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第25話
哲也くんが目を覚ました。
哲也くんが目を覚ました。
よかった。
哲也くんのお母さんも、家族も、友だちも、みんな喜ぶよ。
哲也くん、また学校に通えるよ?
哲也くん、お母さんは、哲也くんの好きなことしていいって云ってたからね。きっとこれからの毎日は楽しいよ?
よかったね。
よかった。
「よかったんだ……よかった。そう、思わなきゃ」
でも―。とぼとぼと歩く長い廊下の足もとが次第に滲みはじめ、小さく嗚咽を漏らした拍子に涙の粒がぼたりと落ちた。
「ど……、どうしよう……?」
(俺、もう居れる場所なくなっちゃった)
「ひぃっく」としゃくりあげると、それからはつぎつぎに涙が溢れてきて、顔見知りの幽霊たちがすれ違いざまに心配げに声をかけてきた。「どうしたんだ?」 って。どうしたって? 哲也くんが起きたんだ。だから、もう一生、俺は哲也くんに会えなくなっちゃったんだよ。
今ごろ哲也くんの病室には医師 や看護師がいっぱいやってきて、慌ただしくなってるんだろう。
哲也くん、意識はちゃんとしてるかな? 痛いとこないかな?
家族がそばに居ないからって、不安になったりしてないかな? 美濃がいるから大丈夫?
美濃がいるもんね。美濃はいい先生だよ? だから哲也くん、安心して家族が来るのをまっていてね。
だから。
「哲也くんは大丈夫。だから、―俺はこれでいいんだ」
自分に云い聞かせるようにして声に出して云う。それでも涙は次から次へと落ちてきた。だって寂しくて、しかたないんだもん。
「おい、美濃はどうしたよ? いつになったら俺んとこに連れてきてくれるんだ?」
ロビーまで下りてくると、キノシタセイジがひょっこり現れた。
「うん? だからいまは哲也くんのところだよ。さっき先生の大事な生徒が目を覚ましたんだ。しばらく忙しいんだから、用事があるなら明日にしてあげて?」
「お前は大丈夫なのか? 泣いてるじゃないか? 美濃はお前のことほっといていいのか?」
「いいんだよ。哲也くんのほうが大事なんだから。俺だって哲也くんのほうが大事なんだし、だからそれでいいの」
「ふ~ん」
そっけない返事をしながらも、キノシタセイジは俺の後ろを音もなくす~っと憑いてくる。
(このひと、もしかして俺のこと心配してくれいるのかな? だったらちょっといい幽霊 なのかも)
「あ~あ」
哲也くんのことが一段落ついたら、先生、俺のこと思い出してくれたらいいんだけど。
「ほんとに今日、ステーキ食べさせてくれるのかな?」
楽しそうに呟いてみる。
なんでも美濃はこの周辺のことに詳しいらしい。近くの美味しいお店をいっぱい知ってるって云ってたよ。家が近いのかな?
「先生って独り暮らしだっけ? 俺、先生ん家 に住めないかな? そしたら哲也くんの状況 を教えてもらえるし。哲也くんが卒業したあとも、こっそり哲也くんの応援をしながらキャンパスライフを送って、そしてそのうちうまくいけば俺にも彼氏ができたりして……」
ふふっと微笑 って、そして、やっぱりその相手は哲也くんじゃないんだよな、と思えばボロンと涙が転げてくる。
「お~い、大丈夫か?」
泣いたり笑ったりと情緒不安な俺の顔をキノシタくんが覗きこんできた。
「大丈夫だったら美濃を呼んできてくれよ~」
(幽霊って、しつこいよな。っていうか俺、いま泣いてるんだからさ、ちょっとは空気読んでくれない?)
「だから、明日にしてあげてよ? なんならお土産、っていうか……お供え? 先生にカップケーキ持って来るように云ってあげるから」
「えっ? カップケーキ?」
「うん。先生、懐かしいって云ってたよ? それともプリンにする? 先生プリンもつくれるって云ってた」
「そっか。カップケーキ、懐かしいって?」
蒼い顔をしたキノシタくんが相好を崩す。
「あっ」
そういえば、俺、哲也くんがいきなり目を覚ますもんだから、美濃に口止めなんてしていない。
「ヤバイヤバイヤバイ! 先生、俺のこと哲也くんに云ったりしないよな⁉」
俺はぎゅっと合わせた両手をぶんぶん振りながら「それだけは絶対にダメだよ!」と、強く祈った。
「美濃が絶対に絶対に絶対に、俺のことを哲也くんにバラしませんよーにっ」
ついでに、「南無南無」と付け加えると、
「うわっ⁉」
隣でキノシタくんの悲鳴があがった。あらら?
「俺なんかいま、どこかからダメージ喰らったぞっ⁉」
キョロキョロと周囲を見回しているキノシタくんは心なしか透けてきているような気がする。もしかして彼の昇天も近いのかもしれない。
キノシタくんとは初めて俺がここに来たときに、このロビーで出会っている。彼は生前入っていた病室から、ここを通って二階の待合所までを浮遊する地縛霊だ。
ところが美濃に再会してから、彼はお決まりのコースを変えて美濃を追いかけるようになっていた。どうやら彼の未練のなにかしらに、美濃が関わっているらしい。美濃に再会したことで、キノシタくんの呪縛は解けてきている。今朝なんて俺の籠るトイレに現れていたもんな。
それでもまだ、キノシタくんは病院の外へは出て来られないようだった。俺が外へ出ていくと、彼はガラスの自動扉の内側で立ち止まってしまったのだ。
「就一っ!」
ふいに暗がりから名まえを呼ばれた俺は、声のほうに振り返った。
「お父さん⁉」
キノシタくんに気を取られていて、俺はこっちに駆けてくるお父さんにまったく気づいていなかったのだ。しまった! と思ったときにはすでにお父さんは直前にまで来ていた。
「お前はどれだけ親に心配かければ気が済むんだ!」
「やっ! 痛いっ」
踵を返して院内に逃げようとしたが、即座に腕を掴まれてまた外にひっぱり出されてしまう。もうそこにキノシタくんの姿はなかったけども、彼が居たとしてもさすがに幽霊の彼にこの場を助けてもらうことはできなかっただろう。
「ほらっ、家に帰るぞ!」
小柄な俺の身体は怒っているお父さんの馬鹿力によって、駐車場のほうへとズリズリと引き摺られていく。
「放せよっ! いやだっ、帰らない!」
だれがこんな怒り狂ってる親といっしょに帰りたいもんかっ。なんで俺は学校でイジメられたあげく、それを知った親に怒られるはめになるの⁉
「帰ってちゃんと話しをしよう、なっ、就一? お母さんだって心配しながら家で待っているぞ」
「うそだっ、お父さんもお母さんも話なんてきいてくれないじゃないかっ」
「だれがいつ聞かなかった⁉ 嘘をつくな! 云ってみろ!」
「いまっ、いまだよ! 腕! 放してって云ってるだろ! それに放 っておいてって云った! なんにもしてくれなくていいって! その方がうまくいくからって! 云ったよ、俺! なのになんでお父さんは余計なことしようとするの⁉」
「いいから、就一はぜんぶお父さんに任せておけばいいんだ、ちゃんといいようにしてやるから」
「そんなのぜったい俺がしていらないことなんだっ」
「お前はなにもわかってない! こうやって仕事まで抜けてお前を迎えに来てやってるんだぞ? 就一のことを一番考えているのはお父さんとお母さんだ。お前を虐めてたやつはお父さんが制裁してやる! こういうのは出るとこでたら一発だからな」
出るとこっていったいどこだよ? 警察だけじゃないの?
いやだいやだ、どうしよう⁉ こんなひとに任せてたら、俺のこと全部ダメにされるじゃないか。
お父さんの云っていることを聞いていると、さっきまで確かに自分のなかにあったはずの『もしかしたらすべてがうまくいくかも』っていう僅かな期待がぎゅうっと圧縮されていき、心が一面、絶望に支配されていく。
「安心しろ。二度と悪い奴らがお前に近づいて来ないようにしてやるからな。学校を無事に卒業させてやる」
「やめてやめてやめてっ、そんなのしていらないっ!」
もうこれ以上恥ずかしい思いも、悔しい思いも、辛い思いもしたくないんだから。
でも、死んでもそんな俺の気持ちをお父さんには教えたくない。俺が弱いことを、家族には知られたくないから。これは俺のプライドだ。それにすべてをさらけ出したあげくに、否定されてしまったらどうなる? きっと俺は絶対お父さんを憎むんだ。これ以上、あんたを嫌いにさせないでくれ!
渾身の力を振りしぼりお父さんを突きとばそうとしたら、体重の軽い自分のほうが後へ転がってしまい悲鳴をあげた。痛いじゃないかっ! 体を打ちつけたコンクリートはとても冷たかった。
「お父さんなんか、大っ嫌いだ!」
「なんだと⁉」
地べたで体を起こそうとしていた俺の胸倉が、乱暴に掴まれた。
(殴られるっ⁉)
とっさに目を瞑ったけど、だけど衝撃はなかなか訪れなくて。―でもそれはお父さんが俺を殴るのをやめたからではなかった。いきなり現れた美濃が、振り上げたお父さんの腕を掴まえてくれていたからだった。
「藤守さん、やめてくださいっ! 暴力はいけませんっ、落着いてっ」
美濃が憤り呻くお父さんを、羽交い絞めにする。
(大っ嫌いっ! 死んでしまえっ!)
俺は力いっぱい拳をアスファルトに叩きつけると、地面を掻くようにして腰をあげた。
「大っ嫌い! 死んでやるっ‼」
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