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第一話

 ハリンストン兄弟には、血の繋がりはない。  アイザックが十一歳のころ、母が病に罹って亡くなった。  一年ほど経ち、父が再婚した。  その女性も夫を亡くしていて、息子のリジャスを連れていた。結婚を機に、アイザックはリジャスと義理の兄弟となった。  二人は同年齢だ。アイザックの方が三ヶ月早く産まれたので、厳密にいえば兄ということになる。  アイザックはリジャスから兄と呼ばれた。同じ年なので、それに違和感を覚えた。  何度か「名前で呼んでいい」と言ったこともある。しかしリジャスは一向に変えてくれなかった。次第にアイザックは諦め、呼び方に慣れていった。  そんなある日、アイザックはリジャスと共に父から呼び出された。 「とりあえず、掛けてくれ」  ハリンストン家にある応接室。いかにもといった黒革張りのソファに、アイザックは腰を降ろした。クッションが柔らかく沈み込み、気分も少し丸くなる。  続いて入室したリジャスが隣に。ローテーブルを挟んだ向こう側にあるソファの中央に父が座った。  父は四十を超えていた。アイザックとの血縁を感じさせる黒髪にも、白髪が混じり始めていた。 「突然すまない。夕食の時にでも良かったんだが、真面目な話だからな」  アイザックは妙な緊張感を覚えていた。父が二人をわざわざ応接室に呼んだのは、これが初めてだからだ。  しかし、どうやら悪い話ではなさそうだぞ。とアイザックは父の表情から読み取った。 「アイザック。お前には、いずれ領主としてハリンストン領を治めてもらうことになる」  それは、幼少期から耳にタコができるほど聞かされた話だった。  アイザックの父は領主だ。  ハリンストン家には男児が二人いる。領主の実子であるアイザックと、義理の息子であるリジャスだ。突然死でも遂げない限り、血を継いだアイザックが次期領主となる。 「領主として大切なのは——」この先も、暗唱できるほど聞かされた。「誰よりも人々に寄り添うことだ」  「えぇ」とアイザックは首肯する。一方、リジャスは頷きすらしなかった。 「そこで、お前には学校へ通ってもらう」  あぁ、その話だったか。とアイザックは安堵する。  上流階級の子どもは、家庭教師のもとで礼儀や基礎的な勉強に励むのが常であった。しかし十八歳になると、その多くが学校に通うこととなる。  領主として未来を背負うため、通学は絶対だ。 「勉強はもちろん大事だ。しかしそれ以上に、お前には人との関わりを知って欲しい」  父らしい。とアイザックは口角を上げた。 「もちろん、リジャス君にも通ってもらう」  父はリジャスに向き直った。 「学校に通って、この先のことを考えて欲しい」  父はハリンストン家に義理の息子を縛り付ける気はないようだ。  だからこそ、学校へ通ったという事実が強みになる。高等な教育を受ければ、職業の選択肢が広がってゆくからだ。 「ありがとうございます」  リジャスは静かに礼をした。その口調は相変わらず他人行儀だった。 「オリバーさん」リジャスはいつも父を名前で呼ぶ。「私はもう、自分の将来について考えています」 「そうなのかい?」  父と一緒にアイザックも目を瞬かせた。将来の話なんて、彼の口からは一度も聞いたことがない。 「私はここに残り、兄さんの補佐をするつもりです」 「——え」  アイザックは頓狂な声を上げた。リジャスはここには残らないと思っていたからだ。  父は目を丸くしながらも、「そうか」と呟いた。その声には困惑が混じっていた。 どうやら父もアイザックと同意見だったらしい。 「私的にも、君がアイザックの補佐をしてくれるのは嬉しいが……君には、君の未来があるんだぞ」  リジャスの立場に立って考えると、彼がここに残ると言い出した理由が見えてくる。  彼は父に恩返しをしたいのだろう。  リジャスの父は、彼が十二歳のころに事故で亡くなった。  リジャスの母——つまりアイザックの義母だが——は、女一人で子どもを育てていくのは不可能だと判断し、再婚した。その相手が、領主であるアイザックの父だった。  父がいなければ、リジャスは満足に教育を受けられなかったかもしれない。そう考えると、何かの形で恩を返したいと思うのは自然だった。  しかし、父はそれを望んでいない。  『私的にも、君がアイザックの補佐をしてくれるのは嬉しいが』……これは父の本心に違いない。  仕事を間近で見てきたアイザックは、苦しくなるほど分かっていた。領主という職務がどれほど重いかを。  父が再婚した理由もそこにある。領主には、仕事を支える妻が必要だ。  母が亡くなってからは、父は仕事をすべて一人でこなしていた。しかしついに疲弊し、再婚を決意したのだった。  リジャスは優秀だ。わずかな時間で知識を吸収し、自分の物にしてしまう。もし彼が補佐をしてくれたら、これほど心強いことはない。  『君には、君の未来があるんだぞ』……これも父の本心に違いなかった。  リジャスの恩返しという思いに、父も気付いているようだ。  しかしここに留まれば、立身出世などは到底望めない。彼がどれほど努力しても、『領主の補佐』で終わってしまう。アイザックがいる限り、彼が領主になることはあり得ないからだ。  それは、若さと才覚を兼ね備えたリジャスには、あまりに残酷だった。 「まだ時間はある。考え直してもいいと思うが」  「いいえ」リジャスは首を横に振った。「私はハリンストン家の人間ですから」  その声には、一切の迷いがなかった。まるで、幼い頃から覚悟していたかのように。  少し硬直した父は、咳ばらいをした。 「ま、まぁ……二人とも、学校に通ってもらう。いいね?」 「……はい」  困惑を引きずりながら、アイザックは返事をした。  ***  応接室を出てすぐ、アイザックはリジャスを自室へ呼び出した。  アイザックの部屋はまさに『上流階級の学生』といった感じだった。 「リジャスお前……あれ、本気か?」 「あれって?」 「俺の補佐をするって話に決まってるだろ」  リジャスは意外そうな顔をした。  あぁ、やっぱり、随分前から決意していたに違いない。 「……僕じゃ心配?」  そうじゃない。アイザックは首を横に振った。 「父さんも言ってたが……リジャス、お前には未来がある。どう考えても、お前は領主の補佐で終わっていい人間じゃない」 「そんなことないよ」  謙遜のつもりだったのだろうか。しかしこれまでの成績を考えると、嫌味にしか聞こえない。 「子どものころから決めてたんだ。僕、兄さんを支えるって」  ハリンストン家への貢献。それがリジャスにとっては大事なのだろう。 「リジャス。お前、本当にやりたいことはないのか」  訊ねると、リジャスは小首を傾げた。昔から、子どもっぽい動作のクセが抜けない男だ。 「兄さんを支えることが、僕のやりたいことだよ」  相変わらず真っすぐな言葉だった。どうも嘘を吐いているようには見えない。  「兄さんはさ——」かすかな危険を孕んだ暗い声だ。「僕がここに残るのは嫌なの?」 「違う。そんなこと思ってない」  リジャスの目を捉えながら断言した。  アイザックにとって、リジャスはかけがえのない存在だ。  共に遊び、勉強し、食卓を囲んできた。一緒に風呂に入ったこともある。  そんな彼と離れたくない。できるなら、ずっと一緒にいたい。というのが本心ではある。 「よかった」  リジャスは頬を緩ませた。  気持ちは嬉しい。……が、彼の自己犠牲に、アイザックは素直に喜べなかった。  ***  時が経ち、ついに入学当日の朝を迎えた。  自室の姿見で、アイザックは装いを確認する。  真っ白なシャツはシルク生地で、上品な艶がある。それと対照的に、ボトムスは闇夜のように暗い。学校指定の長マントを羽織ると、身の引き締まるような思いになった。  革の鞄を片手に廊下へ出た時、リジャスと会った。  学校には制服というものがない。マント以外はすべて私服だ。  だが、リジャスの装いをここに書き記す必要はない。アイザックが今着ているものと、ほとんど変わらないからだ。ハリンストン兄弟の服の好みはまったく同じだ。 「似合ってる」 「お前も」  清らかな朝日に照らされながら、アイザックはリジャスと照れ隠しをした。  両親に挨拶をするため、二人は共に階段を降りた。  父の自室のドアを数回ノックする。深い色合いの木材から、丸みを帯びた音が鳴った。  扉を開けると、両親の姿が目に入った。義母が父のクラバットを結んでいるところだった。  通常、着替えは召使が手伝うものだ。ハリンストン家にも手伝いがいるのに、義母は彼女を下がらせてまで父に奉仕したがる。  『昔からそうなんだ』とリジャスは言っていた。  義母は尽くすことに喜びを見出す性分らしい。五年以上共に暮らしてきたアイザックも、それは分かっていた。  料理やアイロン掛けなど、父に関わることはすべてやりたがる。その上で領主の妻としての仕事も果たすのだ。  働き者なのは結構なことだが、彼女の気質は危うさも孕んでいるように見える。  父もそれを感じているらしく、何度か休むよう義母に伝えていた。それでも義母は世話を焼きたがるので、父は諦めて、彼女の思い通りにさせているようだ。 「あら」  義母がアイザック達の装いに気付いた。クラバットを手早く結び終えると、真っすぐリジャスの前に出た。アイザックは血縁の差を感じた。 「リジャス! あぁ、立派になって……」  義母の声が跳ねた。リジャスを見上げる瞳は宝石のように煌めいていて、息子のと瓜二つだった。 「アイザック」  静かな呼び声に、アイザックは視線を父に向ける。  父の表情は嬉しそうで。でもどこか寂しげでもあった。  アイザックは父の気持ちが分からなかった。アイザック自身が子を持ち、成長を見届けるまでは、理解できないだろう。 「気を付けて行ってくるんだぞ」  父はそれだけしか話さなかった。 「はい」  リジャスと会った時以上の照れくささを覚えたアイザックは、はにかみながら頷いた。  挨拶もほどほどに、二人は馬車に乗って学校に向かった。  城かと見紛うほど荘厳な造りの校舎。その両脇には庭があり、よく手入れされた低木が桃色の花々を身に纏っている。  アイザックらの同級生と思われる人々の姿がいくつかあった。  皆、豪華な装いである。特に女生徒らは色とりどりのドレスを着ていて、妖精のようにも見える。  生徒たちの視線は、たった今馬車から降りたハリンストン兄弟に向けられていた。彼らの興味を惹いたのは、アイザックたちの位だけではない。  兄のアイザック・ハリンストンは、見ているだけで心が晴れやかになるような好青年であった。内から人懐こさが滲み出ていて、何でも相談できると思わせるような雰囲気を纏っている。  弟のリジャス・ハリンストンは、輝かんばかりの美貌を備えている。あまりに眩しいがゆえに、儚げな暗さも感じさせるような青年だった。  生地こそ上等だが、同級生と比べると、兄弟の装いは地味だった。  しかし……むしろそれが、彼らの魅力を引き立てている。  柔らかな風に吹かれる。ゆったりとした白のシャツが波打ち、真珠のような繊細な色合いを見せる。日光が散らばり、兄弟の頬を明るく照らした。  あぁ。と、男も女も感嘆の息を漏らした。  門から校舎へと真っすぐ引かれた道を、アイザックはリジャスと共に歩く。  その途中で、リジャスが不安げにアイザックとの距離を縮めた。  仕方のないことだった。  リジャスは人見知りだ。長年一緒にいるはずの父とも、どこかぎこちない話し方をする。  アイザックですら、全身に絡みつく視線を気持ち悪く感じているのだ。  内向的なリジャスは、恐怖すら覚えているかもしれない。  仕方ないな。とアイザックは弟の思い通りにさせた。  それから、付属の聖堂で学長の話を聞いた。講堂に移り、初歩的な授業を受けた。  本日の講義から解放された後、今朝以上にひどい状況に陥った。  上流階級が集まるこの学校は、社交の場でもある。領家であるハリンストン兄弟のもとにも、多くの学生が集まった。その数は、きっと百を超えていた。  多くの人から挨拶されるとアイザックは予想していた。恐らくリジャスもそうだったろう。しかし数だけは、アイザックの想定を大きく上回った。  迎えに来た馬車に乗るころには、二人とも疲れ切っていた。馬車の揺れが心地よく重なり、アイザックはうたた寝をしてしまった。 「……ちゃん、坊ちゃん」  御者に肩を軽く揺すられ、アイザックは目を覚ました。 「おはようございます、坊ちゃん。到着しましたよ」  ハリンストン家のお抱え御者(ぎょしゃ)であるイーソンが微笑んだ。アイザックが生まれたころから働いていた彼の目尻には、皺ができていた。 「あ、あぁ」  疲れて眠るなんて子どもみたいだ。とアイザックは恥じらった。  頭の後ろがズンと重いのを堪えながら、アイザックは横を見る。  リジャスも寝ているようだ。  子どもっぽいのは一人だけではなかった。妙な安心感を覚えながら、アイザックはリジャスに声をかける。 「リジャス。おい、リジャス」  呼びかけても、彼は目覚めない。  自分がされたのと同じように、揺すって起こしてやろう。  アイザックはリジャスの肩を掴んだ。 「……リジャス?」  シャツ越しに触れたアイザックは、表情を曇らせた。  リジャスの顔を覗き込む。彼の頬はリンゴのように真っ赤だった。  彼は熱を出していた。

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