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第21話
しばらくすると、隣のベッドのおじさんがご満悦そうに家族を連れて帰ってきた。
パーテーション代わりのカーテンのなかに入っていくおじさんにつづくのは息子さん夫婦と、この前プリンをあげたおばさんだ。おばさんは俺たちに気づくと、ぺこっと頭を下げてからカーテンのなかに入っていった。
ちなみにこのカーテン、昨夜俺が引きちぎって壊しちゃったんだけど、いつの間にか直されている。
「ほうら、俺の云ったとおりなんともなかっただろう? それなのに俺の云うことを信じないで、検査、検査、やかましく云いやがって」
「まぁまぁ、あなた、念のためって先生も云ってたでしょう? 頭打ってるんだから、なにかあったら怖いじゃないの」
「なに云ってる? 俺をそこらへんの人間といっしょにするな! どれだけ日ごろから鍛えていると思っているんだ⁉ お前も知っているだろう!」
どれだけって……。一般的でない滝行なんかして、それで落ちてきた岩で頭をぶつけてここに運ばれてきたんじゃないか。思わず噴きだしたら美濃に頭を小突かれた。
聞こえてくる会話から察するに、おじさんは午前中の精密検査で異常はなかったみたいだ。けれども、さっきちらっと見えたおじさんの霊魂はあいかわらず本人の身体からブレていて……、本当に大丈夫なのかな?
それにしてもこのおじさん、おばさんが云っていたように相当性格に問題があるようだった。
「おい、触るな、自分でするわ」
「あっ、すみません、お義父さん」
「俺を年寄り扱するな、寝るぐらい自分でできる」
「父さん、なに云ってるんだよ。加奈子がやさしくしてくれているのに」
「余計なことをするからだ。そんなことはせんでいい。―あぁ、かぁさん、ちょっと布団をかけてくれ、まったく気がきかんの」
カーテンの向こうからは、やれ、あれをしろ、やれ、これをしろというおじさんの声が聞こえてくる。嫌な感じ。しかも、やってもらったことに文句までつけてるんだよ? 坊主にあるまじき性悪 だ。それでもおじさんはとても機嫌がいい。ガハハ、ガハハとよく笑っている。朝からの検査のつきそいに一家が総出してきたのが、よっぽどうれしいのだろう。
「俺は幸せもんだ。精進していい人生を生きてきた証拠だな。ありがたいわ。かぁさんも毎日毎日ご苦労だったな、こんな寒いなか何日も通ってきてくれて」
「え、えぇ……」
「感謝してるからな、家に帰ったらさっそく孝行させてもらうわ。わはははは」
おじさんはお礼の言葉もなぜかエラそうだった。それにしても……、
『ねぇ、先生。お隣さん、だれも来てなかったよね?』
哲也くんのベットに伏していた俺は―おじさんがうるさいので勉強はとっくに諦めていた―、くるりと視線を美濃に向け、声をひそめて訊いた。
『あぁ、俺は気づかなかったな? どうなんだろ?』
スマホを弄っていた美濃が首を傾げる。すると隣のカーテンがそっと開き、なかからおばさんがこそこそと出てきた。おばさんはこちらにやってくると俺の手をとり、財布から出した一万円札を握らせてくれる。
「? おばさん?」
『しっ。これは口止め料よ。私たちがずっと来ていなかったこと、あのひとには内緒にしててね』
「えっ⁉ いいの?」
『しっ!』
おばさんが人差し指を唇に当てて、うんと頷く。
美濃が「そんなことしてもらっては困ります」って慌てていたけども、知ったことじゃない。俺はおばさんにお礼を云うと、
「哲也くん、おやつ買ってくるねっ」
と、病室を飛びだした。「あっ、こらっ! 藤守~っ!」と叫ぶ美濃を無視して売店へルンタルンタと駆けていく。
「哲也くんはなにが食べたいかなぁ? 美濃にもなにか買ってやろう!」
(へへへ。このお金で二、三日はしのげるな。俺、ツいてる)
そして、憑いている。
「よっ。美濃の生徒。美濃はどうした? まだ病室迷ってんのか?」
「もうっ、さ迷ってるのはアンタのほうでしょっ! はやく成仏しなよ!」
「? なに云ってるんだ? で、お前はどこ行くんだ? 俺の病室はソッチじゃないぞ?」
「俺はおやつを買いに売店に行くんだよっ」
「おやつかぁ。アイツが持って来るのって毎度毎度ビールにスルメなんだよなぁ」
「病人にビール?」
「そうなんだよ~」
美濃、そんなことしてたの?
「でも俺が食べたいのはカップケーキなの。あっ、これはアイツには内緒だぞ」
しまった、という顔をして、キノシタセイジはドロンと消えた。
どうせこのあとも、またいつものコースで院内を徘徊するのだろう。地縛霊ってそういうもんだ。未練を埋め合わせすべく、因縁ある場所でおなじ行動をしつづける。それはまるで古いフィルムを繰り返し再生するように。
キノシタセイジが出没するのは、生前彼がよく時間を過ごしていた病室とロビー、そして二階にある見晴らしのいい待合所だ。待合所のガラス越しには田園風景が広がっていて、彼はそこでぼんやり景色を眺めたあとにすぅっと消える。
キノシタセイジと別れたあとは売店で一番高いプリンを五つ買って、さっさと哲也くんのところへ戻ることにした。そして病室の前まで戻ってきた俺は目を剥いた。なんと部屋の入り口に幽霊がわんさか集まっていたのだ。彼らは好奇心満々で部屋の中を覗いていた。
「な、なにごと⁉」
部屋の中に入るに、この見目 恐ろしい幽霊たちを掻きわけて行かなきゃなんないだなんて……、泣く。
すると中から、
「そんなこと、俺は認めんっ!」
と、おじさんの怒号が聞こえてきたので、俺は「ヒェッ」と身を竦ませた。
どうやらおじさんは、自分が寝てる間に引退させられたことや寺から立ち退かされたことを知ってしまったらしい。
「帰れっ! お前らとっととここから出ていけっ‼」
「それじゃ、あなた、またあとで来るわね」
「あっ、おばさん、ありがとう」
「いいのよ、藤守くん、またね」
病室から出てきたおばさんたちは、そそくさと逃げるようにして帰っていった。
仕切りから見えたおじさんは、頭から湯気を立てている。こういうときはプリンだ、プリン。俺はおじさんのベッドへ寄ると、「はい、おじさん」と、買ってきたばかりの高級プリンを手渡した。おじさんの袖口からチラリと見えた手首には、昨日まではなかったごつごつとした数珠がついている。
(おぉ~。ホントにお坊さんっぽくなってる)
「俺ね、隣にいるからなにかあったら呼んでね」
「……ありがとう」
おじさんは気まずかったのか、エヘンとひとつ咳払いした。
哲也くんの枕もとにも、プリンとスプーンを添える。「はい、どうぞ。今日のプリンはね、いつもより豪華なんだよ。おいしいよ?」と報告すると、
「お前、それってちょっと……」
美濃がもごもごと口を濁した。
「? なに? あ、これは先生の分だよ」
「お、おぉ。サンキュー、悪いな」
いいよ、これくらい。朝も昼も奢ってもらってるからね。ちょっとしたお礼だよ。それに今夜はステーキを食べさせてもらえるかもしれないんだし? ほくそ笑みながら、俺はプリンの封を開けた。
「そういえば先生。キノシタくんのお見舞いに、ビールとスルメを持っていってたの? 病人にそんなもの持って行っていいもんなの?」
「お~ま~え~」
美濃が蒼くした顔を嫌そうに歪める。
「そんな怖いこと云うなよ~。俺はお前とちがって幽霊 に免疫ないんだぞ?」
「じゃぁ、慣れてよ。俺だって怖い思いしてるんだし? もう、そのあたりウジャウジャよ?」
おじさんが起きてからは病室の扉は開けっぱなしにされていた。だからこちらを興味津々に覗いている幽霊たちがよく見えている。ただ見えてはいるが、彼らは絶対に部屋には入ってこない。おじさんが元気になったことで、ふたたび結界のような力が発動してるんだろう。
そのあたり、と云って、俺がスプーンを持つ手で出入り口を指したのでビビった美濃が、心持ち椅子を俺に近づけてきた。
「征士(せいじ)もそこにいるのか?」
「ううん。今はいないよ? また二階から外を眺めてるんじゃないかな?」
「外って、池のあたり?」
「うん、そう」
そのまま黙りこんでしまった美濃を不思議に思って見てみると、彼は物憂げな表情 をしてプリンカップの中身をスプーンで突いていた。
「……先生、食べないの?」
「プリン嫌いだった?」と訊ねると、顔をあげて「お前はプリン好きだよな? ほぼ毎日食ってるんじゃないか?」と笑った。
「お母さんがプリンが好きなんだ。元気がなくてもプリンさえ食べたら元気になるし、機嫌が悪くてもプリンで治るから。だからうちにはいつもプリンが常備されてるんだ」
「それで氏家にもプリンなのか?」
「まぁね」
「先生は嫌いだった? こんなにおいしいのに?」
「いや、好きだよ。なんなら自分で作るよ?」
美濃にお菓子が作れるだなんて、意外だな。
「そういえば、キノシタくんはカップケーキが好きらしいよ」
うっかりしゃべってしまった俺は「あっ、でもこれ内緒だった」と、舌を出した。
「先生、聞かなかったことにしといてね。ま、あの霊 には口止め料もらってないけどね」
「藤守ぃ、そういう問題じゃないだろ? 一度交わした約束は守れよな?」
そう窘 めた美濃は、「……そっか。カップケーキか。懐かしいな」と囁くように云った。その時の美濃は、なんだかちょっぴり元気がないように見えたので……。だから俺はプリンをもう一個―明日哲也くんのお母さんに食べてもらうつもりだったプリンを―美濃にあげたんだ。
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