26 / 31

第26話

そのまま彼らに背を向けて車道へ向けて走り出した。背後から美濃が俺を呼ぶ声が聞こえたが、そんなの知らない。  嫌いっ、嫌いっ、大っ嫌いっ。  お父さんなんかやっぱり大っ嫌いだっ。 『どれだけ親に心配かければ気がすむんだ!』だって? なんで俺が悪者になってんの?  だいたい心配って、なんの心配なんだよ? 俺の身の危険だとか云うなよ⁉ 俺を殴ろうとしたんだ、だったらお父さんも竹中たちとおんなじじゃないかっ。 『仕事を抜けてきてやった』って? 恩着せがましいっ!  お父さんへの怒りの高揚で、このまま走る車にぶつかってしまってもいいとすら思えた。それと同時にこのタイミングで俺のところにやってきた美濃のことで混乱する。  なんで美濃、ここへ来たんだろ? (俺を助けてくれた……)  美濃、哲也くんのそばにいなくていいの? 哲也くんがやっと目を覚ましたんだよ? 美濃はちゃんと哲也くんのそばにいてあげてよ!   流れる車の合間をすりぬけるようにして道路を渡り、何度か来たことのある公園までいっきに走った。そのさきにある大きな池が視界に入ると俺は迷わずそっちへ足を向ける。  昨日もこうやって、嫌いだ、大嫌いだって。みんないなくなっちゃえって強く思いながら走ったんだった。怒りと悲しみと、辛いって、消えちゃいたいって気持ちで身体中がパンパンになっていた。  昨日走って向かったのは、ベッドで眠る哲也くんのところだった。駆け抜ける廊下では俺のことを心配した幽霊たちが声をかけてくれたっけ。潜りこんだ哲也くんの布団のなかで、いっぱい泣いた。  あの時、ぎゅっとしがみついた哲也くんはとても温かくて、哲也くんは眠っているだけでも俺のことちゃんと慰めてくれたのに……。でももうそれは望めない。  荒い呼吸の合間にヒックヒックと嗚咽が漏れる。  哲也くんっ、哲也くんっ!  哲也くんに会いたいよ。哲也くんにぎゅっとしたいよ!  哲也くんの胸に抱きついて泣きたいのに―、でももうできないんだ。もう俺が逃げ込めるところはどこにもないんだ。  涙がぼろぼろ頬を伝い落ちていく。 「て、哲也くぅん……っ、ひぅっ、う……うえっ」  寂しい。寂しいよ。 「ねぇっ、哲也くんっ、……俺っ……どこに行ったらいいのぉ? うぇっ、ひっくぅ」  俺の涙声をかき消すように、ビュウビュウ風が吹きつける。頬を打つ風は痛いくらいに冷たく、耳も千切れそうだった。  病院の前方に広がるのは市街に残る田園だ。池は農業用水を貯めるもので、道は未だ舗装もされていない。周囲は手入れされていない木々や雑草で取り囲まれていた。吹きつける風は水面に波をつくり、枯れたススキをおおきく揺らしている。  どこに行ったらいいのかわからないはずなのに、俺は自分がまるで目的をもつかのようにしてある個所に向かっているにことに気づいていなかった。 いつの間にか日は落ちていて、辺りは真っ暗だ。でも誘蛾灯に誘われる羽虫のように、俺は足場の悪い道に足を取られながらもどんどん走っていた。 (なんで俺の気持ちを無視するのかな?)  ―お父さん、嫌い。大嫌い。いなくなってしまえ。 (もう俺はアイツらに会いたくないし、アイツらの話もしたくないんだって!)  ―学校が怖い。学校に行きたくないよ。アイツら嫌い、みんな嫌い。友だちなんていらないんだっ、いなくなれ! (もう絶対に家には帰らないからなっ。俺にはもう家族はいらないんだ!) 「俺、どこにいけばいいんだろ?」  美濃、俺のこと探しに来てくれるかな? と厚かましいことを考えて、すぐにそんなことを期待しちゃダメだとブンブン頭を振る。 「……寂し、……よぉっ……っ」  ―居場所なんて、ないんだよ? だったら、自分がいなくなればいいんだよ。 「?」  俺は自分の心の(うち)に響く昏い声に違和感をもった。コレは本当に俺の言葉? まるで誰かに自分の心を乗っ取られていくような……これは本当に自分なの? 「ひぃっく」と喉を詰まらせて、止まらない涙を袖で強く拭った俺は、あげた視線のさきに小さな子どもが立っているのを見て驚いた。池を見つめていた男の子が顔をあげ、その昏い瞳で俺を捕らえる。 ―死ななきゃ、ね? 「……ひっ」 (ゆ、幽霊ーっ⁉)  俺が足を止めるよりさきに、その子がふわっと俺のなかに下りてくる。振り払おうとした腕は空を掻き、ぐらりと体が傾いだ。 「やっ⁉」  同時に俺のなかにあったいろんな気持ちが膨れあがった。激しい憎悪、身を裂かれるような悲しみ、深い孤独。 彼と目が合った瞬間、俺は心も身体もまるごと底のない闇に呑み込まれてれてしまったのだ。 (やっ、怖いっ)  足を滑らせた俺の身体が水面に叩きつけられると、鈍い水の音がたつ。氷のように冷たい水が全身をとりまき、俺を深く深くと池の底へと引き摺りこんでいった。 ―誰か助けて! ―嫌いだ、みんないなくなっちゃえ! ―痛い、苦しい、冷たい!  どこまでが自分の心なのか男の子の心なのか、もうわからない。だって自分に流れてくる男の子の記憶(おもい)の全部が、自分の知っているものだったから。ちょっと隠れていただけの想いが、堰を切って溢れてきたのか、それともまるごと男の子の思いに呑み込まれてしまっているのか、俺にはもう判断がつかなかった。  でも、でも、俺、生きていくって決めていたんだから‼ (く、苦しいっ)  止めていた息も限界で、ガボッと水を飲みこんだ。俺死んじゃうの?  こんなのイヤだ。死にたくないって強く願って、それを最後に俺の意識は薄れていった。  名まえを呼ばれた気がした。 (哲也くん?)  やさしい手のひらが俺の頬を撫で、そっと離れていく。その手を逃したくないと思って、俺はその温もりを求めて腕を伸ばした。  現実には本当に腕を伸ばせたのかわからないけども、俺の指先がなにかに触れると、つぎには腕を強く掴まれて、水の抵抗に負けない力で身体がぐいっと引き寄せられる。  力尽きた俺の瞼がうっすら開くと、暗い水中にぼんやり誰かの姿が見えた。淡く輝くのは誰?  (―ゆうくん?)  そこでまた、俺の意識は途切れてしまった。  俺を追って池に飛びこみ、水中深くから救い出してくれたのは、美濃だった。  ゲホゲホ咳きこんで、うえっうえっと飲んだ池の水を吐きだした。水が入りこんだ鼻の奥がツーンと痛く、涙も止まらない。 「大丈夫か⁉ 就一!」  丸まる俺の背中を摩ってくれているのはお父さんだ。美濃が池ののり面(・・・)まで俺を運んでくれて、そしてそこから地面へとお父さんが引き上げてくれた。美濃もお父さんに手伝ってもらって池から上がってきていた。彼はそのまま俺の隣でひっくり返って、ゼイハァやっている。 「ゲホッ、ゲホッ!」  苦しすぎて返事なんてできやしない。生理的な涙やら鼻水やらで顔をぐしゃぐしゃにした俺は、ゼイゼイと乱れる胸を抑えるだけだ。 体は凍えてしまい、指先や耳に火傷したみたいな痛みを感じる。お父さんが俺の背中に触れているのを感じる。お父さんの声も、美濃の呻き声も聞こえている。俺の足もとには確かな地面があって―。俺が、生きて(・・・)いる(・・)ってことがわかった。  (助かったぁ~っ!)  よかった! 生きている! 俺、生きてるよ⁉ 「うっ、うわぁぁぁぁぁぁんっ」  ほっとしたら涙がでてきた。 (よかったよぉ~。生きてるよ、うれしいよ~っ) 「就一、ごめんなっ、お父さんが悪かった!」 「うわぁぁあぁぁ~んっ、うわあぁぁぁ~んっ」 (もう死ぬんだと思ったよっ。ほんとに怖かったよ~っ) 「うんうん、怖かったな。ごめんな、ごめんなっ、就一。もう大丈夫だ。今度は本当に大丈夫だから、―お父さんな、もうお前の云う通りにするから。もうこんな早まったことをしないでくれ、なっ? ほんっと~っに悪かった!」 「うわぁ~~~~~ん、うぇっ、うえっ」 「お父さんを許してくれな? な? 就一」 「ひぃっく、ひぃっく」  ごめんだとか、許してくれだとか、死にかけた俺にとってはそれどころじゃないってのに、ほんとにこのひとは、息子をわかっていない。それでも一生懸命に頭を下げるお父さんに絆されて、俺は嗚咽しながらコクコクと頷いてやった。 「就一っ!」  ガバッと抱きつかれるが、そんなのもお構いなしで俺が止まらない涙をゴシゴシやりながら、 「こわっ、こわかったっ、怖かったよぉ~~~っ! うぇぇぇえん、て、てつやくぅ~~んっ‼」 と、叫んだところで、ゼイハァと転がっていた美濃がむくりと上体を起こした。 「おいっ、藤守」  ハァ、ハァ、と息を整えて、そして「そこは『お父さん』と呼んでやれよ」と非難した美濃は、またその場にばったりと倒れた。  それからびしょ濡れで凍えた俺と美濃はお父さんの車に乗って、近くの銭湯に行った。着替えは俺たちが湯に浸かっているあいだに、お父さんが病院に戻って売店で買ってきた。それらは以前美濃が買ってきたものと同じスウェットの上下とパンツ、そしてスリッパで。パンツはまたブカブカだった。 「俺、自殺しようとしたんじゃないよ? 男の子の幽霊に池にひっぱりこまれただけなんだから」  脱衣所で美濃にだけ本当のことを話した。こんなにも親身になってくれている美濃だから、誤解されたままじゃ余計な心配をかけてしまうだろうと思ったからだ。俺がちゃんと生きていくつもりでいることは、きちんと伝えておかないとな。  でもお父さんとお母さんには、このことは云えないんだけどね。あのひとたちには昔、俺に虚言癖があるってことで悩ませていた。だから云っちゃうと、今度は別の心配をかけてしまうことになる。  美濃は「信じるよ」と口角をあげ笑ったあと、少しの()なにかを考えていた。  そして。  結局俺は二度と帰らないつもりだった自分の家に連れて帰られたんだ。  玄関で泣きはらした目をしたお母さんに迎えられたときには、つられて泣きそうになってしまったけど、ちゃんと心配かけたことを謝ることができた。  で、そのあと俺は熱を出して寝込んだんだ。風邪をひかないように銭湯ではしっかり湯に浸かったんだけどね。やっぱり十二月の池に落ちてなんともないなんてことにはならないだろう。美濃も風邪をひいて二、三日、学校を休んだらしい。  俺の場合はただ風邪を引いただけでなく、男の子の幽霊に憑依されてしまったときの後遺症で、しばらくのあいだ気持ちまでふさぎ込んでしまった。それで一週間、ベッドから出られずにいたんだ。

ともだちにシェアしよう!