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再戦の資格
「畳使ってい?」
その一言で、道場の空気が張り詰めた。
顧問は淡々とため息をつく。
「入部説明会だが」
「一試合だけ、ね?」
顧問は結局流されて渋々と許可をした。詩は柔道着に着替えると、帯を締めながら東へ視線を向ける。
「じゃ」
「来いよ」
東が一歩前へ出る。周囲の空気がより一層、張り詰めた。今にも始まりそうだった。けれど。
「あ、ちがう」
詩がふと顔を上げる。東が眉をひそめた。
「なにがだよ」
「やっぱ先に陽彩」
一瞬、道場が静まり返る。
「……は?」
今度は東だけではなく、周囲からも声が上がった。
詩は当然のようにこちらを指差す。
「俺とやる前に陽彩とやって」
「なんで」
「じゃないと面白くない」
柔道場中には不満げな声が飛び交う。けれど詩は気にも留めてない。真っ直ぐ陽彩を見つめるだけだった。
「陽彩」
呼ばれて顔を上げる。
「ここで負けたらお前は俺の敵ですらない」
道場が一層静けさに包まれる。誰もが言葉を失っていた。あまりにも傲慢な言葉だったからだ。
特待生として集められた選手達。全国大会経験者も少なくない。その中で詩はただひとりだけを見ている。まるで他の誰も必要ないと言うように。
「詩くん」
陽彩は小さく眉を寄せる。
「それ、本当に喧嘩売ってるみたいだから辞めた方がいいよ」
「なんで?」
「なんでじゃない」
即答だった。周囲からも「その通りだ」という空気が漂う。けれど詩は納得していないような態度を見せている。不思議そうに首を傾げたあと、鼻を鳴らした。
「じゃあ、いいわ」
そう吐き捨てると、視線を外す。
そのまま東の方へ向き直った。
「東だっけ」
「あ?」
「やろうぜ」
陽彩は思わず眉を寄せた。
それで終わりなのかと思ったら腹立たしかった。
中学最後の決勝で交わした約束も、あっさり捨てられたような気がした。胸の奥がざわつく。
「詩くん」
気づけば呼び止めていた。
詩が振り返る。
「君こそ、後悔しても知らないよ」
陽彩の言葉で、周囲の空気は一瞬にして変わった。詩は目を丸くするとそれから嬉しそうに笑った。
「そうそう、その目」
懐かしいものを見つけたみたいな顔だった。
陽彩は思わず眉を寄せる。
詩はそのまま東へと鋭い視線を向けた。
「東」
「なんだ」
「こいつのことぶっ倒せ」
東はその言葉に、額に青筋を浮かべた。
陽彩もどっちの味方なんだと言わんばかりの、鋭い視線を詩へ送り付ける。
陽彩は立ち上がるとそのまま畳の方へ向かった。
すれ違いざま。肩をぽんと叩いてくる詩は耳元で「俺と戦え」そう言った。その言葉に答えるように静かに、柔道着の襟を正した。そして小さく呟いた。
「一分でいい」
その言葉に、詩はあきらかに驚いた顔を見せた。
陽彩は振り向かない。ただ真っ直ぐ畳を見つめたまま続ける。
「すぐ終わるよ」
挑発でもない。見栄でもない。ただの宣言だった。それは朝倉詩に対しての警告だ。
「東」
陽彩はゆっくりと構える。
「悪いけど」
視線がぶつかる。
「君に使う時間はないんだ」
その瞬間、東の眉が微かに動いたのが見えた。
背後では詩が楽しそうに笑う声と、周囲の緊張さが見てとれる。
東と向かい合うと、畳の感触が足裏に伝わった。
お互いに礼をする。
「初め!」
顧問の声が道場へ響く。
その瞬間、陽彩は迷わず前へ出た。
一気に間合いを詰める。東も同時に踏み込んできた。柔道着が擦れる音が響く。右手で襟を取る。左手は袖。東もすぐさま組み返してきた。
(重いな)
ただ組んだだけで分かる。見た目通りの力だった。けれど陽彩は怯まない。足を動かす。崩す。揺らす。隙を探る。
東の眉が微かに動いた。
「へぇ」
小さく漏れた声。軽く見られていたわけでない。それでも予想以上だったのだろう。陽彩は構わず踏み込む。
――一分。
その言葉は嘘にしない。背後から詩の視線を感じる。
陽彩は東から目を逸らさないまま、静かに息を吐いた。
「ごめん、僕の勝ち」
そう小さく呟いた、次の瞬間だった。
陽彩は一気に東の懐へ潜り込む。東の目が見開かれた。気付いた時にはもう遅い。肩越しに伝わる体重。引き寄せる。崩す。そして振り抜く。
鮮やかな一本背負いだった。
東の巨体が宙に舞う。道場から音が消えた。誰もが息を呑む。
「一本!」
顧問の声が響く。
次の瞬間、東の背中が畳へ叩き付けられた。
試合時間、五十二秒。
陽彩はゆっくりと立ち上がる。
そして真っ先に視線を向けた。そこには、満足そうに笑う詩がいた。
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