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自由な男
食べ終えた弁当の容器を重ね、凪はまとめて袋へ入れる。テーブルの上はすっかり片付き、部屋には静かな時間だけが流れていた。時計へ目をやると、時刻は午前零時をとうに過ぎていた。
袋を片手に立ち上がり、ゴミ箱へ捨てる。リビングへ戻ると、怜央はソファにもたれたまま、大きく伸びをしていた。
「……さて」
そろそろ帰るだろう。そう思っていた。
「今日ここ泊まるね」
あまりにも自然な一言だった。
「……は?」
聞き間違いかと思った。けれど、当の本人は至って真剣な顔で欠伸を噛み殺しているだけだった。
「帰るのだるいし。明日一緒に電車乗ればいいし。俺が朝の毎員電車から守ってあげるよ」
「別に守っていらないけど」
「うん。じゃあ、風呂借りるね」
言うが早いか、怜央はソファから立ち上がった。
「おい」
「ん?」
「ここからお前ん家まで十分もかからないけど」
「それが?」
凪は小さくため息をついた。その返事が返ってくることくらい、最初から分かっていた。その度に文句は言うものの、結局は押し切られる。もう何度繰り返したか分からないやり取りだった。
怜央は何事もなかったように部屋を見回すと、洗面所の方へ視線を向ける。
「で、風呂どこ?」
凪はもう一度だけ息を吐いた。
「……廊下の突き当たり」
「へーい」
返事だけはやけに素直だった。怜央は迷いなく廊下を歩いていき、洗面所の扉を開ける。まるで何度も来たことがあるような足取りに、凪は苦笑い混じりに息をついた。
昔からそうだ。人の家でも妙な遠慮はしない。だからといって図々しいわけでもなく、いつの間にかその場の空気に溶け込んでしまう。
それが怜央という人間だった。
「タオル借りるよー」
洗面所から聞こえてきた声に、凪は棚を指差すように視線を向ける。
「洗面台の下。新しいの入ってる」
「いや、凪くんのお古がいい」
「ほんとに黙ってほしい」
間髪入れずに返すと、洗面所の奥から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
何がそんなに面白いのか。呆れながらペットボトルを片付けていると、鼻歌まで聞こえ始めた。
(……能天気)
この一言に尽きる。仕事で嫌なことがあっても、疲れていても。そんなことは一切関係ないと言わんばかりに、いつだって機嫌がいい。むしろ、そこは尊敬できる部分だった。
少なくとも凪には真似ができない部分だ。だからこそ、見ているこちらまで力が抜ける。
「凪くん出たよー」
「……別にその報告いらないけど」
聞こえない程度の声で呟く。洗面所からはドライヤーの音が響き初め、その音に紛れるように、また鼻歌が聞こえてきた。
凪は小さく息をつきながら、ソファへ視線を落とす。今夜はここが怜央の寝床になるだろう。そう思い、クッションを一つ手に取った。
しばらくして、ドライヤーの音が止まる。タオルで濡れた髪を拭きながら、パンツ一枚でリビングへ戻ってきた怜央に、思わず目を疑った。
「……何その格好」
「やーん、凪くんえっちぃ」
相手にするだけ無駄だ。昔からこういう冗談だけは真面目に受け止めたことは一度もない。
凪は小さくため息をつくと、怜央から視線を外した。
「服」
「服貸して」
やっぱりそうきた。凪は呆れたように息をつく。
「パジャマ置いてる。スーツまでは貸さない」
ソファの上へ置いておいたパジャマを顎で示すと、怜央は嬉しそうにそれを手に取った。
「さすが俺のハニー。結婚する?」
「お断りしまーす」
即答だった。それでも怜央は気にした様子もなく「いつか落とす」と一人で笑いながら、パジャマへ袖を通す。
「じゃ、寝るわ。おやすみ」
「おやすみ」
それだけ言うと、怜央は迷いなくソファへ倒れ込んだ。相変わらず自由だ。
小さく息をついた凪は、着替えを手に取ると、自分も風呂へ向かった。
風呂から上がる頃には、怜央はもう寝息を立てていた。さっきまであれだけ騒がしかったのが嘘みたいに静かだった。
寝付きのよさまで昔と変わらない。
「……おやすみ」
返事が返ってくることはないと分かっていながら、小さく呟く。リビングの明かりを落とし、扉を閉めた。
長かった一日が、ようやく終わった。
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