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第30話

「う、氏家くん⁉」  なんだこの手は⁉ 次の恋への支障がでてしまうじゃないかっ。狼狽(うろた)えて顔を上げた俺は、またしてもばっちり彼と目があってしまう。 「もし合格してたら、お祝いしてくれる?」 「へっ⁉」 「まぁ、落ちてたら落ちてたらでいいし……」  あっさり云って小首を傾げた哲也くんに、俺は目を瞠った。 「えぇっ⁉」  どういうこと⁉ なんか、哲也くんが妙なことを云いだしたぞ。  のけ反る俺にお構いなしに、彼は俺の手をしっかりと握って、さらにずいっと身体を寄せてきた。 (うわっ、だから近いんだってばっ!) 「なぁ、藤守。もし落ちたら俺のこと慰めてくれるか?」 「えっ⁉」  俺が目を白黒させていると、はっと我に返ったらしい様子の哲也くんはばつが悪かったのか、俺の手をぱっと放してそれから居住まいを正した。わざとらし気な咳がひとつ「こほん」とつけ加えられる。 「う、氏家くん?」 「ごめんごめん。話が逸れてしまった」 「は、はいぃ⁉」  俺はバクバクする胸を押さえて哲也くんを凝視した。 「―今日は藤守にお礼が云いたかったのと、それともうひとつあるんだ」 「なっ、な、な、なに?」 「俺が事故にあった日のことなんだけど」  息を呑んだ俺はさっと顔を背けると、身を固くして縮こまった。 「蒸し返して悪い。でも、どうしても謝りたくて。俺、あのとき、なにもできなくて、ごめん」  そう云うと、哲也くんは深く頭を下げた。 「それだけじゃない。そのあとも事故って入院なんかしてしまって、まったく藤守の力になってあげられなかった」 「あ、謝らないでよ! 氏家くんはなにも悪くないんだからっ」  驚いた。哲也くんがそんなふうに思っていただなんて。 「氏家くん、頭、上げて」  哲也くんはまったく悪くないんだよと、それを伝えたくて俺は精一杯の言葉を探した。 「お、俺こそ、あんなところ見せてごめん」 「それはおかしいだろ? 藤守が謝ることなんてなにもないから」 「ううん。あんなの、見たほうだって気分のいいもんじゃないはずなんだ。実際にほら、いま氏家くんはこうして気に病んでて、それで俺に謝ったりしてる」 「それは違う」 「それに俺、ちゃんと氏家くんに助けてもらった! あのとき氏家くんが来てくれたから俺、あいつらから逃げることができたんだよ。それに、それに、あの後も病院にも行かせてもらってたし!」 「? お見舞いに来てくれていたこと?」  不思議そうに問われたので、「うんっ」としっかり頷いた。 「友だちでもないのに、俺なんかが氏家くんのお見舞いとか、それ知って本当は嫌だったんじゃないかなって」 「そんなこと絶対にないよ!」  「でも」と、俺はブンブン首を横に振った。 「でも、誰だって意識なくして寝ているところなんて見られたくないはずだよ? わかってたけど俺っ……ほかに、友だちいなかったからっ」  情けない自分をのことを哲也くんのまえで打ち明けると結構ショックで、うるっときてしまった俺の声には涙が混じってしまった。 「氏家くんの病室に勝手に通って、寝ている氏家くんを友だちの代わりにしてた。いっぱい話相手になってもらったりして……、俺、ほんと、すごく助かってたんだ」  都合の悪いことはぜんぶ隠してだけど、心苦し気に眉を寄せている哲也くんが、はやくその罪悪感から浮上できるように、俺は一生懸命話した。 「だから感謝するのも、ありがとうも、謝るのも、氏家くんじゃなくてぜんぶ俺のほうなんだ」 「藤守……」 「氏家くん、俺を助けてくれて、ありがとう」  いつもいつも哲也くんは、俺のこと助けてくれていたよ。ずっと。だからいま俺はこうしていられるんだ。哲也くんにはその重みはわかんないだろうけど、この気持ちはすっごく大きい。  哲也くんには伝えられないと思っていた感謝の気持ち―伝えるチャンスがあってほんとによかった。これできれいにさよならができる。 「なんども(うち)に来させることになってごめんな。俺が逃げてたせいで。でも、最後にこんなふうにちゃんと氏家くんと話せてよかったかも」  そう云えた俺は、やっと無理なく笑顔を作ることができた。  贅沢を云うならば、『ありがとう』を伝えるみたいにしてさらっと『好きです』って告白もできたらいいのだけど。でも告白しちゃったら返事がついてきたりするもんね。おそろしくって云えるわけがない。哲也くんならきっと俺のこと上手にフッてくれるんだろうけど、万が一、嫌悪感いっぱいに傷つくこと云われたくはないし。それにやっぱりコイツはホモだったのかって、レッテルまで記憶されたら最悪だし。そうそう、だから云っておかなきゃ。 「それと、できたら忘れてほしい。あのときのことは。あんなカッコ悪いとこ、氏家くんに覚えていて欲しくないんで」  これは本心。なんなら哲也くんが病院で目覚めたときにそこだけ記憶喪失になってくれていたらよかったのにって、本気で思っていたぐらいだもん。 「俺のことまるごとすっぽり忘れてくれたら―」  ありがたいんだけどって続けようとしたセリフは、「無理かな、それは」と、哲也くんに(さえぎ)られてしまった。  困ったように口もとを歪めた哲也くんの手が遠慮がちに伸びてきて俺の顔に添えられると、次の瞬間、困惑する俺の(まなじり)に残っていた涙がグイッと拭われた。かぁっと、顔が火照り、身体に熱が籠りはじめる。 (な、な、なにこれ? どういう展開⁉ それになんでまた哲也くんがこんなに近いのぉっ⁉) 「藤守。学校、キツかったんだろ? そんな簡単に忘れられるわけない。だからお前、こんなに泣いてるんだ。―あのときの怪我、どうなった?」 「も、もも、もう、治ったよっ」 「嘘だ。見せてみろよ」 「えっ⁉」  哲也くんは俺の上体をくるっとまわして背中を向けさせると、さっと服をたくし上げて肌を露出させた。俺は着の身着のまま美濃に誘われて外に出てきたんだから、カットソーにオーバーシャツしか身に着けてない。脱がすのはぺろんと簡単だ。 「う、氏家くんっ⁉」 (なにすんのっ! なにすんのっ⁉ いったい俺になにすんのぉぉぉっ!)  テンパる俺のことなんてまったくそっちのけで、哲也くんはカッターナイフでざっくり切られた背中の傷痕に触れてきた。  「かわいそうに」と呟やかれ、腰から肩甲骨へとす~っとなぞられる。そしたらなんとも云えない感覚がして、俺の腰から上がふるっと震えた。あげくに「やっ……」って、へんな声まででてしまいあたふたと口を押えた。 (き、聞かれちゃった、今の俺の声⁉ ちょっとエッチっぽかったんですけど‼)  「ごめんっ、痛かったか?」 「ち、ちがうっ、治ってるから! よく見て? もう治ってるでしょっ⁉ 血も出てないしっ、そんなに痛くないしっ!」  首を捻って哲也くんに訴えると、俺の背中を食い入るように見ている哲也くんの目はなんだかとても艶めかしくって……。 「それってまだ痛むってことじゃないか」  ゴクリと唾を嚥下した哲也くんの喉仏が上下するのを見てしまうと全身がぞわっとした。 (うわぁぁぁぁっっ。男っぽい!)  息がかかりそうな距離に、わずかに哲也くんの体温を感じとった俺はくらっとした。もうこれ以上はムリだ! 「あ、あのっ、手を放してください。もう見たでしょ? なら、おしまいっ」 「この傷、ちゃんと消えるのかな? せっかくこんなにきれいな肌なのに……」 「ひゃん!」  俺は悲鳴をあげた。はぁっと悩ましげな溜息をついた哲也くんの大きな手のひらが、今度はぺたっと背中にはりついたのだ。 「声、かわいいね」 「は、はいぃぃっ?」  俺はぐりんと首を捩じると彼に目を凝らした。 「あ、ごめんっ。痛かったよね」 「ち、ちがっ」 (そうじゃない、そうじゃないっ! そうじゃないっ! 驚いてんだよっ! 俺はっ!) 「ああ、それとも俺の手が冷たかった? ごめんな」  撫で撫で撫で。 「いや、それも違う! って、ひあぁっ」  背筋を駆け抜けた快感に、俺は思い切り背中を反らして嬌声(きょうせい)をあげていた。 (だから、なんでナデナデするのっ⁉ なんだかまたへんな展開になってきたじゃなかっ、もう俺の心臓が壊れるってば!)  俺は、そうだ、冷たかったんだ、と一度は首を縦に振ったものの、いや、それじゃダメだと思いなおして、もう一度今度は横にぶんぶんと振りなおした。 「氏家くんっ、俺、ホモだって云われてるのにっ。ふつうは警戒するもんでしょっ!」  限界だった。これ以上密着されつづけると、俺はどうにかなってしまう。それを避けるためには、自分がゲイだってことを白状するしかないと思った。 「てか警戒してよ。こんなナチュラルに触られると、俺、俺、やばいじゃん!」 引っ込んでいた涙がぶわっと溢れてきた。 「その噂、……本当だったのか?」 「…………うっ、……うえっ……」  俯いてしゃくりあげる。ボタッとおおきな涙がひとつ転がり落ちると、それを皮切りにボタ、ボタ、次から次に涙が落ちていって、俺の膝にいくつもの染みができていく。 「藤守は、男がいいの?」 「……っ、お願いだから、俺のこと、……責めないで」  消え入りそうな弱々しい声で懇願すると、背中にあった哲也くんの手から力が抜けた。その隙に俺が態勢を戻したのと、哲也くんが捲り上げていた服から手を放したのは同時で―、服の裾を整えようとしてくれた彼の唇と、振りむいた俺の唇がぶつかりそうになって―。 「うわっ!」  びくっとして固まった俺と視線をあげた哲也くんとの目があって、あって、あって……しまって―。 「あぁっ、もう我慢できないっ! ごめん、藤守っ、させてくれっ!」 「‼」 (うっそ~っ⁉)  晴天の霹靂とはこのことだ。いきなり哲也くんにガバッと抱きつかれた俺は目をまんまるにした。 「んんっ! んんんっ」 (どゆことーっ⁉ もしかしてこれってキス⁉)  哲也くんと俺の唇同士がぶつかって、ふにゅんてなって、腰が抜けそうになっている。 (俺、揶揄(からか)われてるの⁉ いやでも、これってやっぱりキスだしっ)  哲也くんにお口をパクッとされてしまった俺は、そのあとあっけなく離れていこうとした彼の唇を、 (やだ、やだ、離れたくない! ひさしぶりの哲也くんの唇なのに!) と、咄嗟に追いかけてしまい、今度は自分からかぷりと吸いついた。とんでもない自分を止められなかったんだけども、でも哲也くんはそんな俺を引き剥がしたりなんかしないで、長い腕を俺の背中に回してぎゅっと抱きしめてくれたんだ。

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