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第3話:海色の太陽
ルイスは微睡みの中、湯船に浸かるような心地よい温かさを感じていた。
優しい夢を見ているのだと自覚して、ゆっくりと浮上する意識に目を開ける。
しかし、そこは寝室のベッドの中ではなく、目の前にはサロンに敷いている絨毯の柄が迫っていた。
「……?」
絨毯につつまれ、何かに寄りかかるように眠っていたらしい、なぜ?
体を起こそうとして、腕や背中を押さえ込まれていることに気付く。
左頬が触れている部分は温かく、穏やかに上下を繰り返している。
とく、とく、と規則正しい振動を感じて、ようやく、誰かに抱き締められていると気付く。
けれど状況は分かっても、なぜこの状況にあるのか分からない。
体を離そうと身動いでもしっかり捕まっていてうまく動けない。
頬に感じる、深く静かな呼吸とともに上下する胸に、眠っているのだと分かる。
なぜ一緒に寝ていたのかは分からない。
「……」
ルイスはどうすればいいのか分からず息を潜めてしまう。
動けないまま、五感からわかる情報を集めることに必死だ。
温もり、誰かの腕。柔らかな感触。絨毯。肌。……肌?
頬を寄せた胸も、背に感じる腕も、脚も、全て素肌で感じている。
服を着ていなかった。二人とも。
慌てて相手の胸に手を置き無理やり体を起こした。
日に焼けた肌に重ねた自分の手の白さが際立つ。
見上げると、ルイスを抱きしめていた青年の整った寝顔がある。
長い髪はテラスから差し込む光に青く艶めき、海の色を紡いで流しているかのようだ。
まるで冒険譚の英雄のように凛々しく、また身体も逞しい。
身体を離したことで絨毯がずり落ちていく。
その感触にようやく相手も目が覚めたのか、思ったよりも勢いよくパチリと目が開いた。
真っ直ぐに絡む視線に、お互い見つめ合ったまま固まる。
現れた瞳は夏の海のようなエメラルドグリーンで、宝石のように煌めいて見えた。
じっくり顔を見ても見覚えはなく、服も着ずにサロンで抱き合って眠っていた理由を尋ねたくてもなんと言い出せばいいのか分からない。
そうして、先に口を開いたのは相手だった。
「目が覚めたのか、よかった」
声は思ったよりも柔らかく優しい響きで、その表情にも笑みが乗る。
大人びて見えたが、笑うと思ったよりも歳は近いように感じられた。
背に回っていた手が動いて、少し緊張するルイスに構わず大きな手のひらが頬を包むように撫でる。
「うん、しっかり温まったな」
「……あ、あの、……あなたは……僕たちは、どうして……服……」
問い正したいことは思い浮かぶのに、うまく言葉にならない。
幼い頃から人と会話をする事が極端に少なくて、自分の考えをまとめることに慣れていなかった。
けれど、相手はルイスの疑問にも悪びれる様子もなく説明を始める。
「海で君が倒れたところにたまたま出会 して、助けたまではよかったんだが、君は意識が朦朧 としていたし体が冷えているしで、お節介かとも思ったが温めさせてもらった」
「え、と……それは、ご迷惑をおかけしました……」
そういえば、海で転んでもがいていたところに誰かに助け出されたような記憶が朧 げに蘇る。
不審者や泥棒の類ならこちらが寝ている間にいくらでも悪さのしようもあったはずで、相手が純粋な親切心からとった行動なのだと理解してルイスは礼を言う。
近くにルイスの服が落ちていて、手繰り寄せるものの生乾きのそれをもう一度着る気は起きない。
浴室でもない場所で全裸で居る居た堪れなさから、冷たい布を抱きしめるように身体を隠して立ち上がる。
「その、着替えてきます」
「ああ、乾いた服を着た方がいい」
あっけらかんとした笑顔に会釈をする。
相手の着ていただろう服はどこにあるのか見当たらなかったが、同じように裸で絨毯を広げ直している背中をチラリと見やり、着替えにできそうなサイズのものはあっただろうか、と考えながら脱衣所へ向かう。
髪や肌は潮でベタついていたが、呑気に体を流している状況でもないとひとまず新しい衣服を着込む。長く使われていなかったクローゼットからゲスト用のガウンを引っ張りだし、ルイスは足早にサロンへ戻った。
しかし、相手はすでに乾いた紺色の衣服を身に付けサロンの中をうろついていた。先程相手が脱いだであろう衣服は見当たらなかったが、絨毯の影にでも隠れていたのだろうか。
ともかく、自分のせいで服を濡らさせずに済んだらしい事に少し安堵して、ガウンを椅子の背に掛けて相手に近づく。
頭ひとつ分高い彼の首筋は健康的に焼けていて、この近くに住む青年だろうか、と場違いなことを考える。
ガラス戸の木枠を撫で、壁や天井へ視線を動かしていた相手が、ルイスが戻ってきていた事に気づいてガラス戸から離れてはにかむ。
こちらはどう反応を返すべきか一瞬悩む。そこで、昔読んだことのあるマナー本の知識が脳裏によぎる。
少し慌てて挨拶を交わすために相手と向き合う。
「……あの、助けていただいたのに、名乗りもせずに失礼しました。ルイス・ヴァレンタインです、介抱までしてくださってありがとうございました」
「ルイスか、いい名前だ。俺はレオニアス、よろしく」
助けてくれた恩人に、握手を求める手を出していいのか少し悩む。
こういう場面に適した挨拶とはどうすればいいのかと戸惑っていると、レオニアスと名乗った青年がルイスに手を伸ばしてきて髪を軽く撫でる。
驚いてレオニアスを見上げると、海色の瞳が髪を見つめているようだった。
「海水でくっついてしまっているな。さらさらして柔らかそうだったのに」
その言葉に目を瞠 る。
ルイスのこれまでの人生で、この髪に躊躇いなく触れた人は初めてだった。
「……え、と……、レオニアスさん、は……平気なんですか?」
思わずこぼれた問いに、レオニアスと目が合う。
その眼差しは何を問われたのか分からないと言いたげにキョトンとしていて、真っ直ぐに視線が重なる事にもルイスは戸惑う。
「平気、とは何のことだ?」
「……僕の、瞳も、髪も……人は嫌がります」
わざわざ嫌われている事を宣言する痛みにレオニアスから視線を下げて逸らす。
「君の瞳や髪は、俺に何か悪さをするのか?」
「え……」
頭上から降ってきた言葉に思わず顔を上げると、少しだけ眉を寄せて怒っているような、険しいような表情でルイスを見つめている。
ルイスはどこか呆然と首を横に振る。
「いいえ、何も、……誰にも、何もしません」
「それなら、なぜルイスの髪と瞳を嫌がるのか分からない。俺にはただ綺麗だな、とだけ」
ルイスは再びレオニアスから視線を逸らす。
その理由は痛みや恥ではなかった。
この会話が、まるで自分の妄想で、実はまだ目を覚ましていなくて夢を見ているのではないか、と思ったからだ。
それくらいに、レオニアスの言葉にルイスは動揺した。
「太陽の下で見た時、真珠で人間の像でも作ったのかと思った」
頭上から笑い声混じりに追撃され、ルイスは目の奥が熱くなるのを堪える。
レオニアスの声に、お世辞や同情は感じられない。
ルイスは、人というものは嫌悪感を持つ相手に対して、必ずどこかにそれが滲むものだと知っていた。
ルイスが俯いたせいだろうか、海水に濡れて乾いた髪を再び手櫛で梳く優しい感触、思い返せば体が冷えていたからと全裸で温めてくれたのだ。
「ルイス?」
俯いたまま動かなくなったルイスを心配するような声が名前を紡ぐ。
その優しい響きさえ耳慣れず、ルイスは限界を感じ始める。
「……ありがとうございます」
「大丈夫か?声が震えている……やはり完全に回復とは行かなかったか」
感無量となっているルイスの胸中を知らないレオニアスは、体を心配してルイスの両肩を掴む。
「ちゃんとした寝床があるなら、そこで休んだ方がいい。俺もそろそろ戻らねば」
サロンに差し込む太陽の光はすっかり茜色に染まり、夕暮れの気配に満ちようとしている。
ルイスは酷い焦燥感と緊張に強く拳を握り締めながら意を決して口を開く。
「また、会えますか」
ルイスの言葉に、レオニアスが僅かに眉を上げた。
迷うように海へと視線を逃し、けれど再びルイスを見る時には薄く笑みを浮かべて頷いた。
「夕暮れ時に、少しなら」
ルイスにとって、生まれて初めての約束だった。
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