19 / 31

第19話

 ***  翌朝、俺は病院スタッフさんたちの活動がはじまるまえにベッドから抜けだして、トイレに隠れていた。頃あいをみて外にでたら、コンビニを探そう。お金を下ろさなきゃ。  高校に入ってから遊ぶ相手がいなかった俺には、結構なおこづかいが貯まってるんだ。食べ物を調達しながらこうやってうまく潜んでいたら、しばらくはこの病院で過ごせるんじゃないか? それなら家に帰れなくたっていい。お父さんにもお母さんにも会いたくないし。もしここがダメになっても、ほかに隠れられるところを探そう。  俺は、いなくなるつもりだった。  みんなから。 でももう簡単に死のうだなんてことも考えていない。ひとりでもがんばって生きてみる。  だってさ、一昨日(おととい)竹中たちに襲われたときに、俺は今度こそ本当に自分が消えてしまうかもしれない、死んでしまうかもしれないって思ったんだ。そりゃ、俺はなんどもなんどもあいつらやクラスのやつらにちょっかい掛けられてきたよ? それで、そのたびに悔しかったり辛かったり、腹が立ったり痛かったりした。すごく、怖かったりもしたんだ。死んだほうがマシだ、死んでやるって、どれだけ思ったことか。  けどもあの時の『消えてしまいそう』って瞬間、―俺は『助かりたい!』って。『まだ死にたくない!』って強く願ったんだ。まだ生きていたい、まだ存在していたいって。それでゆうくんや先生が現れて、なんとか生きながらえたんだし? せっかく助かったんだ。だからこれからは可能な限りは生きようって。  幸い今は哲也くんの傍に居れる。数日彼のそばで過ごさせてもらえれば、俺の心の傷は癒えてきっと元気になる。あとは時間が嫌な記憶を風化させてくれるだろうし……。ほら、ひとりでも生きていけそうだろ?  それに、もしかしたら―。  美濃があいつらのことを本当に上手に解決してくれるかも、という淡い期待が胸を掠めていた。  消えてなくなるのは、ほんとうに最後の最後の手段。 『だからがんばれ、俺。だって今日も哲也くんとラブな一日を過ごせるんだからな!』  そうちいさな声で呟いて、俺は胸のまえで寒さに震える拳を握りしめ気合を入れた。 『でなけりゃ……』 さきほどから俺の肩をスカスカと叩く男に視線を移して、俺は低く唸った。  男こと、キノシタセイジは、俺がここに籠っているのを見つけると隣にしゃがみこんでしゃべりだし動かない。背後には俺の尻を撫でさすりつづける痴漢幽霊もいる。痴漢幽霊が懲りずにまた手を前へとまわしてきたので、その手を打ち払う。痴漢幽霊の手はすぅっと消えた。 『地縛(こい)()らの仲間入りだけはゴメンだ』  未練や恨みつらみを多大に残してこの世を去ったひとの行く末、その名も幽霊。  ここが寒いのは空調のせいではなく、俺をとりまく霊気のせいだった。こいつらいつまでここにいるんだよ、そろそろどっかに行けよっ! 「でさぁ、俺とあいつの出会いは中学んときでさ。俺、よくあいつん家に遊びに行ってたんだぁ。でてくるおやつがうまくって! なんなら晩御飯まで食べて風呂まで入って帰ってたよ。いやぁ、世話になったなぁ。あれ? お~い。お前ちゃぁんと俺の話聞いてるのか?」 『聞いてるよっ、なんどもなんどもなんども! それで帰宅したら毎度「おにーちゃんどこ行ってたのーっ⁉」って、腹を空かせて待ってた弟に抱きつかれて大泣きされて大変だったってんでしょ?』   声が大きくならないように、気をつける。 「でさぁ、俺とあいつの出会いは―」 (はっ、また(いち)からリピートかいっ)  キッとキノシタセイジを睨みつければ、その隣に老女が洗った手を拭きながらすうっと現れる。 「おやつといえばさ、わたしが子どものときに一番好きだったやつはね、貝殻の内側にニッキが塗ってある駄菓子でね。親にこづかいを貰ったときはそれを握りしめて妹と店に行ってね、ひとつだけ買うんだよ。それをふたりで分けあって、こう、歯でね~」  また新参者がきた、と俺はうなだれた。 『おばちゃん、ここ男子トイレだよぉ。その話こんど違うところでしてよ……』 「ねぇねぇっ、おにいちゃん、いつまでここに隠れてるの~っ! 僕もう何回もおにいちゃんのこと見つけたよ? 鬼は交代ばんこなんだって! ねぇっ、はやく代わってよ~っ!」 『お前、なんど出てくるんだ? だから、おにいちゃんはかくれんぼしてるんじゃないんだってば! もうっ! さっきからずっとそう云ってるだろっ⁉ こんな(くさ)いところにいつまでもいないで、子どもは外で遊んでこいよなっ!』 「え~っ、こんな寒いのに外に行ったらボク死んじゃうよ~っ」  ……それはダイジョウブだと思うよ。 『邪魔だよ、邪魔!』  シッシッと手ではらうと、寝転がってギャーギャー手足をばたつかせていた子は、ふっと消えてしまった。もう二度と出てくるなよっ!  それにしても、病院のトイレの匂いってヒドイよねぇ。掃除は一日になんどもされているんだろうけど、とにかく臭い。これって利用者が飲んでる薬のせいだ。スンと洟をすすると、鼻孔が刺激されて「オェッ」ってなった。 『だからっ、触らないでってば!』  またもや俺のチ○コを掴もうとする痴漢幽霊の手を叩き落とす。 「なぁ、聞いてるのか?」とキノシタセイジに肩を叩かれ、『はいはい』と返す。そしてまた痴漢幽霊に尻を撫でられた……。 「俺の家ってな、最低だったんだ。親父はろくに働きもしないで、酒を飲んだら暴れ―」 『その話もなんども聞きましたーっ。キノシタくん、さっさと日課のお散歩にでも行ってきたら? え~ん、はやくこんなとこ抜け出したいよ! 哲也くん助けて~っ』  トイレの個室の隅っこで縮こまっていた俺は、膝を抱えなおした。外来診療時間がはじまるのが待ち遠しいよ。  それから外来患者がどんどん来院してくる時間になると、俺は出入りする人びとに紛れて病院の外にでた。 そしてすぐに美濃に捕まった。  首根っこを掴まれて、「や~っと出てきたか」と呆れたふうに云った美濃の脛を蹴りつけ逃げようとしたが、ウエイトの差がありすぎる。ぎゃーぎゃー暴れてすったもんだの末に近所の喫茶店に連れていかれた俺は、モーニングをいただくことになった。  カランとドアベルを鳴らして店内に放りこまれるようにして入ってきたときまでは喚いていた俺も、窓際のソファ椅子に無理やり座らせられると、すぐにテーブルにあったメニュー表に目がいってしまったんだ。  ウェイターが「いらっしゃいませ」と、水の入ったグラスとおしぼりを運んで来たときには、お腹を「グゥ」と鳴らしながらなにを食べようかメニューに迷っていた。 向かいに座った美濃は、電話で俺の家に報告を入れている。相手はお母さんのようだ。美濃は俺が元気にしているってことを強調し、折をみて自分が家に送り届けると約束していた。 「帰らないからね」  通話を終えた美濃に云う。 「帰らない。警察に行けっていうなら死んでやる」 「そんな言葉を脅しに使うな。藤守が納得するまでは先生も無茶には(こと)を進めないから。とりあえずはしっかり先生と話あおう、な?」 「だから俺、さっきからずっと同じこと何回も云ってるだろ?」  教室の机を倒したのは竹中たちだけど、ガラスを割ったのはあいつらじゃなくて幽霊だし、殴ったり蹴られたりはしたけどそれ以上のことはされていないって。ズボンとパンツは脱がされたけど、それだけだって。  それに竹中のスマホの中身は誰にも、―とくに両親や学校の関係者には見られたくないって。あとハンカチの汚れは俺のんだし! ってさ。ここに来る道中さんざん云った。これ以上話したって内容はかわらないので、フンッとそっぽを向く。 「あんなの話あったことにならないだろう? お前が一方的に喚き散らしてただけじゃないか。だいたい二言目(ふたことめ)には家出だの死んでやるだの簡単に云いやがって」  最後のところで美濃が表情を険しくしたので、俺は気後(きおく)れしてしてしまった。まぁ、死んでやるは嘘だけどさ、でも家出は本気だもんと頬をぷくっと膨らませる。 「ほら、ムキになってないではじめから順に丁寧に説明してくれ」  真摯な目を向けられて俺はグッと顎を引いた。  美濃は昨夜(ゆうべ)俺が家を飛びだしたと親からの連絡を受けて、俺を探しに病院に来たそうだ。まさかあんな時間に美濃が病室にやって来るだなんて思わなかった。思い返せば、とんでもない醜態をこいつには見られてしまったんだと俺は今更ながら顔を赤くした。  あと、坊主のおじさんにもな、ひどいことしたよな。目が覚めたら俺たち―俺とゆうくんのプレイに巻き込まれちゃっていたりして。早朝に俺が病室を出てきたときには彼はぐすっすりと眠っていたが、もうそろそろ起きているのかな? 俺が戻ったら、おじさんは昨日の珍事(アレ)、俺だってわかっちゃうかな? それとも忘れてくれてるかな? あのときベッドから落ちて頭ゴチーンって打ってたもんな。うん、忘れているよな。大丈夫だろう。もし覚えてるって云ってきたら、夢だったんじゃないですかー? って(とぼ)けることにしよう。よし、そうしよう。  坊主のおじさんが起きたあと俺は哲也くんのベッドに潜りこんでそのまま眠ってしまったが、美濃は看護師にこってり叱られたり、俺が病院に潜伏しているって両親に連絡を入れたりと大変だったらしい。今朝もはやい時間から病院の出入り口で俺を張っていたそうだ。  それで、俺は病院から出てくるなり美濃に見事に捕まっちゃったんだけども、美濃は今日は一日俺の面倒をみないといけないらしい。ご苦労なこった。  ほどなくして、美濃が注文してくれたパンケーキが運ばれてきた。  円盤状のケーキにメイプルシロップをかけると、ケーキの香りにカラメルのような香ばしさがミックスされる。 「だ~か~ら~、あれは全部ゆうくんがやったの! ゆうくんは見えるだけじゃなくて、ポルターガイストおこしたりもできるんだって!」  コイツにはここに連れてこられるあいだに、思いつくまま云いたい放題したもんな。一度口にしたことで俺の心の中にあったハードルは、その存在を低くしちゃったらしい。あれだけこだわっていたのが嘘だったように、俺はパンケーキを頬張りながらつらつらと美濃に話していた。

ともだちにシェアしよう!