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🎼Lesson25《決戦前》
奏たちの通う音大では、コンペティション形式の試験がある。今回もそのひとつだ。
ただし、数多の学生を抱えているため、ある程度の振り分けが必要になってくる。
🎼Lesson25《決戦前》
「秋森、おはよう」
「晃! おはよう、もう終わったの?」
「いや、俺は最後の方。今から瑛二が弾くみたいだから、聴きに行こうかと思って」
スーツを着た奏が学内の楽堂の扉を開けると、ちょうど晃と出くわした。ふたりは並んでホールへと向かう。
今日はピアノ科の予備選考だ。
大学構内にある楽堂で、課された楽曲を弾く。そして、ここで成績がつけられる。
上位数名が本選考である共同学科試験へ進み、街中のホールを貸し切ってコンサート形式で演奏するのだ。
「瑛二……今回の曲、苦手みたいでさ。昨日までうちで飲んで絡んで騒いだ挙句に俺の勝負ネクタイ持っていきやがった」
「ふふ……相変わらず仲良しだね」
ホールの後ろからそっと滑り込むと審査員である教授陣がずらりと並び、その後ろに学生たちがまばらに座っていた。
仁と理央の姿もあった。
(……まだ顔色悪そうだな)
こちらに気付いた理央が小さく手を振り、仁は気まずそうに目を逸らす。
奏と晃は、彼らと離れた席に腰を下ろした。
ステージでは、ちょうど瑛二が意気軒昂と袖から現れたところだ。奏と晃を見つけるなり満面の笑みでぶんぶんと両手を振る姿に、教授のひとりが頭を抱えながらマイクで注意していた。
「瑛二は……相変わらずっていうか肝が据わってるっていうか……ふふ、すごいよね」
「勘弁してくれ……」
すぐに軽快な音がホールに響き始めた。瑛二の声の〝かたち〟と同じだ。
苦手な曲と言うわりに、楽しそうに転がる音と瑛二の横顔が微笑ましい。
(相変わらず楽しい音の〝かたち〟だ。……あいつも、美術館で《猫ふんじゃった》弾いてたときは楽しそうだったな)
暗いホールの中でも、奏の目には仁の姿が鮮明に映る。落とされた照明のせいで、より一層、彼の顔色が悪く見えた。
何をしても何を聞いても仁へと結び付けてしまう自分に、奏は初恋の甘酸っぱさと失恋の苦さを同時に味わっていた。思えば思うだけ胸が苦しいのに、考えずにはいられないのだ。
自然と苦々しく笑みが溢れる。
「お、とりあえず無事に終わったな……」
やり切った顔をした瑛二が、出てきたときと同じように揚々と袖へと引っ込んでいく。
「そろそろ行くね。準備しなきゃ」
次の演者を待つ隙間に、晃に一声かけてそっと奏が立ち上がった。
仁の方は、もう見ない。
ここからは自分との勝負だ。
自分だけの世界だ。
「頑張れ」
晃からの激励の声を受けた奏の背中がぴん、と伸びる。
その凜とした横顔を盗み見ていた仁は、ぐっと自分の拳を握った。
◇
(相変わらず殺伐としてるなぁ……)
ホールを出て細い通路を奥へと進めば、控え室がある。
奏が足を踏み入れたとき、一瞬だけ流れる空気が止まった。目線のほんの切先で値踏みされる冷ややかさ。けれどすぐに、誰もが自分の手元や楽譜へと視線を落とした。
普段は和気藹々としている学友も、今はライバルだ。
しん、と静まり返った部屋にホールのピアノの音が微かに流れ込んでいた。あとは、黙々とテーブルや楽譜を叩く、切迫した小さな音で満たされている。
(うう……息苦しい……)
余計な物音は、彼らの神経を逆撫でする。奏は控え室に留まることを諦め、踵を返した。
通路をさらに進むと、鉄の扉が現れる。
重い開閉音は、角ばった岩の〝かたち〟をしていた。聳え立ってはいるが、拒まれてはいない。
「学籍番号0110251、秋森です」
舞台袖の女性に声をかけると、彼女は手元のリストに目を通して奏の名前に印を入れる。奏は微笑みを返して、靴音を響かせないよう慎重に奥へと進んだ。
「……あ……貴央くん……」
並べられたパイプ椅子に、青い顔をした貴央が座っていた。奏を見るなり貴央の目は鋭くなるものの、すぐに膝の上に乗せられた楽譜へと視線が落ちる。
奏は迷いながら、ふたつ隣に腰を下ろした。
きし、と軋む椅子の音がやけに大きい。
「……僕、奏くんのこと好きじゃない」
ステージでシューベルトが流れる中、貴央が唐突に呟く。
「独りが好きって顔してるくせに、みんなに囲まれてる……主席も仁くんも奪ってく!」
とんだ言いがかりだとは思うけれど、奏は言い返さなかった。自分が人との関わりを避けてきたことを、否定できなかったからだ。
それを変えてくれたのは──早坂仁。
彼が連れ出してくれた世界は、相変わらず尖った〝かたち〟が奏を狙っていたが、美しかった。思っていたよりもずっと、奏に優しかった。
「……でも俺は、貴央くんのこと嫌いじゃないよ」
「はあ? ……理央に、僕の能力のこと聞いたんだよね? それでも言ってるの?」
貴央の声の〝かたち〟が刺々しい。
「嫌いじゃない」と奏は繰り返した。
本番前に貴央の心を乱したくはなかったが、ひと呼吸置いてから続ける。
「……貴央くんの音の〝かたち〟はプラスチックみたいで、俺はその中に隠れてる貴央くんのほんとの音が視たいなって思うもん」
言葉が途切れ、貴央はパイプ椅子の背もたれに体を預けながら天井高く取り付けられたライトを見上げた。
「そんなの……もう今更わかんないよ。僕には、ほんとの〝僕〟がどこに居るのか知らない」
しばらく考え込んでいた貴央が、苦しそうにこぼす。その言葉が、奏には刺が覆った球体の〝かたち〟に見えた。
その棘の下に居るはずの貴央は見えない。
奏がイヤホンで自分を守っていたように、貴央も必死に守っているのだろう。
「貴央くん……」
「呼ばないで! ……可哀想だとか思ってるなら、主席か仁くん、どっちか僕に譲りなよ」
「えっ……と……それは、」
「出来ないなら黙ってて!」
貴央の声に遮られ、奏は押し黙る。
その棘をひとつひとつ取り除いてやるには時間が足りなかった。
スタッフに呼ばれて立ち上がる貴央を追うように奏も腰を浮かせる。
「……僕が誰かに見てもらえるのは、この能力のおかげなんだから。そのままでも愛されてる君とは違う」
奏に背を向けたまま貴央が意志を固める。
貴央もまた、価値観という呪いに囚われているのだろう。
「貴央くん! 俺、ここで聴いてるから……!」
貴央は答えず、ステージの光の中へ消えていった。
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