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🎼Lesson21《咲いた花火が散ったあと》

🎼Lesson21《咲いた花火が散ったあと》  貴央への違和感が喉に刺さった小骨のようで、奏はどうにも落ち着かなかった。けれど、落ち着かないのは何も貴央のせいだけでなく、神社の階段に腰を下ろした隣の男のせいでもある。 「ここ、結構穴場なんだよな……すげえ見えるのに人少ねえの」  持てるだけ買い込んだ屋台のものを抱えて、仁が得意げに笑う。  ピアノの前に座って言い合っている時ならまだしも、喧騒から離れて花火を待つ静かな状況では、時折触れ合う肩でさえ意識してしまう。実際にTシャツ越しの一瞬の熱に、奏の右肩は緊張しっぱなしだった。 (距離が近いんだよなぁ……陽キャの人ってパーソナルスペースとかないの? ていうかドキドキしてるのって俺だけ……?)  悶々と思考を巡らせながらも、努めて澄ました顔をしている奏を仁が見つめる。  本人は上手く取り繕っているつもりなのだろう。けれど仁の目から見れば、そわそわと落ち着きない様子が一目瞭然だった。  すべてに慣れていない初々しさが愛おしい反面、どうしても揶揄いたくなる可愛らしさがある。仁の指先がその誘惑に勝てず、そろりと持ち上がった。そして、ふに、と唐突に奏の頬をつついた。 「にゃっ!?」 「ふっ…ははははは! 『にゃっ』て! 猫かよ!」 「さ、触るなら触るって言え!」 「えー? 『触るぞ♡』『いいよ♡』って? なんかエロくね?」 「エッ……ろくない! ばか! 変態! もういい、ぜんぶ食べてやる!」  口ではどうあっても勝てそうにない。吊り上がった両眉の下を真っ赤に染めながら、奏はビニール袋の中へ手を突っ込んだ。指先に触れる固い感触を迷わず引っ張り出す。  奏の頬と同じくらい真っ赤ないちご飴が、てろり、と飴を纏わせて行儀良く三つ並ぶ姿は宝石のようだ。  それを眺める奏の瞳が、星屑が瞬くように期待でいっぱいだった。待ち切れなくて一粒かじると、かしゅ、と薄い飴が割れて果汁とともにいちごの瑞々しい甘酸っぱさが鼻を抜けていく。 「! うわ、いちご飴ってこんなに美味しいの!? 初めて食べた……!」  先ほどまでの顰めっ面はどこへやら、無邪気に破顔する奏の唇が艶々と濡れている。色っぽいはずなのに咀嚼する姿はまるで小さな動物のようだ。  ふたつめを口に運び、ひとつめと同じように感動している奏を眺める仁。彼の顔の筋肉は緩み切っていた。 「…………あっ」 「なに、どした?」  最後の一粒に食らいつこうと大きな口を開けたまま、奏がふと動きを止める。そして最後のいちご飴と仁とを何度か見比べたあと、名残惜しそうにいちご飴の串を仁に差し出した。 「……ひとりで夢中になってた。ごめん、食べるよね? はい、あーんして」 「……は?」 「……え?」  互いの頭の上に疑問符が浮かぶ。  仁は「あーん」してもらえるなんて夢かもしれないと思考が停止しているし、奏は奏で自分の言動に気付いていないのか訝しげな眼差しを向けていた。 「…………あっ!?」  先に正気を取り戻したのは、奏だった。  自分の言動にようやく理解が追い付き、見る見るうちに首筋を朱が這い上がってくる。差し出したいちご飴を今更引けず、意味を為さない言い訳がつらつらと唇からこぼれた。 「ち、ちがっ……いや! 違わないけど! そうじゃなくてっ!」  奏が必死になればなるだけ、濡れた唇が提灯の灯りを弾く。 「さ、最後の一個だし!」  耳の奥で、やけに心臓の音が大きく聞こえるのは気のせいだろうか? 「お、お前も食べたいかもって! 思って!」  仁の中に湧き水のごとく溢れる奏への愛おしさが、ついに決壊した。 (あー……だめだ、これ……頭働かねえ……可愛い、可愛い、……可愛い)  いちご飴よりも魅惑的に色付く濡れた唇に、視線が釘付けだった。 「……食べたい──けど、こっちの方が美味そうだ」 「えっ?」  誘われるように顔を寄せていく。  奏のまんまるに見開かれた淡い色の瞳の中で、熱っぽい表情の仁が映っていた。 「んっ……!」  ちゅ、と重なる唇から小さく濡れた音が漏れる。瞬間的に息を止めた奏が、ひと呼吸こぼしたあとで左右に視線を泳がせている。  応急処置、という理由付けのない口付けは、これがはじめてだった。 「……甘いな」 「ッ……そ、れは……飴、だし……ン、ぅ……」  まるで会話の続きとでも言わんばかりに再び仁の唇が触れる。  ぎゅう、と強く目を瞑って受け入れる奏を、薄目を開けて見つめる仁の右掌がそっと奏の頬を包んだ。  片掌で覆える頬の熱も、震える睫毛の先も、頑なに引き結ばれた唇も、すべてが愛おしい。 (……頭、おかしくなりそうだ……)  懸命に理性を手繰り寄せなければ、煮え立つような熱に促されるまま襲い掛かってしまいそうだった。  一度冷静になろうと仁は唇を浮かせる。  けれど絡まった前髪が解けるより早く、奏の指先が名残惜しさを伝えるかのように仁の服を控えめに掴んだ。 「は、っ……ふ……もぉ、おわ……り……?」 「っ……終わらねえよ」  掻き集めた理性が、奏の蕩けた声で散っていく。  全身の血が沸騰したのかと錯覚する。  最後の砦として宙を握っていた仁の左手が奏の腰を抱いた。  濡れた奏の唇を舌先でつつく。飴を舐め取るようにねっとりと唇をなぞり、動揺の隙をついて、遂に奏の内部へと侵入を果たした。 「ンッ……!? ぅ、っ、ぁ……ッは、ンん……!」  驚愕と狼狽が同時に奏を襲う。  逃げようにも仁の腕ががっちりと体を押さえ込んでいたし、頬を撫でていた右手はいつの間にか奏の丸い後頭部を包んでいた。  甘くて、熱くて、苦しい──奏の知らないキスだった。  絶対に離さないと強い意思を感じる腕とは相反して、奏の上顎を撫でる舌先は優しかった。  惑う奏の舌を緩やかに追い詰め絡め取り、呼吸を逃す隙を与えられる。ぢゅ、ぢゅう、と舌先を吸われる度にじんわりと腰に熱が落ちた。 「ん……可愛い、奏……可愛い。ッほら、いいこだから……ン、は……ちゃんと息しろ……」 「む、りぃ……ンんぅ……っ……ふぁ……!」  低くて掠れていて、色っぽい仁の声が鼓膜を静かに揺する。  仁の真似をしておずおずと差し出した舌を、すかさず捕らえ柔く歯列が食い込むと奏の腰がビクッと小さく跳ねた。  ──終わりの見えない口付けを、どれほど繰り返しただろうか。  気付いた時には仁に凭れ掛かりすっぽりと包まれた奏が、酸素を求めて胸を上下させる。その間も仁は容赦なく奏の頬と言わず目尻と言わず、顔中に唇を寄せていた。 (す、ごぉ……頭ふわふわする……けど、嫌じゃない……)  何も考えられない奏が、とろんと揺れる瞳を上向けた瞬間。 「──わあッ!?」  どん!と空気が揺れた。  遅れて視界いっぱいに広がる流星群のような光の粒。次から次へと昇っては散り、咲いては消える夜空を彩る大輪の花。  音と〝かたち〟がこれほどまでに合致することも珍しかった。閃光が走るとともに牡丹が咲き、光の瀑布が錦を散りばめたように夜空に溶けていく。 「おお……すげえ……」  言葉を失っていたのは仁も同じようで、奏を抱き締めたままその横顔を光で彩るキャンバスに変えていた。  花火が打ち上がる音か奏の心臓の音か、判別できないほどに高鳴る鼓動。  なぜか不思議と泣きたくなるような感傷。  奏は唇を噛み締める。  奏の視界は、花火がぼやけて仁の横顔が鮮明に映っている。 (……すき)  このひとが、好きだと全身が叫んでいた。 (……すきだ、どうしよう、……すき)  奏を揶揄うときの笑い方も、奏の名を呼ぶ甘い声も、ピアノに向かう情熱あふれる眼差しも、宝物のように触れる指先も、奏の心を守ろうとしてくれる優しさも。  すべてが、堪らなくなるほどに奏の胸を焦がす。  もう、黙っていられなかった。 「……す、き……ッ好き……! 俺のこと、どう思ってる……?」  喉からやっとの思いで押し出された小さな声は、奏の指先と一緒でみっともないほどに震えていた。  けれど仁はそれを嗤う人ではないことを、もう知っている。  なぜだか目頭が熱くなってくる。瞬きをしたら涙が溢れそうで、奏は必死になって仁を見上げた。  咲き続ける花火を映す仁の瞳が、ごく僅かに見開かれたように思えた──けれど。  仁は、一瞬だけ表情を強張らせたあと、ぎこちない笑みを取り繕って答えた。 「……え? 何? ごめん、花火の音で…………聞こえなかった」 「……ッ……何でも、ないよ……」  奏の一世一代の勇気の芽は、こうしてぺしゃんこに潰れたのだった。

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