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第十三話:吸血鬼

 ハリンストン家のリネン室。  手提げ洋灯が頼りなく辺りを照らす中、アイザックはリジャスに覆い被さられた。  両手首を押さえ付けられ、リネンの山に大きな皺ができた。  嬉々としたリジャスに唇を貪られる。舌をねじ込まれ、口内すらも犯される。 「ん……んぅ、っ」  アイザックの口端から、苦しげな呻き声が絶え間なく漏れる。  抵抗を試みるものの、リジャスの力と体重に負けてしまう。 「こんな姿で逃げまわるなんて! そんなに僕のことが嫌なの?」  『そうじゃない』という返事を待っていそうな顔だった。  その時、初めて彼を殴った時と同じ感情が噴火した。 「あぁ、嫌だよ!」  期待を裏切ってやると、リジャスに目を丸くされる。  あぁ、なんて男だ! これほど拒絶してきたのに、今まで微塵も気付かなかったらしい。 「俺は……っ、お前が初めて襲いに来たあの日から、ずっとお前のことが……嫌い、なんだよ!」  息を荒らげ、胸を上下させる。 「なんで分からないんだ、ずっと! ……ずっと、嫌だって! ずっと……っ! それなのにお前は!」  獣のように吠える。  その声は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえた。 「……へ?」  リジャスの顔が、たちまち青ざめる。兄を抱く腕が縋るようなものへ変わった。  アイザックは奥歯をぎりっと噛んだ。肺を絞られ、唇の隙間から息を漏らす。 「嫌い……? だってずっと、僕のこと好きだって」 「それは兄弟としてだ! こんな……こんな関係になりたかった訳じゃない!」  「いいか!?」と無法者のようにアイザックは叫び続ける。 「俺はお前が嫌いなんだよ!」 「やめて」 「もう兄弟だとも思いたくないし、補佐にもなって欲しくない!」 「やめてよ」 「大嫌いだ! お前なんか——」 「やめろ!」  リジャスが鬼のような形相で叫んだ瞬間。  アイザックの視界が真っ暗になった。  *** 「……っ!?」  裸体のアイザックはベッドの上で目を覚ます。  まず視界に入ったのは天井ではない。いつか読んだ歴史小説の背表紙だった。  寝巻きを羽織っただけのリジャスに、アイザックは膝枕されているのだった。 「あ、起きた?」  小説を閉じたリジャスに微笑まれる。  わずかに体を捩ったアイザックは、顔を顰めて「うぅ」と唸った。  腹を押さえながら、そのまま元の姿勢に戻る。  ——まさか。  下腹部に集中する嫌な感覚に、アイザックはさめざめと泣く。 「どうしたの? 痛い?」  涙と(はな)で顔をぐしゃぐしゃにしながら頷いた。 「……そう」  リジャスの手がアイザックの下腹部へ伸ばされる。  労わるように優しく撫でられた。  しかし、むしろ痛みは増すばかりだった。 「でも、兄さんが悪いんだよ? 逃げたり暴れたりするから」  アイザックは頭を抱え、声を上げて泣き続ける。  人間としての尊厳をボロ切れになるまで切り裂かれた気分だった。 「わかってるよ。さっきのは嘘だって。兄さんが嫌いなんて言うはずないもんね」 「……嘘じゃない」  アイザックの自室が、しんと静まり返る。 「俺はお前が——」  続きを話す前に、口を手のひらでそっと覆われた。 「嘘。嘘だよ。兄さんはそんなこと言う人じゃない。わかってるよ。ずっと一緒だったんだもん」  リジャスに上体を支えられ、軽い口づけを受ける。 「本当はもっと段階を踏むつもりだったんだけど……仕方ないかな」  手を取られ「起きて」と促される。 「やめろ……っ」  手を振りほどこうとする。  アイザックは体に力が入らないことに気付いた。  気絶させられた後、薬を飲まされたのかもしれない。  彼が薬学を学んでいることを思い出しながら、アイザックはベッドから立たされた。  身支度のために使う姿見の下に、いくつかのクッションが撒かれている。  鏡の前に立たされたアイザックは恥を覚えた。  自分の裸体をこうして見ることなんて無かったから。 「兄さん」  後ろから抱き着かれる。  当然、アイザックはその光景を鏡越しに見ることとなる。  アイザックは吐き気を催し、両目を固く閉ざした。 「目を開けて」  (おとがい)を掴まれ、顔を上げさせられる。  それでもアイザックは目を開けない。 「そろそろ言う事聞いてもらわないと……この前の続き、しちゃおうかな」  睾丸をむんずと掴まれる。  その瞬間、本能的な恐怖を覚えて体を跳ねさせた。  反射的な速度で(まぶた)を開ける。  自分と目が合った。  家族だと思っていた男に陰嚢を掴まれている自分と。  恐れ戦き、ペニスを情けなく縮こませている自分と。 「……あ」  アイザックは絶望の音を漏らした。 「いい子」  囁かれ、肩に口づけを落とされる。  肌を舐められる。柔らかな舌が、皮膚の上を滑ってゆく。  それが変わったのは突然のことだった。 「いっ……!」  アイザックの鋭い声が虚しく溶ける。  肩に熱を感じながら浅い呼吸を繰り返す。  リジャスが口を離した。  そこには痛々しい歯型が残されていた。  滲んだ鮮血が、ランプの明かりを受けてぬらぬらと光っている。  それをリジャスは躊躇いなく舐めた。 「……っ」  血を求められる。傷口がピリピリと痛む。 「見て」  片手で腰を支えられて。 「焼き付けて」  もう一方の手で胸を掴まれる。しなやかな筋肉に、男の指が沈み込む。  指の間から顔を覗かせた蕾を弄ばれる。  撫でられ、爪先で軽く掻かれ、捏ねられる。  アイザックは耐える。微弱な快楽と、視覚へと訴えられる屈辱に。 「嫌いなんて嘘だよ。だって、こんなに感じてくれてるんだもん」 「ち、違う。俺は——」 「まだ言うの?」  冷たい湖から這い出る化け物のように暗い声だった。  その時だった。 「あ……ッ!?」  何かに腹を突き上げられた。  指じゃない。  さらに太く、さらに熱く、さらに禍々しいナニカ。 「……っは」  リジャスの息が肩に掛かる。  それは確かに、劣情の熱を孕んでいた。 「……あぁぁぁぁッ!!」  アイザックは悲鳴を上げた。  今、自分の腹にあるモノの正体を確信したから。  アイザックは身を捩じらせ、離れようとした。  どれほど腹が傷付いても構わない。穢されるよりマシだ。 「危ないっ!」  リジャスに腰をしっかりと掴まれた。そのまま共にクッションへと膝を降ろす。 「動かないで、お願いだから」 「よせ! やめろ! 馬鹿、馬鹿、馬鹿バカバカ!」  低俗な言葉を吐きながら、床を這って逃げようとする。  顔を前方へ向けた時、また自分の裸体が目に入った。  弟だと思っていた男の逸物を飲み込み、四つん這いになっている。  獣のようだとアイザックは思った。  絶望に打ちひしがれ、顔を大きく歪めてしまう。  腹に、衝撃が走った。  アイザックの体内を満たす猛りが、身を引き、押しを繰り返す。 「……っ?」  頭がくらりとした。  得体のしれない心地良さが、腹の底から湧き上がってくる。  ——お前……っ、寝てる間に、何をした……!? 「兄さん、っ」  呼吸をわずかに乱れさせながら、リジャスが兄の名を呼んだ。 「とても、気持ちいいよ……兄さんの体が、愛してるって言ってくれてるみたい。した甲斐があったよ」  リジャスは雄としての快感に身を投じる。  まるで肉筒が吸い付いてくるようだ。逸物を締め付けられるたび気をやりそうになる。  アイザックに好意を抱いてからというもの、リジャスは兄を想いながら自慰をするのが常になっていた。  兄と性交する妄想も当然してきた。  しかし今日。リジャスはそれが下らないことであったと気付いた。  「兄さん、兄さん」と呼びながら、アイザックとこの喜びを共有しようとする。 「あっ……あぁぁ、あ……ああ、っ」  アイザックは泣きながら啼く。  腹に満ち満ちた肉槍に、最奥を容赦なく穿たれる。  水音を奏でる。そのたびに、苦痛と快楽を比べる天秤の傾きが変わってゆく。 「兄さんだって、気持ち、いいんでしょ?」  再び(おとがい)を掴まれ、鏡を見させられる。 「そうじゃなきゃ、こんなに、っ……気持ち良さそうな顔、しない」  ……なんて、情けない姿なのだろう。  黒髪を振り乱し、頬を涙で汚している。  大きく歪んだ顔には、もはや抵抗の意志を感じられない。  その時、猛りに鋭く貫かれた。 「あぁ……ッ!!」  目の前がチカチカと眩み、雷に撃たれたように全身が痺れる。  萎えたままの陰茎から何かが滴った。  それは白く濁っていた。  先ほどの衝撃に戸惑っていると、頬を紅潮させたリジャスに笑われた。 「イったんでしょ」  ——イった?  そうか。俺は気をやったのか。  ……反吐が出る。  鏡越しの自分を睨む剣呑な目つきは、リジャスの腰遣いによってすぐに柔らかくなった。 「っは……、っ」  リジャスの息が弾む。  揺れる金髪の狭間で、コバルトの瞳がぎらりと輝いた。  汗ばむ腰を打ちつける彼の表情は、次第に強張り始めた。  責めが苛烈になってゆく。  性のいやらしい臭いと、手を叩くような破裂音に、アイザックの部屋が穢される。  その様を、アイザックはすべて目に焼き付けさせられた。  アイザックは咆哮(ほうこう)を上げる。  男の身でありながら、女のように扱われ、快感を覚える自分を戒めるように。 「兄さん……あぁ、兄さん! 見てよ……っ!」  リジャスの声は歓喜で上ずっている。 「ねぇ! こんなに感じてるのに嫌いな訳ないよねぇ? ねぇ、好きって言ってよ! 愛してるって! ねぇ。ねぇ、ねぇ、ねぇねぇねぇ!!」  アイザックの両腰に添えていた手が、ドラゴンの鉤爪のように沈み込む。  そこから鮮血が滲み、リジャスの指先を湿らせた。  灼けるような痛みを覚えながらも、アイザックはリジャスの望む言葉を一音すら与えない。 「……っ、ぅ……!」  そうしているうちに、リジャスが大きく唸った。  同時に、アイザックの中でなにかが弾けた。 「……あ、っ?」  わずかに視線を背後へやり、アイザックは急激に顔を青ざめさせる。  魔物のように立ち尽くすリジャスは、深い呼吸を繰り返していた。  その間も、リジャスの屹立がアイザックの腹で律動する。  最奥に熱水が広がる。それが腸壁に絡みつく。 「兄さん、分かる?」  リジャスの凶暴性は消え失せていた。  慈愛に満ちた表情に、アイザックは怖気を感じた。  下腹部に大きな手を当てられ、温められる。 「僕のだよ」  そう微笑まれた時。  アイザックの胸に、希死念慮が芽生えた。  ***  アイザックは再びベッドへ連れられた。  横向けに寝かせられ、背中から抱き着かれる。  その間、リジャスに下腹部を撫でられ続ける。  体内に残る種の存在を、常に思い出させるように。 「やっぱりさ。僕たち、体の相性も良いと思うんだよね」  リジャスが戯言をほざき始めた。 「初めてなのに気持ち良くなってくれたもん」 「うるさいっ」  身を(よじ)った瞬間、体がひどく痛んだ。  額に脂汗を浮かばせたアイザックは、小さく唸りながら姿勢を戻す。 「僕にふさわしいのは兄さんだけ。そして、兄さんにふさわしいのは僕だけなんだよ。。そうでしょ?」  彼の言葉に、アイザックは恐ろしい考えを思い出す。  ——今訊いたら、どんなことをされるだろうか。  一瞬、アイザックは躊躇った。  しかし次の瞬間には、どうなったって構わないと腹をくくった。 「リジャス」  枯れた声で、アイザックは名を呼ぶ。  すると「なに?」とどこか楽しげな返事を送られた。 「お前……キーガンのこと、どう思ってた」  わずかな沈黙に、背筋に冷たいものを感じる。 「兄さん」  案の定。帰ってきた声は、ナイフの刀身のように冷たかった。  もし声で人を傷付けられるなら、アイザックは今頃血を流していただろう。 「他の男の名前なんて出さないでよ。……気持ち悪い」  確信を抱き、アイザックは「あぁ」と嘆息を漏らす。  以前、アイザックは自分のことを死神のようだと感じたことがある。  学校から姿を消す人間は、自分と関わった者ばかりだったから。  ——そうだったのか。俺は本当に、死神だったんだな。 「アイツ、馴れ馴れしかった」  リジャスの声には、憎悪が滲んでいる。  彼の顔を見るのが怖くて、振り返ることすらできない。 「どうせアイツから近付いて来たんでしょ? 迷惑だよね。平民のくせにさ。下心持ってたんだ、兄さんが魅力的だから、カッコいいから、だからアイツ気持ち悪いクズのくせに立場も弁えないで死ね死ね死んでしまえ」  流れるような暴言の数々に慄く。  あの頃の……兄弟だったころのリジャスは死んだのだ。  いや、最初からいなかったのだろう。  内気で繊細な少年リジャスなんて、この世に存在していなかったのだ。 「兄さん」  怒りで体を震わせていたリジャスは、冷静な口調に戻った。 「愛してるよ。これ以上なく」  首筋にキスを落とされる。甘いリップ音に、アイザックの呼吸が浅くなる。 「僕が……守ってあげるから。ね?」

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