2 / 16

第2話 団子と帳簿

「殿」 「うん」 「本日は、膝ではありません」 「まだ何も言っていない」 「言う前に止めております」 「賢い」 「褒め言葉として受け取りません」 朝の咲霧藩上屋敷。 伊織は、宗春の座る位置から一歩分だけ距離を取って控えていた。 昨日の朝、膝の上に乗せられた反省である。 宗春はその一歩を眺め、楽しげに笑う。 「遠い」 「適切です」 「俺から見ると遠い」 「殿の距離感が不適切です」 「昨日の夜は近くてもよかったのに」 伊織の耳が赤くなる。 「朝から、その話はなさらないでください」 「では夜に」 「夜にもなさらないでください」 「伊織」 「はい」 「昨日の夜、離さないでと言った」 伊織は背筋を伸ばした。 「聞き間違いです」 「かなりはっきり聞いた」 「では、殿の記憶を疑います」 「俺の記憶力は政務にも役立つ」 「余計な方向にも役立っております」 障子の向こうで、霧生景継が咳払いをした。 「殿。朝から榊殿を赤くするのはお控えください」 「赤い?」 「霧生殿」 伊織がすぐ制する。 景継は扇を閉じた。 「失礼。では、本日の用向きです」 宗春はようやく少しだけ藩主の姿勢になった。 「江戸城は?」 「短く済みます。戻られてから、花霧庵の件を」 「団子屋か」 「はい。芝近くの甘味屋です。屋敷へ入る菓子の帳面に、少々合わぬ箇所がございます」 宗春の声が軽くなる。 「団子か」 「殿」 「伊織、行くぞ」 「なぜ私が」 「団子だから」 「理由になっておりません」 「甘いものは嫌いか?」 「嫌いではありません」 言ってから、伊織はしまったと思った。 宗春が笑う。 「では決まり」 「今のは、同行の承諾ではありません」 「嫌ではない」 「団子と同行は別です」 「一緒に食べる団子はもっと甘い」 「朝から口説かないでください」 景継が眉間を押さえた。 「殿。帳面の確認でございます」 「分かっている。直澄」 控えていた青柳直澄が頭を下げる。 「はい」 「お前も来い」 「承知しました」 景継は直澄へ視線をやった。 短い合図だった。 直澄はそれを受けたが、何も言わない。 伊織も気づいた。 自分がまだ、咲霧の内側へ入った者ではないことくらい、分かっている。 景継が疑うのは当然だ。 だから伊織は、帳面の核心へ自分から踏み込まない。 ただ、もし誰かの飯や暮らしが削られているなら、見過ごしたくなかった。 **** 昼過ぎ。 花霧庵は、芝の通りから少し入った場所にあった。 赤い暖簾。 小さな縁台。 醤油の香ばしい匂い。 炭火で焼かれた団子に、艶のあるみたらしがかかっている。 伊織は縁台の前で、ほんの少し足を止めた。 宗春はすぐ気づく。 「食べたい?」 「帳面の確認が先です」 「食べたいんだな」 「聞き取りが先です」 「伊織」 「……一本だけなら」 直澄が静かに筆を取り出しかけた。 伊織は横から言う。 「青柳殿」 「控えます」 宗春は声を立てて笑った。 店の奥から、花霧庵の主が慌てて出てきた。 「これはこれは、咲霧様」 「今日は客だ。怖がるな」 「殿が直接お越しとは」 「団子を食いに来た」 景継がいれば胃を押さえただろう。 直澄は淡々と帳面を広げる。 「先月より、屋敷へ納めた団子と餅菓子の数に差が出ています。代金は合う。しかし品数が合わない」 主の手が震えた。 「それは……」 伊織は主の手元を見た。 指先に火傷の跡がある。 店の奥では、まだ幼い子どもが竹串を揃えていた。 伊織はその子の手元にも目を留める。 串の数を十ずつまとめている。 一束だけ、九本しかない。 伊織は屈み、子どもの前に膝をついた。 「数え直してもよろしいですか」 子どもは驚いて固まった。 主が慌てる。 「若様、そのようなことは」 「榊です」 伊織は静かに言った。 「こちらの手間が増えます。叱るためではありません」 子どもは恐る恐る頷いた。 伊織は竹串を並べ直す。 十。 十。 九。 八。 一束ごとに数が違う。 直澄の筆が動きかけた。 だが、今度は自分で止めた。 宗春は黙って伊織を見守っている。 伊織は主へ向き直った。 「団子の数が合わないのではなく、串の束が最初から合っていません」 主の肩が落ちた。 「申し訳ございません」 「なぜです」 直澄が静かに問う。 主はしばらく黙り、やがて奥の子どもを見た。 「娘婿が、先月、足を悪くしまして。火消しの荷運びで。店の手が足りず、子どもにも手伝わせております。数を束ねるのを間違えたのです。水増しのつもりは……」 「代金は合っています」 伊織が言った。 「咲霧屋敷が多く支払ったわけではありません」 直澄が帳面を確かめ、頷く。 「確かに。代金は納めた分の範囲です」 「では、なぜ品数だけ違う」 宗春が問う。 主は小さく頭を下げた。 「余った分を、怪我をした者の家へ回しました。咲霧様の屋敷へ納める分には傷をつけておりません。ただ、帳面の書き方が分からず」 伊織は子どもの手に視線を落とした。 竹串で小さく擦れた跡がある。 「手を出してください」 子どもはびくっとした。 伊織は袖から小さな紙を出し、手の擦れたところへそっと巻いた。 「痛むなら、今日は串を持たない方がいい」 「でも、おっかあが」 「代わりに数を言ってください。手ではなく、声で」 子どもが伊織を見上げる。 「声で?」 「はい。十本ずつ、声に出して束ねる者へ伝える。間違いが減ります」 宗春が口元を緩めた。 直澄が今度こそ筆を取る。 だが、書いたのは数字だけだった。 伊織が子どもに紙を巻いたことは書かなかった。 「青柳殿」 伊織が言う。 「はい」 「帳面に、怪我人への見舞い分を別に立てられますか」 直澄は一瞬だけ目を細めた。 「できます。ただし、咲霧屋敷からの注文とは別扱いにする必要があります」 「では、余り物ではなく、見舞い菓子として」 主が驚く。 「そんな、恐れ多い」 宗春が頷いた。 「よし。咲霧から見舞い菓子として少し出す。花霧庵は、数を正しく書け。怪我人へ回す分は隠すな」 主は深く頭を下げた。 「ありがとうございます」 伊織はほっと息を吐いた。 宗春はそれを見て、すぐ団子を一本取った。 「では、伊織」 「はい」 「褒美」 「私は何も」 「した」 「帳面を見ただけです」 「子どもの手も見た」 「それは」 「ほら」 宗春は団子を伊織の前へ差し出す。 みたらしが艶やかに光っている。 伊織は周囲を見た。 店の主。 子ども。 直澄。 町の通り。 ここで藩主の手から食べるのは、どう考えても目立つ。 「自分で食べます」 「俺が食べさせたい」 「公衆の面前です」 「では、半歩奥へ」 「距離の問題ではありません」 「口を開けるだけだ」 「それが問題です」 子どもがぽつりと言った。 「お侍様、団子嫌いなの?」 伊織は固まった。 宗春が笑いをこらえる。 「嫌いではないらしい」 「では、食べた方がいいです」 子どもは真剣だった。 「甘いと、痛いの少し忘れます」 伊織は言葉を失った。 そして、小さく息を吐く。 「……一本だけです」 宗春が団子を近づける。 伊織は目を伏せ、そっと口を開いた。 みたらしの甘さが舌に広がる。 香ばしい。 柔らかい。 思ったより、ずっと甘い。 宗春が嬉しそうに言う。 「美味い?」 「……はい」 「もう一口」 「一本だけと申しました」 「まだ一本の途中だ」 「そういう理屈は」 宗春は二つ目を差し出した。 伊織は抗議したかった。 だが、子どもが期待した目をしている。 主もほっとしたように見ている。 直澄は筆を取らない。 伊織は負けた。 二つ目を食べる。 宗春の指先に、みたらしが少しついた。 伊織は気づかないふりをした。 宗春は気づいたふりをしなかった。 「伊織」 「はい」 「甘いな」 「団子がです」 「うん」 「私ではありません」 「まだ何も言っていない」 「言われる前に止めております」 宗春は笑う。 直澄はそのやりとりを、少しだけ眺めていた。 不審はある。 礼法も、言葉も、帳面の見方も、小姓の域を少し越えている。 けれど、伊織が探ったのは山ではない。 見たのは、子どもの手と、怪我人の家と、飯の減らぬ帳面だった。 直澄はそのことだけを、胸の内へ収めた。 **** 帰り道。 宗春は団子の包みをひとつ持っていた。 「持ち帰るのですか」 「夜用」 伊織の足が止まる。 「夜用とは」 「夜に食べる」 「団子を」 「うん」 「それだけですか」 宗春は答えなかった。 伊織は嫌な予感を覚えた。 「殿」 「何」 「団子は、食べ物です」 「知っている」 「それ以外の用途に使わないでください」 「伊織は時々、想像が豊かだな」 「殿が余計な間を作るからです」 宗春は楽しげに包みを揺らした。 「今夜が楽しみだ」 「私は楽しみではありません」 「嘘だ」 「違います」 「団子、嫌いではないだろう」 伊織は返事に詰まった。 宗春はその沈黙を、たいそう満足そうに受け取った。 **** 夜。 宗春の部屋には、花霧庵の団子が置かれていた。 みたらし。 餡。 焼き目のついた白い団子。 伊織はそれを見て、警戒した。 「殿」 「うん」 「なぜ、寝所に団子が」 「夜用」 「やはり、その言い方はよくありません」 「食べるだけだ」 「本当に?」 「最初は」 伊織は眉を寄せた。 宗春は団子を一本取り、伊織へ差し出す。 「昼の続き」 「続きが多すぎます」 「今日は団子の続き」 「食べれば終わりますか」 「終わらない」 「では食べません」 「伊織」 宗春は団子を自分で一口食べた。 それから、伊織へ近づく。 「甘い」 「そうでしょうね」 「確かめる?」 「自分で食べます」 「俺から」 「昼もそうでした」 「夜はもっと甘い」 伊織は後ろへ下がろうとした。 宗春が手を伸ばし、腰を引き寄せる。 「来い」 「命令ですか」 「今夜は、褒美」 「また殿への褒美ですか」 「伊織への」 伊織が動きを止める。 宗春は、みたらしの残った指先を伊織の口元へ近づけた。 「昼、子どもの手に紙を巻いただろう」 「大したことではありません」 「大したことだ」 「私は、できることをしただけです」 「そういう伊織が、俺は好きだ」 伊織は息を詰めた。 「……そういう言葉は」 「弱い?」 「ずるいです」 「では、もっとずるくする」 宗春の指先が、伊織の唇の端をなぞる。 甘い匂いが近い。 伊織は反射的に身を引こうとして、腰を支えられた。 「舐めて」 「そのような」 「嫌ならやめる」 伊織は目を伏せた。 「……嫌とは」 「言っていない」 「言わせないでください」 宗春は笑わず、待った。 伊織は小さく口を開き、宗春の指先についたみたらしを舌で取った。 甘い。 昼より、ずっと。 なぜか、そう感じる。 「っ……」 宗春の息がわずかに乱れた。 「伊織」 「はい」 「可愛い」 「評価は不要です」 「もっと」 「団子を、ですか」 「伊織を」 伊織の頬が熱くなる。 「意味が分かりません」 「分かっている」 宗春は伊織を抱き上げるようにして、布団へ座らせた。 そのまま、自分の膝へ伊織の頭を預けさせる。 膝枕。 伊織は慌てて起き上がろうとする。 「殿、これは」 「甘やかす」 「私は子どもではありません」 「知っている」 宗春は団子を持ったまま、伊織の髪を撫でた。 「だから、余計に甘やかしたい」 伊織は返せなかった。 宗春の膝は、朝の膝とは違う。 夜の膝とも違う。 動きを封じるというより、ほどかれる。 「口を開けて」 「またですか」 「今度は伊織が寝たまま」 「なお悪いです」 「嫌?」 伊織はしばらく黙った。 そして、小さく口を開く。 宗春が団子を含ませる。 伊織はそれを噛み、飲み込む。 喉が動く。 宗春の指が、伊織の口元に残った甘さをぬぐった。 「甘い」 「団子がです」 「うん」 「私ではありません」 「まだ言っていない」 「言われる前に」 宗春の指が、今度は首筋へ落ちる。 伊織の声が止まった。 「伊織」 「はい」 「昼は、子どもに甘かった」 「それは」 「夜は、俺に甘くして」 「……何を」 「声」 伊織の喉が鳴る。 宗春は伊織を膝からそっと起こし、布団へ横たえた。 団子の串が皿へ戻される。 甘い匂いだけが、まだ指先に残っている。 宗春は伊織の帯をほどき、口元に残るみたらしを確かめるように口づけた。 「ん……」 「まだ甘い」 「言わないでください」 「伊織」 「はい」 「続けていい?」 伊織は息を整えた。 「……はい」 「言葉で」 「続けてください」 宗春の手が、伊織の腰へ回る。 膝枕でほどけた体を、そのまま布団へ沈めるように抱かれた。 宗春は伊織の足をゆっくり整え、甘い匂いの残る指で腰を支えながら、奥まで満たした。 「っ、あ……っ♡」 伊織の声が、みたらしの匂いに混じる。 宗春はすぐには動かず、伊織の口元を親指で撫でた。 「声、甘い」 「それは……っ」 「団子のせい?」 「殿の……せいです……っ」 「よく言えた」 「褒めないで……っ」 宗春が腰をゆっくり動かす。 布団へ沈んだ伊織の体が、甘く擦れる。 指先で口元をなぞられるたび、伊織は声を隠せなくなる。 「っ、あんっ♡」 「昼より素直だ」 「違い、ます……っ」 「違う?」 「団子を……食べたから……っ」 「まだ団子のせいにする?」 宗春が奥まで届くように、ゆっくり突き上げる。 伊織の背が小さく反った。 「っ、あっ♡ 待って……っ」 「待つ?」 「待たないで……っ、でも、言わないで……っ」 「何を」 「甘い、とか……っ」 「甘い」 「言わないでと……っ、あんっ♡」 宗春は楽しげに息を落とした。 「伊織」 「はい……っ」 「続けてほしい?」 伊織の指が布を掴む。 「確認は……不要です……っ」 「昼は一本だけと言った」 「それは団子です……っ」 「夜は?」 「殿……っ」 宗春は伊織の腰を抱え直した。 擦れる熱が深くなる。 奥まで届くたび、伊織の声が少しずつ乱れていく。 「夜も一本だけ?」 「そういう言い方は……っ、だめ……っ♡」 「だめ?」 「だめです……っ、でも……っ」 「でも?」 「終わらないで……っ」 宗春の動きが一瞬止まる。 伊織は自分で言った言葉に気づき、息を飲んだ。 「今のは」 「聞いた」 「聞かなかったことに」 「しない」 「殿」 「昼は子どもの前で我慢していたな」 「何を……っ」 「俺から食べるの」 「それは……っ、違います……っ」 「夜は我慢しなくていい」 宗春が伊織の口元へ口づける。 甘い匂いと、熱い吐息が混じる。 伊織は宗春の肩へ手を伸ばし、すがった。 「宗春さま……っ」 「うん」 「もう……っ」 「続ける?」 「聞かないで……っ」 「伊織の言葉で」 「続けて……っ、ください……っ」 「何を」 「意地悪です……っ、あっ♡」 「言えたら、もっと甘くする」 「もう、甘い……っ」 「まだ」 宗春が深く突き上げる。 伊織の声がはっきり崩れた。 「っ、あんっ♡ 無理……っ」 「無理?」 「無理です……っ、でも……っ」 「でも?」 「もっと……っ」 宗春の腕が熱くなる。 「伊織」 「はい……っ」 「今のは団子のせい?」 伊織は涙ぐみそうになりながら、首を振った。 「私が……っ」 「うん」 「殿に……続けてほしくて……っ」 「うん」 「もう……っ、だめ……っ」 「来る?」 「言わせないで……っ」 「昼より甘い声で」 「宗春さま……っ」 「いる」 「続き……ください……っ」 宗春の息が乱れた。 「もう一度」 「続き……っ、ください……っ♡」 「よく言えた」 「もう……っ、宗春さま……っ、甘くて……っ、いって、しま……っ♡♡」 伊織の体が布団の上で震えた。 宗春はすぐにはからかわなかった。 みたらしのついた指を拭うように、伊織の乱れた髪をゆっくり撫でる。 甘いものを急いで飲み込ませないように。 伊織が戻ってくるまで、抱いたまま待った。 伊織は荒い息のまま、宗春の胸元へ額を寄せる。 「……殿」 「うん」 「今のは、団子のせいです」 「まだ言う?」 「そういうことにしてください」 「分かった」 宗春は伊織の口元へ軽く触れた。 「団子が悪い」 「はい」 「甘すぎた」 「はい」 「明日も買うか」 伊織はすぐに顔を上げた。 「それは」 宗春が笑う。 「食べたい?」 伊織は黙る。 長く、長く黙る。 やがて、宗春の胸元を掴んだまま、小さく言った。 「……一本だけなら」 宗春は満足そうに伊織を抱きしめた。 「では、明日も一本」 「夜用ではありません」 「最初は」 「殿」 「うん」 「本当に、意地が悪いです」 「伊織が甘いからな」 「団子がです」 「そういうことにしておく」 宗春の手が、伊織の髪を撫で続ける。 灯の下、皿の上には団子が一本だけ残っていた。 伊織はそれを見ないようにした。 だが宗春は、伊織の沈黙を拾っている。 「残っている」 「……明日でよいです」 「夜に?」 「昼に」 「では、昼に一本」 「はい」 「夜は?」 伊織は返事をしなかった。 宗春の胸元へ額を押しつける。 その沈黙は、拒絶ではなかった。 宗春は笑わず、ただ伊織を抱き直した。 **** 翌朝。 花霧庵から、見舞い菓子の控えが届いた。 直澄は帳面に必要な数字だけを記した。 景継はそれを見て、渋い声で言った。 「榊殿の案か」 「はい」 「また善行か」 直澄は筆を置いた。 「帳面としては、整っています」 「私が聞いているのはそこではない」 「では」 直澄は少し考えた。 「榊殿は、咲霧の内を探るより先に、咲霧に関わる者の腹を気にされるようです」 景継は黙った。 完全に信用したわけではない。 だが、咲霧を傷つけに来た者なら、あの子どもの手をあのようには扱わない。 景継はその考えを口にしなかった。 代わりに、帳面を閉じる。 「……花霧庵には、今後も正しく書かせろ」 「承知しました」 **** 奥座敷では、宗春が伊織に団子を差し出していた。 「一本だけ」 「昨日も聞きました」 「今日は昼だ」 「昼ならよいという話では」 「伊織」 「……一本だけです」 景継は胃を押さえた。 直澄は筆を取らなかった。 宗春は上機嫌で、伊織は不本意そうに団子を食べる。 その口元に甘さが残ったことには、誰も触れなかった。 少なくとも、昼の間は。

ともだちにシェアしよう!