22 / 31
第22話
三時のおやつタイムが終わると、俺は変わらず口に出しながらの勉強を再開して、その合間合間には思いついたことを哲也くんに話しかけていた。哲也くんの髪を撫でたり手を握ったりもしていたけど、隣に座る美濃はなにも云うことはせずに俺の好きにさせてくれていた。
そうこうしているうちに外は暗くなりはじめ、看護師がやってきて哲也くんに点滴を取りつけはじめる。点滴は哲也くんの晩御飯だ。
(俺のご飯はどうしよう?)
いつもなら哲也くんが点滴をしているあいだに、俺は横でいっしょにお弁当を食べていた。でも今日はお弁当じゃないし、美濃に食べに連れて行ってもらうつもりし、ステーキだし。
う~ん。今夜からはここに泊まるので、出かけるなら病院の入り口が閉まってしまう八時までには帰ってこないといけない。食べに出るのなら、いまのうちしかないよね?
「ねぇ、先生」
点滴をつけ終えた看護師に礼を云っていた美濃を呼ぶと、
「なんだ? お前もそろそろお腹へってきたか?」
と、笑われる。
「うん。でも……」
哲也くんの腕が視界にはいる。テープで固定されたチューブや皮膚に刺さった針を見てしまうと胸がチクンと痛んで、彼をひとりにしたくないなと思った。
「ねぇ、先生、もうちょっとしてからでいい?」
「あぁ、構わないよ」
「ありがとう」
入院しているひとたちも、もうじき夕飯の時間だ。病棟に食事の準備ができたというアナウンスが流れるころに、坊主のおじさんの奥さんがまたやってきた。今はどちらも仕切りのカーテンを開けているので、おじさんのことがよく見えている。
「なんだ、またお粥 さんか? 朝も昼もこんなんだったじゃないか」
戻ってきてそうそうに文句をつけられたおばさんは顔を顰めた。
「そんなこと云ってもあなた、ずっと胃になにも入れてなかったんだから、急には無理って医師 がおっしゃってたでしょ?」
「もう、大丈夫だ。おい、お前。売店に行ってなんか買ってきてくれ」
「またそんな我儘を……」
そしておじさんは本当に追い払うようにして奥さんを売店に行かせてしまった。あまりの横暴ぶりに俺と美濃はこっそり顔を見合わせる。
「なぁ? こんな食事で元気になれるか? 病人じゃあるまいし。ひょろひょろになってしまうわ」
「ははは。でも、斉藤さん、無理はなさらないほうがいいかもですよ。病院がちゃんと考えてくれているメニューなんでしょうから」
話を振られて俺は「えぇ……」と引いてしまったが、美濃は大人としての対応を弁 えていたようだ。卒なく彼に答えている。
「いやいや、退院したらさっそく働かないといけませんからね。しっかり体力をつけておかないと。きっと帰ったら仕事が山積みですよ。俺が居ないと息子夫婦はなにもできませんから。ははは、お恥ずかしい」
「そうなんですか? しっかりした息子さんに見えましたよ? お嫁さんも気立てがよかったじゃありませんか?」
「いやいや、まだまだですわ。息子は経も読むにしても気合がたりんし、説法させても、ぬるい話しかできておらん。あれでは檀家さんも不安になってしまいます。それをうちのかあさんはわかってない。勝手な引退話を進めやがって……。よくもまぁ、俺のことを年寄り扱いしたもんだ。だれが食べさせてやってると思っているんだか」
財布を忘れでもしたのか、戻ってきたおばさんにおじさんは気づかない。けれども扉のまえでわなわなと身体を震わせる彼女の姿は、俺たちからはよーく見えていた。
「さ、斉藤さん、それはちょっと……、いまのご時世、口にしないほうがよろしいかと……」
美濃の顔が引きつってる。
「はぁーっ。先生までそんなことを云うんですか? 最近はパワハラやら、モラハラやら、しょうもない言葉がでまわる、なんとも情けない世の中になってしまいましたねぇ。俺が子どものころはもっと教師はきびしいものでしたよ?」
「はぁ、まぁ、そうですかね。でもね、斉藤さん―」
「先生も教師なら、もっとしゃきんとしなさい。なんですか、さっきからそこにいる教え子のことを甘やかしてばかりで」
ビクッと身体を強張らせた俺の背中を、美濃がやさしくさすってくれた。
「あ、いや、この生徒 にもいろいろありまして……。しばらくはいいんですよ」
美濃から俺へと視線を移したおじさんの眉根が寄せられる。
「おや? ……お前、その顔は」
(やばいっ‼)
とっさに下を向いたが、遅かった。
「そうか、お前、昨日の破廉恥 小僧だなっ⁉」
「そ、それは夢だよっ‼」
指を差されて、俺はとっさに否定した。
「夢だと? そんな訳あるかっ、俺はしっかり覚えとるわっ!」
「だから、それは夢なんだってばっ!」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないってば! だっておじさん、あのときベッドから落ちて頭をゴチンってぶつけてたじゃない。だからきっと記憶が混乱してるんだ!」
「バカッ、藤守」
美濃が手に顔を埋 めた。
「お前は馬鹿な奴だな、語るに落ちとるわ。いま、自分で昨夜 ここに居たことを白状したじゃないか」
おじさんは、寝間着をたくし上げて、腹を見せてきた。
「これを見ろ。お前に乗っかかれてできた痣だ。よくもまぁ人の腹のうえで尻を丸出しに、ドッタンバッタン、あんな変態行為を~~っ」
おじさんのお腹がちょっとないくらいに赤黒く変色していて、俺はびっくりする。
「あなた、少し落ち着いてっ」
ベッドを降りてこっちに来ようとするおじさんを、慌てておばさんが引きとめた。
「こらっ、離せ! なんだ、お前、もう帰ってきたのか? 飯はどうした?」
「それが、財布を忘れてしまって―」
「相変わらず鈍くさい。いいからさっさと買ってこい」
出入り口を指差して命じたおじさんは、そのまま今度はベッドで眠る哲也くんを指差した。
「相手はその男か? お前も男だろうが、それなのに、おなじ男同士で、ああっ、気色の悪い」
「斉藤さん! お腹の痣のことは謝ります。でも、もうそのぐらいにしておいてください。それにここは病院ですよ? 騒ぐとほかのかたに迷惑がかかりますっ」
(そうだぞ、そうだぞ! おじさんのバカッ! ここにはコワーイ看護師がいるんだぞ! 怒られるぞ、先生みたいに! 黙れってんだ! これ以上俺に失礼なこと云うんじゃないっ。俺、傷ついちゃったじゃないかっ)
「ほらっ、藤守も謝りなさい」
美濃にぐっと頭を押さえつけられ、「ごめんなさい」と素直に謝りはしたが、それとひどいことを云われたことはまた別だ。下唇をぐっと噛みしめておじさんを睨んだ俺は、「でも―」、とつけくわえた。
「……相手は哲也くんじゃないぞ」
「やかましいわっ。云い訳をするんじゃない! どこの男を呼びこんだとか、そんなもんどうでもいいわ、そもそも男同士で励むなと云っておるんだ。確かに結婚も大切だが、男同士で乳繰り合っておって子どもができんでどうする? そんな愚かなことをしていないで、まずは学生は学生らしくしっかり学校で勉強してしかるべき大人にならないと駄目じゃないか⁉ それからだ、あんなことをしていいのは! ちゃんと女性とだぞ! 子孫を繁栄させないとならないんだからな!」
「さ、斉藤さんっ!」
「あなたっ!」
美濃や奥さんが止めても一顧 だにせず、おじさんのお小言はグチグチグチグチ、グチグチグチグチ……、とにかく長かった。さらにおじさんは美濃にも説教をし、奥さんに日ごろの駄目だしまでしはじめて―。
でも我慢して聞き流していられたのはそこまでだった。
「その子もだらしなのない。朝からずっと寝てばかりで。昨日の晩もふたりして遅くまで遊んでいたんだろう? なんだ? お前たちは高校生か? 最近のやつらは体だけが大きくなって、中身はホントにしょうもない」
おじさんに哲也くんのことを云われて、俺はカッとなる。
「おじさん! 哲也くんのこと悪く云うなっ! それ以上云ったら許さないからな!」
「なんの病気で入院してるかは知らんがな、そんなもん、どうせ不摂生が祟ってるんだ」
「こらっ、藤守!」
立ちあがった俺の腕を、美濃が掴んで揺さぶった。
「もう、先生邪魔するなよっ!」
俺は美濃の腕を叩き落としてつづけた。
「哲也くんはね、しょうもなくなんかないよ! 頭はいいし、運動だってできるんだ。ピアノもうまいし、みんなにやさしいんだぞっ! おじさんなんかよりもすっごくすっごく良いヤツなんだから! おじさん、なんにも知らないじゃん! だったら勝手なこと云う―もがっ、ふがっ」
「藤守、声がでかいから」
美濃に口を塞がれた。
(美~濃~~っ、この手を放せ~~っ!)
「斉藤さん、違いますよ、この子は、―氏家くんは事故にあって手術をしたんですが、もう一週間以上も意識が戻らないんです。昨日までのあなたとおなじなんです」
力いっぱい引っ掻いても、美濃の大きな手は離れない。
「ほら、あなた、ご飯が冷めますよ? さっさと食べましょう? 私、いまからすぐ売店に行ってくるから、ねっ?」
おばさんもおじさんを宥 めようと必死だ。
「氏家くんは、決してあなたが云うようなだらしのない子じゃありませんから。それにこっちの藤守も生真面目ないい子です」
「そうよ? あなたも見てたでしょ? その子、ここでずっと真面目に勉強してばかりよ? 憶測でものを云っていてはいけないわよ」
「フンッ! あぁあぁ、甘いのっ。だいたい俺はお前たちのことまだ許していないぞ。家に帰ったらお前にも佳通 にも話があるからな」
云われたおばさんの顔が蒼ざめた。おばさんがかわいそうじゃないか、もう許さないぞ、と俺は美濃の指にガブッと噛みついた。
ともだちにシェアしよう!

