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第14話
俺が服を着ているあいだ電話をしていた美濃は、俺がコートまで着終わったのを確認すると、「ここのことも、次の俺の授業のこともほかの先生に任せることにしたから、出るぞ。タクシーもすぐに来る」と云いながら壁ぎわに転がっていた黒いスマホを拾い上げた。それは竹中のだった。
ロックはちゃんとかかっているのだろうか、と俺は不安になった。万が一美濃に中を見られて、あの撮られた写真に気づかれたりしたらと思うと心臓がぎゅっとなる。
「先生、それ……」
「ん。俺が預かっておく」
美濃はそれが誰のものかと、もう俺に訊きはしなかった。そしてむやみに操作しようともせずすぐにジャケットのポケットにしまいこんだのだ。
さっき美濃は俺を拭いたハンカチをジャケットの内ポケットにしまっていた。ズボンの尻ポケットから出したそれを彼が丁寧にたたんで内ポケットに入れるのを見たとき、俺はちょっと引っかかりを感じていたんだ。
「先生、あの、さっきのハンカチ。俺、洗って返すから貸して?」
「いや、そんなことしなくていいよ。気にすんな」
さぁ行くぞと、俺を教室の外に促す美濃には気魄 が籠っていた。俺は彼がとんでもないことをするんじゃないかと気が気でなくなり、慌てて彼の懐に飛びついた。美濃のジャケットのなかに手を突っこんでハンカチを奪おうとする。
「あっ、こらっ なにするんだっ」
「ハンカチッ。俺が持って帰るからっ!」
「ばかっ、やめろ。お前怪我してるんだから、おとなしくしないかっ」
「じゃあ、ハンカチ返してっ」
「返してってな、これは俺のだろうが」
やっぱり美濃とは体格差がありすぎて、両手首を掴まれた俺は簡単にひっぺがされた。それでも返して返してと喚くと、「授業中だ」と云って口を塞がれてしまう。その瞬間、あいつらにされたことを思い出してしまった俺は、「うわっ!」と叫んで美濃を突き飛ばすと廊下にしゃがみこんだ。真っ蒼になって震えだした俺に、美濃もすぐに膝をついて謝りだす。
「わ、悪い。いまのは乱暴だったな。ごめん、もうしないからっ」
「……だったら、ハンカチ」
「これは、ダメだ。……もうウチの生徒だからとか云って庇っていられる事態じゃないんだよ。先生、警察に行くから」
(ほら、やっぱりだ)
そんなことだろうと思った。美濃はなにもわかってない。コイツは俺が強姦でもされたと思ってるんだろうけど、今日のは未遂だ。ハンカチはそんなことの証拠にはならない。だってついている体液は俺のなんだもん。
(そんなの調べられたら警察のひとに俺が変態って思われるだけじゃん。しかもそれが世間に知られたら……)
「……俺、お嫁に行けなくなるだろ」
ぽそりと呟くと、美濃は「藤守、かわいそうに。お前錯乱してるんだな」と眉を顰 めた。写真だって警察に持っていかれたら、世の中に知れ渡ったりする可能性がでてくるんだ。
「そのスマホも俺に渡して。じゃなかったら、もういい」
けれどもやっぱり美濃は俺の云ったことを聞いてはくれなかった。すまなそうにはしていたが、毅然とした態度に彼はもう決めてしまったんだと落胆する。じゃあ、もう本当にいい。俺は知らないから。
立ちあがって走りだした俺を美濃は追いかけてきた。
「もうっ、放せってっ! ほっとけよ!」
腕を掴まれ、またもや簡単に捕まってしまった。
「どこに行くんだ? 家に帰るなら送っていくって云ってるだろ?」
「家になんて帰らない! 学校にも一生こないっ! 先生の顔も一生見ない!」
「家に帰らないって、じゃあ……、! まさか藤守、お前、もしかして⁉ いいかっ絶対にはやまるなよ⁉」
「病院に行くんだよ! だって弁当置いてきてるんだからっ。俺の晩御飯!」
「はぁ? 弁当って……いや、だって、お前ケガもしてるし、親にも俺から報告したほうがいいし」
俺はギッと上目づかいに美濃を睨みつけた。そして、涙に潤んだ瞳と声で訴えた。
「親にも警察にも絶対に云うな。もしバラしたら、俺、俺、…………はやまってやるっ」
「!」
やはりコイツにはコレがいちばん効くんだ。
案の定、美濃はイチコロだった。かくして俺は美濃にタクシーに乗せてもらい、哲也くんの眠る病室に戻ることができたのだ。
***
「ほんとにまったく最低だったんだよ?」
病室に着くなりあたりまえのように哲也くんのベッドに潜りこんだ俺は、掴んだ彼の右手をいじいじと弄びながら、愚痴りつづけていた。
「ここ、たんこぶできちゃってるよ」
彼の手をぐいっとひっぱってきて後頭部をナデナデした俺は、「いてっ」と顔を顰 めた。ここはダメだな。しばらく触らないほうがいいかも。じゃあ……。
「ここも、ほら見て?」
もちろん眠っている哲也くんには見えないのはわかっている。俺は口の端の切り傷を彼の人差し指に触れさせた。
「いって」
(もぅ。こっちも痛いや)
布団のなかは真っ暗だ。それでも哲也くんの指に目を凝らす。「でね、」と、まだまだ話したりない俺は口をひらいた。
「まぁ、こんな感じで今日もあっちこっち殴られたり蹴られたりしていて痛いんだけどね。それでもゆうくんが来てくれたから、はやめに解放されたと思うんだ」
そのあとゆうくんにされたとんでもないことを思いだして、俺はポッと頬を赤らめた。
(学校でって、どうかと思うよ? さすがに幽霊。ぜんぜん理性がないよなぁ)
しかし俺はちゃっかりと流されて、美濃がやってきて中断されたときにはいいところを邪魔されたとがっかりしてしまったのだ。俺の理性も大概 かと、やましくなって「エヘヘンッ」と咳払いをする。
「でも、ここに帰ってくることができて、ほんとよかったよ」
俺は哲也くんの腕をぎゅうっと両手で抱きしめた。
「俺さ、美濃に嘘の時間云っておいたの。なんでって、写真のことバレたくなかったからだよ」
でも本当はもうひとつ理由があった。もし美濃に正直に「五限が終わったあと」って伝えたとして、もし彼がその時間に来てくれなかったら、自分は余計につらい思いをすると思ったからだ。
彼に一時間遅い時間を伝えたのは保険だ。さすがに一時間以上もあいつらが俺にかまっていることはない。その時間までに解散してしまえば、美濃が来たかどうか俺は知らないですむ。そしたら俺は傷つかない。
それに万が一そんな時間まで酷い目にあっていたんだとすると、奇跡的に美濃が来たときにはラッキーだったと考えられるかなって。でも、このことは哲也くんにも内緒だ。
「それなのに、結局竹中 がスマホ落としていきやがって、それ、美濃が拾ったんだ。せっかく嘘の時間云った意味がないだろ? 絶対アイツ中身見るよ? もう最悪だよ。俺が身を挺 して守ろうとした写真 をぉぉっ、美濃のバカバカバカ」
哲也くんの手の甲をカプッと齧 る。
「こんなことになるんなら、はじめっからホントの時間を美濃に云っとけばよかったよ。そしたらあいつら美濃に捕まって、俺、あいつらにボコられずにすんだかもな。あっ、でもまた違う日にボコられちゃうか? 『よくもセンコーにチクったな!』とか因縁つけられてさ。それとも卒業まで家に籠ってたらなんとか回避できるかなぁ。いや、ダメだ。また写真をネタに呼び出されるか。はぁ、もう俺イヤんなっちゃうよ、哲也くん。……ってかコレって卒業したら終わりになるの? 春休みとか暇だからまたごちゃごちゃ云い寄ってくるのかな? 竹中、家、けっこう近いし。でも大学入ったらさすがに忙しくなって、俺のことなんてどうでもよくなると思うんだけど? 哲也くんはどう思う?」
大学に入ったあともなお自分にからんでくる竹中たちを想像して、不安になる。俺は哲也くんの手のひらを広げると、そこにぺたっと頬をよせた。
(哲也くんの手、温 かい)
「それにしても美濃ってアタマ悪いよなぁ。ツメが甘いっていうの? 中途半端に辻本なんか寄こしやがってさぁ。辻本だってぼんくらすぎるよ。どこまで生徒、見る目ないんだって話。日ごろの素行から考えてみろよ、金村が勉強教えてくれとか云ってくるわけないだろう? な? やっぱりそこ、疑わないと。教室の様子美濃に見て来てくれとか云われてたんなら、なおさら慎重に考えるべきだと思わない? ねぇ、哲也くん」
俺は深呼吸を繰りかえした。―つぎの言葉を口にするには、勇気が必要だった。
「…………そのせいであいつら、俺がチクったんだろうって云いだしてさぁ。…………俺、もうすこしで犯 られちゃうところだったんだ」
言葉の最後は喉につっかえながら、涙を絡めてでてきた。
「……ひっく、うっ、うえっ……」
哲也くんの右手をはなして今度は彼の胸にしがみつく。目を閉じたらあのとき尻にペタッとくっついた竹中の嫌な感触が蘇ってしまい、鳥肌がたった。俺は慌てて目を開くと、哲也くんの胸に頬を擦りつけた。
(怖かったよぉ)
俺がぎゅうっとしがみついても、眠る哲也くんが寄り添ってくれることはない。逃げられないだけでもマシだと思えばいいのだけど、胸の奥が痛いくらいにつらくて悲しくて、どうしても彼にやさしく触れてもらいたかった。
うぇうぇ、グズグズ泣きながら、俺は彼の右腕を自分の腰の下に敷くと、今度は彼の身体の反対側にある彼の左腕をひっぱってきて自分の背中にまわそうとした。でも俺よりも一回りも二回りも大きい哲也くんの身体は重く、うまくこちらに向き合ってくれない。ひっぱってきた彼の左腕も手を離したとたんにするんともとのところにかえっていった。
(抱きしめてもらいたいのに、うまくできないぃっ)
「うっ、うぇっ、ひっく……うぇぇぇえん」
俺は寝転がったままの体勢では無理だと断念し、横着をやめて一度布団のなかから身体を起こすことにした。
もそもそっと掛け布団といっしょにベッドに身体を起こした俺は、そこでようやくベッドの脇で折りたたみ椅子に座っている美濃の存在に気がついた。
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