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第29話

「実はな、今日は氏家に頼まれて、お前を連れだしたんだ」  哲也くんがこっちに向かって会釈する。ビクッと肩を揺らした俺は、すぐさま踵を返すとそのまま逃げようとした。ところが背中からがっしり美濃にホールドされて叶わなくなる。 「うっ、うらぎりものっ! 美濃のバカッ! 放せっ! 放せよぉ~~っ!」 「あっ、こらっ、暴れんなっ、藤守。落ち着けっ」  ズリズリ哲也くんのほうへと引きずられ、手足を振って抵抗した。 「藤守」  哲也くんに名まえを呼ばれた。たったそれだけで、ぶわっと込みあげてくるものがある。心臓だって破裂しそうなほどにドキドキだ。 「藤守。いいからすこし話してみろ。な?」  耳の中にこそっと囁かれた。 「む、無理ぃ……」 「お前次第では、案外、氏家といい関係になれるかもしれないぞ?」 「先生?」  涙目で美濃を見上げた。 「失敗したら慰めてやるから、ガンバレ」  美濃は俺の身体を哲也くんのほうにくるっと向けると、 「約束しただろ? 最後までサポートしてやるって」  そう云って戸惑う俺の背中をポンッと押しだした。 「先生っ!」  振り向き叫ぶ。 (うえぇん。馬鹿馬鹿馬鹿、美濃の馬鹿~っ。俺、どうしたらいいんだよぉ)  縋りたい気持ちでいる俺をその場に置いて、美濃はさっさと帰っていってしまった。最悪だ。  彼の姿が見えなくなってしまうと、ゴシゴシ目もとを拭った俺は、恐る恐る正面に向き直った。そこにはずっと会いたいと願っていた哲也くんが立っている。  はじめてみる哲也くんの私服姿は、ダウンのコートに細身のパンツスタイルだ。全開にしたダウンの下には大人っぽい濃紺のセーターを着ていて、首元にはストライプのシャツが覗いていた。まるでモデルさんみたいな哲也くんは、とってもとってもかっこよかった。 「て、―」  哲也くんと云いかけて、いや、それはダメじゃん! ととっさに口を噤んで顔を伏せ俺は、彼が菓子袋を握っていることに気づいた。そうだ、いつものお礼を云わなきゃっ、と勇気を振りしぼる。 「氏家くんっ、いつもプリンありがとう」  できる限りの声をだしたつもりだけど、ちゃんと彼に届いたかな? そうっと顔をあげてみたら、 「ん。……藤守の口に合ったかな?」 って、にこっと笑いかけられた。 (さ、さわやかすぎるよぉっ!)  心臓がギュウンッと鳴り、足もとがふらついた。 (はぁ~っ、し、死ねるっ!)  俺は顔を真っ赤にして、ふたたび下を向いた。 「ねぇ、座って話さない?」  ベンチを示されおとなしくそこに座ると、哲也くんも俺の隣に腰かけた。 「藤守、ひさしぶりだね」 「………………うん」  しおらしく頷く俺。  (学校で一番人気のあの哲也くんと……、ちゃんと意識のある哲也くんと……俺、いま、ふたりきり? しかも肩が触れ合いそうな距離で並んで座っているんだよ? 哲也くんが俺に笑いかけてくれたんだよ? これ、現実なの? 俺の見ている都合のよすぎる夢なんじゃないの?)  ど、どうしよう、と俺はすっかり萎縮してしまい、膝に手をのせたままカチンコチンに固まってしまった。『美濃ぉ、いますぐ帰って来いよ~っ』と先生に念を送ってみたり、『夢なんだったらこのまま目が覚めなければいいのに』と胸中大混乱だ。  ―実は。  哲也くんがはじめて家にやってきたのは、彼の受験日の翌日だった。  哲也くんは見舞いに来ていた俺の話を親にきいて、受験も終わったことだしってことできっとその礼に来たんだと思う。でも俺が哲也くんに会えるわけないでしょ? だってあんな、アイツらに床に押さえつけられて(あらが)えないでいたみっともないとこ見られてるんだよ? だからどれだけ哲也くんが善良で偏見のないひとでも、彼にとっては藤守イコールカッコ悪い、男のくせに弱いヤツってね、認識されてしまってるんだ。  哲也くんが俺の名まえを聞くたびに、俺のことを思い出すたびに、あのときの俺の姿がばんって彼の脳裡に思い浮かぶだろう。ましてや対面なんてしたら、その間中ず~っと、彼には目のまえの俺を通りこして、あの日の俺が脳内にちらちらするに違いないって。だから、哲也くんには俺の存在すら忘れてもらいたいぐらいなんだ。ましてや、視界になんて絶対に入りたくなんてない。  だから。だから―、哲也くんとは会いたくても会ってはいけないって、そう思って俺は哲也くんがなんど家にやって来ても、そのたびに会わないで帰ってもらっていた。  なのに、なんでなんだよ⁉ なぜか俺はいま……、 (めちゃめちゃ哲也くんに見られているんですけど⁉ なんで⁉ だから、哲也くんっ! 俺のことそんなにじろじろ見ないでよぉぉぉっ!)  いや、実際には俺は俯いているんで、本当に哲也くんが俺のことを見ているか確認したわけじゃないんだけど、でも、感じるんだよ。哲也くんの視線を。 (ど、どうしてそんなに見てくるのっ⁉ なんでぇぇ⁉ )  好きなひとに見られるってだけでもじゅうぶんに恥ずかしいのに、哲也くんにはダメな自分を知られているって相乗効果もある。俺はもう恥ずかしすぎて、足もとに穴を掘って埋まりたい気分だった。 「あ、あのっ」 「ん?」  彼の低い声に、耳がほわんと熱くなる。  俺はぎゅっと膝の上の手を握りしめた。またじんわりと涙が滲んできた。  哲也くんがはじめて家に来たとき、俺はお母さんに頼んで仮病を使って会うのを断ってもらった。そしたら数日空けて、哲也くんはまた(うち)にやって来たんだ。だからそれからは正直に「会いたくない」って理由で帰ってもらっていた。そのことについても哲也くんには呆れられているはずだった。それでも、こんな方法を使ってまで俺に会おうとするなんて。そんなにじかに礼を云いたいだなんて、哲也くんってほんとうに律儀な性格をしているんだね。だったら俺も覚悟を決めて彼に真摯に応えないといけない。 (観念しなきゃ……)  手短に話を終えてはやく家に帰ろう。それから自分の部屋で落着いていっぱい泣けばいい。すでに半泣きだけどな。グスグス。 「要件は、なっ、なに?」  涙声で哲也くんに問えば、 「あ、あぁ。ごめんごめん」 と、慌てた様子の彼に謝られた。 「体調は大丈夫? これ、よかったら」  差しだされた菓子袋はいつもとは違う、プリンで有名なブランド店のものだった。 「ごめん、せっかくだけど、もらえない。……いままでのプリン代も弁償する」 「どうして?」 (顔、ちかっ!)  顔を寄せられて、俺の体温はいっきに跳ね上がった。それはもうバフンと湯気が立ちあがりそうなほどに。体中、どこもかしこも熱いってば。きっと俺の全身は真っ赤になっているに違いない。 「だ、だって、氏家くんがはじめに家に来たときに俺がちゃんと出ていれば、氏家くんはなんども俺ん()に来なくてすんだのに。俺、元気だよ? なのに俺が……会いたくないとか、云ったから……ほんとうに、ごめんっ」  しどろもどろの俺の話を、哲也くんは最後までじっと聞いてくれていた。でもそれは『じっと聞いて』というよりも、やっぱり『じ~っと見つめて』って感じで、俺が話し終わっても哲也くんはなんの返事もしてくれない。 (なんか哲也くん、沈黙多くない?)  「? あ、あの……、氏家くん……は、なにか俺に用事があったんじゃ……?」 (ちょと俺のこと見すぎじゃないのっ⁉ でっ? なんなの? 話があったのはそっちでしょっ? ちがうの⁉ 俺にお礼を云うんでしょうが) 『ずっとお見舞いありがとう』って、はやくお礼を云ってバイバイしてほしい。そうじゃなければ、俺、もうこの場から逃げ出しちゃうよっ⁉ ああん、はやくなんとか云ってよぉ!  しかし俺がこんなにも焦れているのに、哲也くんはなかなか口を開かない。思い切って顔をあげると、険しい面持ちの彼と視線がもろにぶつかった。 「……氏家くん?」  もしかしてお礼云々(うんぬん)なんかではなくて、もっと難しい話だったんだろうかと突如不安になってくる。 (美濃ぉ、帰ってきてくれよ。あっ⁉ まさか哲也くん、美濃に俺が卒業式に参加するよう説得を頼まれた? それとも竹中たちのことでなにか云いたいことがあったりする? まさか俺のこと男らしくないとか、意気地なしとか非難しに来たの? 俺、いまから哲也くんに「オトコのくせに」って説教されたりするの? 哲也くん、俺に怒ってんの? でもさっき、にこって俺に笑ってくれた。それにいつもお土産にプリンくれるし、今日なんてブランド店の高級プリンだし。そんなことないはず……ないはず……。あっ! まさか)  俺はギクリとして蒼ざめた。 (まさかまさかまさか、なんかバレてたりする⁉ 俺が病院で哲也くんにしてきたあんなことやこんなことがっ! でもでもでも、美濃黙っていてやるって云ってたし―。うぇんっ。わかんないよ。哲也くんなんかしゃべってぇぇっ) 「ずっとお見舞いに来てくれていたんだって?」  いよいよ沈黙に我慢ができなくなって両手に顔を(うず)めた俺に、哲也くんはやっと話しかけてきた。耳もとで囁やくようにされた俺は「ひゃっ!」と悲鳴を上げて飛び上がった。 (近い近いちか~いっ!) 「受験勉強のとき、藤守が作ってくれたノートを使わせてもらったよ。すごく助かった。とても感謝してるんだ。ありがとう。だからこれは貰っておいて? ね?」  プリンの紙袋を膝に置かれると、それだけでまた心臓の動きに勢いが増す。俺って本当に恋してるんだよな、哲也くんに。あぁ、ときめきが止まらないよ。 「センター試験も二次試験もいい感じだった」  うまく声が出せなかったので、俺はこくんと頷いておいた。  俺のやっていたこと、本当に哲也くんの役にたった? それともこれは社交辞令なのかな? それでも、うれしいと思った。こんなふうに云ってもらえてよかった。そして哲也くんのこういうところが、やさしくってやっぱり大好きだなって思った。数少ない、一年生のときや、そして今年また同じクラスになってから交わした彼とのやり取りが思い返される。そのどんなときでも哲也くんは俺に誠実で、思いやりがあった。だから俺はそんな哲也くんに少しづつ魅かれていったんだ。 「合格してたら、藤守のお陰だね」  俺はそんなことないよって意味で、ちいさく首を横に振った。  こんなに大好きな哲也くんと、もうこれで最後なんだ。お別れなんだ。  哲也くんとはこのさき二度と交わることのない別々の人生を歩んでいくんだと思うと、鼻の奥がつぅんとしてきた。俺、哲也くんよりも好きなひと見つけられるのかな? すごく悲しくなってきたじゃないか。 「氏家くん、頭いいから。あんなの無くたってきっと合格してるよ」 「藤守」  顔はあげることはできなかったけど、それでも俺が頑張って笑顔をつくってみると、突然紙袋に添えていた俺の手に哲也くんの手が重ねられた。

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