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第五話:友情の崩壊はリップ音と共に
ハリンストン家の夜は静かだ。この時間帯になると、使用人たちが皆いなくなるからだ。
従者たちの居住区は、敷地内に建てられた別館にある。
随分前に亡くなったアイザックの祖父が「他人がいると気が休まらない」と言って建てたのだ。
自室の机に着いたまま、寝間着姿のアイザックは心を悩ませていた。
キーガンのことはもちろんだが、ヴィクター教授の件も気になる。
あの老人が、急激に体調を崩すとは思えなかった。
よく通る声に、はっきりとした受け答え。背筋はしゃんとして、足取りは若者のよう。持病があるなんて話も聞いたことがない。
健康体だったはずの教授が、どうして……?
苦々しく呻 く。机に両肘を突き、頭を抱える。
キーガンの退学に、ヴィクター教授の病。
まったく関係のない事柄だが、地の底で繋がっているような気がするのだ。
ヴィクター教授が体調を崩す数日前、アイザックは彼と窃盗事件について話し合った。
アイザックは、窃盗事件の裏には真犯人がいると睨んでいる。
まさか、ヴィクター教授は真犯人に何かされたのではないか——。
扉がノックされる音に、アイザックは飛び跳ねた。
どうしたのだろう、こんな時間に。
良からぬ想像をしていたためか、心臓が警鐘のように鳴り続ける。
胸に手のひらを当てて自分を宥 めながら、恐る恐る扉を開ける。
自室に灯したランプの明かりが廊下に漏れて、寝間着姿のリジャスが照らし出された。
「リジャス。一体、どうしたんだ?」
弟が自室を訪ねてくるのは珍しくない。
本の貸し借りやカードゲームの申し出など、簡単な用事をぶら下げて来る。
しかし、今回は違うらしい。いつになく神妙な面持ちでアイザックを見下ろしている。
弟の緊張が伝播し、アイザックの額にも汗が浮かぶ。
「誘いに、来たんだ」
蝋燭の炎が揺らめく。
リジャスの顔に落ちた影が、一瞬だけグニャリと歪んだ。
「……誘い?」
アイザックは眉根に皺を寄せる。
リジャスの話には主語が抜け落ちていて、何に誘いたいのか分からない。
睨むような目つきで見上げていると、リジャスが面白そうに鼻を鳴らした。
弟の急激な感情変化に、不気味なものを感じ取ったアイザックは、半歩だけ下がった。
「中に入れてもらえないかな?」
「あ、あぁ……」
リジャスの真意が分からないまま、アイザックは弟を迎え入れた。
ベッドのフチに並んで座る。いつもより距離が近いように感じ、気まずさを覚える。
「リジャス。誘いって……一体、何なんだ?」
動揺を隠さずに訊ねると、リジャスが吹き出した。
更なる混乱に紛れて、かすかな苛立ちが芽生えたのを自覚する。
「何って——分かってるくせに」
——分かっている? 何か約束していただろうか?
腕を組み、記憶を遡ってみる。しかし、それらしいことを思い出せない。
楽しげなリジャスが、ずい。とアイザックに寄って座りなおした。
アイザックは弟の美しさに一瞬だけ気を取られた。これほど近くから見ても欠点を見つけられない。
次に覚えたのは気味の悪さだった。兄弟とはいえ、体が触れ合うほど近くに寄るのはおかしい。
相変わらず、リジャスは薄紅の唇を緩ませている。人間の根底に潜む欲望を狂わせるような危うさを口角に引っ掛けながら。
兄弟としての距離を侵害され、身を竦ませた次の瞬間。リジャスに覆い被さられた。
「は……ッ!?」
白いシーツの上に仰臥したアイザックは、鋭く息を吸う。
リジャスの手で口元を塞がれて、「ダメ」と静かに注意される。
「オリバーさんに知られたくないでしょ?」
淡々とした調子で呟くリジャスの表情からは、罪の意識を読み取れない。
手のひらを離されても、アイザックは叫ばなかった。
リジャスの言う通り、このような場面を父に見られたくなかった。
上体を起こしたリジャスに、寝巻きをはだけさせられる。
抵抗できるはずなのに……嫌な予感が現実味を帯びる様に恐怖し、体が強張ってしまう。
「な、なん、で……」
アイザックは唇をわなわなと震わせる。
「なんで……こんなことを」
疑問を絞り出す。するとリジャスは丸い目を瞬かせた。
「なんでって……兄さんが悪いんだよ?」
子どものような無邪気さを纏った返答に、頭の中が混沌と化す。
思い当たることがない。
……いや、彼には繊細な一面があるから、アイザックすら気付かないようなことで恨んでいる可能性もあるが——。
「いつまで経っても、来てくれないから」
……来る?
リジャスの話は断片的でうまく掴めないが、何か約束をしていたことは間違いなさそうだ。
だが、どうしてもそれを記憶の底から掬 い上げられない。
アイザックの男らしい体が暴かれる。
リジャスが、うっとりと目を細めた。
「兄さん……!」
声を弾ませたリジャスに覆い被さられ、その勢いのまま口付けを受ける。
「ん……ッ!」
氷よりも冷たい衝撃が、頭の天辺から爪先まで駆け巡る。
今まで築いてきた関係が、リップ音と共に崩壊した。
これは冒涜だ。
血縁関係がないとはいえ、アイザックとリジャスは兄弟だった。
……兄弟、だったのに。
ついにアイザックは抵抗し始めた。
腕を振り上げようとしたが、手首を強く握られた。両手を恋人のように組まされ、マットレスに押さえつけられる。
リジャスの手の甲に指先を突き立てる。肉が爪の間に食い込むほど強く。
「もぉ、兄さんったら」
リジャスは歯を見せた。手の痛みなど気にしていないようだった。
「照れちゃって。可愛いんだから」
口撃を受ける。無理やり唇をこじ開けられ、舌を絡ませられる。
アイザックは唸りながら、リジャスから逃れようと試みる。
しかしその度に押さえ込まれ、彼の思い通りにさせられてしまう。
貪るような接吻の果て、ようやく唇を離された。
呼吸すらままならなかったアイザックは、頭を横へ向けたまま、酸素を深く吸い込んだ。
口元を拭いたい。純潔を奪われた衝撃を、付着した唾液の不快さと共に。
それすら許されず、今度は首筋にキスを落とされる。
「ひっ……!」
体が甘く痺れた。弟だった男の中で。
「可愛い」
アイザックには無縁だったはずの言葉を囁かれる。
どろりとした声が耳に絡み、離れない。
——こんなリジャス、知りたくなかった。
アイザックは心の中で叫ぶ。舌のざらりとした質感を首筋に叩き込まれながら。
——そして、こんな自分を知りたくなかった。
「そう。触られてるところに集中して」
左手を離される。
リジャスの手の甲に、爪を立てた痕が残っている。鮮血が滲むそれらは、笑った口のように見えた。
胸を鷲づかみにされる。アイザックのしなやかな筋肉に、リジャスの指がわずかに沈んだ。
頂を指の腹で押し潰される。色づいた蕾が硬くなり、ピン、と重力に逆らった。
「……はぁ、っ」
息を漏らした直後、アイザックは手で口元を覆い隠す。
あの声は、領主となる男には、ふさわしくないものだったから。
どこか満足げなリジャスが、徐 に身を起こした。
——逃げるなら、今しかない。
両手の自由を取り戻したアイザックは、脱出を試みる。
「ダメだよ、兄さん」
その瞬間、ある部分を掴まれる。
睾丸だ。
本能的に危険を感じ、指先すら動かせなくなる。
「恥ずかしいのは分かるけどさ。逃げようなんてしないでよ」
リジャスの指が急所に沈み込む。二つの球体の輪郭が明らかになる。
快感が激痛へと変わる予感に、アイザックは顔を青ざめさせる。
恐怖を逃すように、「は、は」と浅い呼吸を繰り返す。
「それに、そんな急に動かれたら困るかな。手が滑って潰しちゃうかも」
リジャスの言葉に戦慄する。
手の動向を凝視していたアイザックは、勢いよく顔を上げた。
彼はにこやかに笑っていた。ほんのり染まった頬は子どものようで、邪気がない。
「けど、良いかな? 兄さんには必要ないもんね」
一拍置いて、アイザックはこれから何をされるか理解した。
「えっ……あ……?」
その瞬間、わなわなと体が震え始める。
「兄さんだって辛いでしょ? 自分で慰めるだけなんて虚しいもん。それに兄さんは魅力的だからさ。万が一にも、浮気しないように……ね?」
指がさらに沈み込む。下腹部に鈍い痛みが走った。
「あ、あ、あ、あ……!」
言うべきこと、やるべきことはたくさんあった。そのはずなのに、痴呆的な声を上げることしかできない。
顔を歪めながら、視線で慈悲を乞う。苦痛がさらに重くなり、口の端から浅い呼吸を漏らし続けた。
「……ふっ」
リジャスが吹き出した瞬間、空気が柔らかなものへ変わった。
「あっはははは……! もう、そんなことする訳ないじゃない! 純粋だよねぇ、ほんと」
まるで、イタズラを成功させた子どものようだった。
睾丸からパッと手を離され、全身から力が抜けてゆく。
気の緩みから、大粒の涙をこぼしてしまう。
「あぁ、もう、ごめん。ごめんってば。泣かないでよ」
ランプの明かりを受けて輝く雫を、リジャスは指でそっと拭う。それを口へ運んだ後、アイザックをそっと抱き寄せた。
「ちょっと脅かしすぎたね。けど兄さんが悪いんだよ? ずっと兄さんが誘いに来てくれるのを待ってたのにさ。全然来てくれないんだもん」
「安心してよ」……バニラのように甘く優しい声で、リジャスが続ける。
「兄さんのことは僕が慰めてあげるから。ね? こんなふうに——」
再び下半身に手を伸ばされる。
一方の手で陰茎を握られ、もう一方の手で睾丸を包まれる。
じっとするしかなかった。
反抗心を折られたアイザックは、リジャスの狂行から身を守るので精一杯だった。
陰茎を焦らすように揉まれる。睾丸を手の中で転がされる。
どれほど刺激されても、アイザックのペニスに兆しは現れない。
「大丈夫だって。気持ち良くなってもらうだけだよ」
アイザックは諦める。
これは、射精に至るまで終わらないと。
目を固く瞑 り、リジャスの奉仕から快感を見出そうとする。
「……っ」
絶え間なく与えられる刺激に、男性器の内部で熱が燻り始めた。
ゆっくりと、膨らんでゆく。
どれほど快楽に集中しても、完全に起立してくれない。
「はぁ……ん、っ」
無理やり包皮を剥かれる。
熟した果実のような亀頭をさらしたアイザックは、情けない息を漏らした。
「兄さん」強い口調で呼ばれる。「目を開けて」
目を開けてしまえば、現実と向き合わなくてはならなくなる。
しかしそれ以上に恐ろしいのはリジャスだ。弱点を手中に収められた今、彼に逆らうのは得策ではない。
アイザックは、恐る恐る目を開けた。
リジャスに握られ、勃起している逸物の姿が脳裏に焼き付いた。
普段は隠れている敏感な場所を、容赦なく扱かれる。
「あぁ……ッ!」
強烈な快感に、恥肉が一気に膨張する。
ペニスを鉄のように強張らせたアイザックは、知的で上品な雰囲気を完全に失った。
無意識のうちに腰を引いてしまう。
恐怖によってなのか、快感によってなのか……まったく分からない。
「兄さん。嬉しいよ、こんなに喜んでくれて」
頬を上気させたリジャスが言葉を紡ぐ。
「兄さんも嬉しいんでしょ? すごく硬くなってる」
先走りが涙のように溢れ出し、リジャスの手を淫らに濡らす。
イける。この調子なら、射精できる。
「兄さん。射精しそうな時、なんて言うの?」
屈辱だ。
弟と思っていた男に、こんなことを言わせられるなんて。
アイザックは真っ赤な顔を苦々しく歪める。
薄らと涙を湛えた青年の溜息には、確かに劣情がこもっていた。
「イ……」震える唇で宣言する。「イく……ッ!」
身構えた瞬間、リジャスの手が離された。
「ん……っ!?」
間髪を入れずに組み敷かれ、両腕を押さえられる。
「耐えて」
秒針が時を刻む音に、苦しげな呼吸が重なる。
オーガズムの波が引いてゆく。無理に高められた劣情が、鉛のように腰にのしかかる。
「兄さんが誘ってくれなかった罰」
楽しげに呟いたリジャスが、ようやくアイザックの上から降りた。
扉を開けたところで振り返る。
「続きはまた今度ね」
焦らすのを楽しんでいるようだった。小さく手を振り、そのまま廊下へ出て行った。
——お、終わった?
ベッドに倒れ込んだまま呆然としていたアイザックは、ようやく起き上がった。
震える手で寝巻きをなおし、乱れた髪を掻き上げた。
壁や棚に頼りながら、フラフラとした足取りで、コテージへ続く扉の鍵を開ける。
動揺のあまり、古びた鍵を壊してしまうが、気にすることなく外へ出た。
柵に両手を突き、新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。
漆黒の瞳には、青い三日月が映っていた。突然、その輪郭が大きく歪む。
アイザックは項垂れ、肩を震わせた。
柔らかな光が、はらはらと落ちる涙を包み込んだ。
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