 見た目こんななのにさ、こいつが整音する時の音って柔らかくてすごくきれいで……水面に落ちた一滴が広がるみたいな〝かたち〟してるの!」  何とか無事に親睦会を終えたい徳永は、ライオンの檻に入るような気分で仁へ言葉を向ける。けれど、それに答えたのは当の本人ではなくて隣に座っている奏だった。  すっかり出来上がっている。  アルコールで溶けそうな瞳をキラキラと輝かせて身を乗り出す顔が真っ赤だ。 「……へえ? そんで? 徳永くんはプラスかっこいいって言ってるけど?」  仁が軽い気持ちで突っ込む。 「ん? うー? うん……へへ……かっこいいよ」 「!?」  あ、早坂くん死んだな──徳永は日本酒を一口含む。  手放しで褒める奏に気恥ずかしくなった仁が奏へ揶揄を向けたが、なにしろ状況が悪かった。慣れていない飲酒に理性も何もあったものじゃないのだろう。奏がぽやんとした顔で仁を見上げて四方八方から眺めたあと、ふにゃりと相好を崩した。  その笑みの破壊力たるや。  直撃していない徳永でさえ、思わず鼓動が一つ飛んだほどだ。  実際、それを目の当たりにした仁は言葉が出ないようで、暫し固まったあと首からじわじわと上ってくる熱を流すかのように一気にビールを呷っている。 「はれ……? お前も真っ赤だ……意外と酒弱いんだぁ」 「っ……あーはいはい。もうお前、頼むからこれ以上飲むのやめとけ……」  目の前で繰り広げられる甘酸っぱいやり取りは酒の肴にちょうどいい、と逆に楽しくなってきた徳永はまた一口、アルコールで喉を焼いた。

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