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第十二話:かくれんぼう

 ハリンストン兄弟を乗せた馬車が、軽快に街を駆けてゆく。  キャビンの隅に腰かけているアイザックは、険しい面持ちを車窓に向けていた。  日も登り切らぬうちに、両親が王都へ出立したのだ。 『ようやく、二人きりになれたね』  共に見送った直後のリジャスの言葉を思い出してしまう。 「……っ」  アイザックは咄嗟に手のひらで耳を覆った。  この忌々しい声はただの記憶でしかないのだから、塞いでも無駄だと分かっているはずなのに。  アイザックはすぐに冷静さを取り戻した。  怯えた漆黒の瞳。その内には『これ以上ヤツに好き勝手されてたまるものか』という気概もあった。  しかし……それは、隣人のイタズラによって、早々に削がれることとなる。 「っ、お前、何をやってるんだ……!」  太ももに置かれた手を、アイザックは虫を払うように引っ叩いた。  「何って」リジャスが声を弾ませた。  意地悪な表情に、アイザックは肌が粟立(あわだ)つのを感じた。 「兄さんに触れたいんだよ」 「おい、よせ」  伸ばされる両手に抵抗し、アイザックは身を丸める。  その時、御者(ぎょしゃ)の存在が頭をよぎった。  キャビン内から御者の姿を見ることはできない。  同時に、御者もこちらの様子が分からないはずだ。  しかしこれ以上抵抗し、大声でも上げようものなら、リジャスとの関係を知られてしまうだろう。 「なぁ、リジャス」  子どもを(なだ)めるような口調でアイザックは彼を呼ぶ。  話し合いで収めるべきだ。知性ある人間として、アイザックはそう思った。 「流石にここでは不味い。御者もいるだろ? だから、その——」  アイザックは口ごもった。  この先、何と言うべきか分からない。 「ねぇ」  言い淀んでいると、痺れを切らしたリジャスに声をかけられた。 「御者のことなんて心配いらないんじゃない? バレやしないよ。……兄さんが変に暴れなければ」  腰に手を回される。  狭い車内で逃げられる訳もなく、アイザックはリジャスに捕まえられてしまう。 「よせ……やめろ……っ」  片手をボトムスに突っ込まれ、ペニスを外へ引っ張り出される。  アイザックは羞恥に(うめ)いた。  キャビンの中とはいえ、公共の場で恥部を露出するなんて、あってはならないことだから。  陰茎を刺激される。  握られたり離されたりを繰り返すうちに、兆しが現れる。  これはただの生理現象だ。  決して、リジャスの手によって欲情しているという訳では——。  外の方で何かが崩れた音がした。  馬が(いなな)き急停車する。  座った姿勢のまま転びかけたものの、リジャスに支えられ怪我をせずに済んだ。 「申し訳ございません!」  若い御者の声が飛んできた。  アイザックたちを学校へ送るのは、熟練の運転手であるイーソンの役目だ。  しかし彼は両親と共に旅立ったため、しばらくは青年御者の世話になることとなった。 「どうしたの」  リジャスが声を張って訊ねた。  その間も手を休めてはくれず、アイザックは静かに耐え続ける。 「それが、商人が果物のカゴを誤って倒して、道を塞いでしまったんですよ」 「手伝ってやって。その方が早いでしょ?」  「兄さんならそう言うよね?」とリジャスに囁かれる。  アイザックはその問いに答えない。  民たちの気配を五感で味わわされ、頬を真っ赤にするばかりだ。 「は、かしこまりました!」  御者が運転席から降りる音が聞こえた。  リジャスの責めは殊更に熱烈になる。 「は……は……っ……」  アイザックの呼気に熱いものが混じり始めた。  踵を浮かせ、忙しなく上下させる。 「こっちだけは素直なんだから」  リジャスの口ぶりに歯噛みした時。 「わぁー!」  キャビンの外から無邪気な声がした。幼い兄弟だ。  馬車を見て「凄いね」「かっこいいね」と言い合っている。  貴族の乗り物は、領民である彼らには格好良く映るのだろう。  目を星のように煌めかせながら、馬や運転席、キャビンをじっくりと眺めている。  ——頼むから、こっちは見ないでくれ!  アイザックは祈るように手を組んだ。  ——そんな目で見られたら、私は……!  外からは乗客の顔くらいしか見えないはずだ。  それでも、辱められている様子を見られるなんて……想像するだけで消えてしまいたくなる。 「……?」  弟の方に気付かれた。  目が合った途端、アイザックは視線を逸らす。  にこやかに挨拶でもするべきなのだろうが、そんな余裕は当然ない。  この頃には、アイザックの陰茎は完全にそそり立っていた。  公共の場で自身の存在をアピールするように。 「ふ……ふっ……ふ……ぅ、っ」  堪えきれず息を漏らす。  アイザックの目には薄らと涙が浮かんでいる。  ——いやだ、っ。  腰に回されていた手を離される。  ——イきたくない……!  リジャスが自分の上着のポケットに手をやり、純白のハンカチを出した。  ——嫌だ、嫌だ嫌だいやだ……!  それを鈴口に当てられる。 「……ッ!」  アイザックの体が、意志に反した。  精液を溢れさせ、貴族のステイタスとも呼べるリネンを無駄にする。  絶頂の最中、アイザックはチラリと車窓を見た。 「……?」  その子どもはまだこちらを見ていた。  流石に何が起こっているかは分からないようで、不思議そうに目を瞬かせている。  ——射精してしまった。  守るべき領民の前で。  純粋な子どもに見られながら。  陰茎が急激に縮んでゆく。絞られ、残った精も吐き出させられる。  そんな中、ようやく御者が戻ってきた。 「お待たせしました。出発いたします」  手綱の音と共に景色が動き始める。  しかしアイザックの意識は、屈辱を味わわされた場に取り残されたままだった。  ***  学校から帰宅した直後、アイザックは自室に閉じこもった。  アイザックにとって最も強力な盾である両親はいない。  しかしまだ手伝いたちがいる。    あのリジャスだって、人目を(はばか)らずに襲い掛かってくることはない。  だからこそ、従業者用の別館を建てた祖父を恨めしく思う。  ——手伝いたちがいなくなってからが逃走の本番だ。  椅子に腰掛けながら、アイザックは鍵束のリングを握りしめた。  これさえあれば、屋敷のどこにでも身を潜められる。  本当はどこかの宿にでも逃げられれば良いのだろう。  しかし悲しいことにアイザックは領主の子だ。勝手に家から出ることは許されない。 「兄さん」  ドアをノックされる。この声はリジャスだ。  冷や汗が顳顬(こめかみ)をツウッと伝った。 「食事の用意が出来たよ」  アイザックは違和感を覚えた。  いつもは手伝いのラナが食事のことを伝えに来てくれるのだが。 「先に行っててくれ」 「どうして?」  『お前と二人きりになりたくないからだよ』という本意を飲み込みながら、アイザックはこう答える。 「勉強中なんだ。切りの良い所まで終わらせる」  「ふーん」と間延びした声が聞こえた。  しかしそれに足音が続かない。  いつまで経っても静かなので、遂にアイザックは諦めた。  机に両手を突きながら立つ。  椅子の足と床が擦れ合い、甲高い音が不快に響く。  鍵束を命綱のように握った後、上着のポケットに忍ばせた。  扉を開ける。アイザックの動作は乱暴であり、上品さに欠いていた。  リジャスは廊下の壁際に背を預けていた。  兄の姿を目で捉え、三日月のように口を歪めた。 「さ、行こ」  リジャスに促され、アイザックは鼻を鳴らした。  アイザックが先を行き、その後ろをリジャスが付いて来る。  自然と速足になる。にもかかわらず、リジャスとの距離はどんどん縮む。  腰に手を回された瞬間、アイザックは彼を突っぱねた。  数歩よろめいたリジャスは、どことなく嬉しそうな顔を浮かべた。  ——どうして俺が、こんな目に遭わなくちゃならないんだ。  アイザックは泣きそうになった。  人目を気にせず喚いたら、少しは楽になれるだろうか。  アイザックはリジャスを振り切るように階下へ降りた。  ダイニングへ通じる扉を開けた時。 「——え?」  アイザックの疑問が、がらんどうのダイニングに溶けていった。  誰も、いない。  食事の時間になると、多くの手伝いが控えているものなのだが……。  テーブルには二人分の食事があるのみだ。  兄弟以外の人間が、この世界から消えてしまったかのよう。  この非常事態に、アイザックは目を白黒させたまま立ち尽くした。 「さ、食べよ」  遅れて到着したリジャスに追い越された。  振り返った彼の顔は、イタズラを成功させた子どものようだった。 「驚いた? せっかくの二人きりの夜だからさ」 「まさか——」  アイザックは唇をわなわなと震わせる。 「追い払ったのか。全員」  リジャスが頷いた。これほど嫌な首肯を目にするのは初めてだった。 「別館のほうに行ってもらったよ」  ——本番が、始まった。  * 「はい、あーん」  スープをすくった匙を向けられた。  今日、リジャスはアイザックの隣に着席した。  わざわざ自分の食事を移動させてまで。  いつもはテーブルを挟んで向かい側の椅子に座るのに。  仕方なくアイザックは口を開け、スープを飲ませてもらった。  ——こんなの、まるで恋人同士じゃないか。  温かなディナーをとっている最中なのに、胃の()が冷えるような感覚がした。  椅子に腰かけたまま、机の上を一瞥(いちべつ)する。  リジャスの手の届く範囲に食事用のナイフがある。  果物ナイフよりは殺傷能力に欠けるものの、十分に凶器となり得る。  アイザックは震えた息を吐き、目を伏した。  そのようなことまで気にするほど、アイザックはリジャスを脅威に感じている。  ……彼は既に、人の道を大きく逸れている可能性があるから。 「美味しい?」 「……うん」  リジャスが表情をパッと明るくした。  アイザックは一緒に笑う気になれなかった。  それからも料理はすべてリジャスに食べさせられた。  これでは恋人じゃなくて赤子だ。  気分はますます悪くなるばかりで、普段の半分以下しか食べられなかった。  しかし……どうしてだろう。  アイザックがあまり食べなかったことを、リジャスは喜んでいるようだった。  *  上機嫌なリジャスに連れられ風呂場へ向かう。  嘘だろう? 風呂の時間すら一人にさせてくれないのか。  無防備な姿で抵抗できる訳もなく、アイザックはリジャスの思い通りにさせられた。  一緒に風呂に入り、頭や体を丁寧に洗われる。  愛でるような手つきに吐き気がした。  アイザックに好機が訪れたのは、風呂場から出た直後だった。  体を拭くためのリネンを用意するため、リジャスが背を向けたのだ。  ——今だ。  アイザックは咄嗟にそう思った。  畳まれた服のポケットから鍵束を引き抜く。  音が鳴らないよう細心の注意を払いながら。  クマに遭遇した遭難者のように下がり、アイザックは部屋から脱出した。  ——逃げなければ。  裸のまま廊下を駆ける。あちこちの部屋の鍵を開けながら。  最終的にアイザックが落ち着いたのは、ハリンストン家の二階にあるリネン室だった。  ここなら隠れられる場所も多いし、何より快適に過ごせる。  しかし不安なのは、内側から鍵を掛けられないこと。  ここだけ鍵が開いているのに気付かれたら一巻の終わり。  だからアイザックは屋敷にある部屋の鍵を開けて回ったのだ。  リジャスを混乱させ、見つかる可能性を低くするために。  アイザックはリネンの山から一枚とって、濡れた体に巻き付けた。  そして出入り口から身を隠すように、山の裏に腰を降ろす。 「……あぁ」  アイザックは顔を両手で覆う。  こんな生活が、あと何か月続くのだと。  ヤツの暴走をどうにかしなければ、絶対に身が持たない。  ……いや、もう手遅れなのだろう。  ひとしきり悲しんだ後、アイザックはリネンの山の隙間に身を潜めた。  まさか、ミルフィーユのようにリネンの中に潜んでいるとは思うまい。  暗闇と静寂の中。息苦しさにクラクラしながらも、アイザックは隠れ続けた。  ——来た。  扉が軋む音を確かに聞いたアイザックは、両目を固く瞑った。  奴の足音が大きくなってゆく。  不規則なリズムで刻まれるそれに、アイザックは息を呑んだ。  ヤツの足音が近付いたり、遠ざかったりを繰り返す。  頼む、このままいなくなってくれ。  外の方を探しに行ってくれ。  そのまま帰ってこないでくれ。  アイザックは指先すら動かさず、自分が死んだつもりで隠れ続ける。  これは悪夢だ。  化け物に追われるという、潜在的な恐怖を映す鏡なのだ。  ……夢であってくれたなら、どれほど幸せだっただろうか。  やがて、足音が止んだ。  ——いなくなったのだろうか。  アイザックはほんの少しだけ気を緩めた。  扉を閉じる音は聞こえなかった。  アイザックが見つからないために気を逆立て、ドアにまで気が回っていない可能性は十分に考えられる。  確認しに行きたいという思いをグッと堪える。  ようやく見つけられた機会と隠れ場所を無駄にしたくない。  厄災が通り過ぎてくれたのを期待しながら、アイザックはじっとし続けた。 「兄さん」  リジャスの声に、心臓が大きく跳ねた。  次の瞬間に感じたのは寒さだった。 「……ふふ、見つけた!」  暗闇に慣れた目は、リジャスの顔を捉えた。 「あ……あぁああぁッ!」  アイザックは叫んだ。  リジャスの顔が、喜悦で歪んでいたから。

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