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通勤電車
朝食を食べ終えると、二人は手早く片付けを済ませた。凪は食器をシンクへ運び、怜央は「これくらいやる」と珍しく自分から皿を拭き始める。
数分もしないうちに食卓は元通りになった。
「そろそろ出るか」
「うん」
凪は腕時計で時間を確認し、仕事用の鞄を肩にかける。玄関で革靴を履きながらネクタイを整えると、後ろからガチャリとドアの開く音がした。
怜央も身支度を終え、昨夜と同じスーツ姿に戻っている。
「凪くん。ネクタイ曲がってるよ。直してあげよっか?」
「嘘つけ」
「バレた?」
朝から変わらない調子に、小さくため息が漏れる。
「行くよ」
「へーい」
鍵を閉め、マンションを出る。朝の空気はまだ少しひんやりとしていて、通勤へ向かう人達が足早に駅へ向かっていた。
凪と怜央もその流れに混ざるように、並んで歩き始める。昔は当たり前だったこの距離も、こうして隣を歩くのはずいぶん久しぶりだった。
駅へ着くと、ホームはすでに通勤客で埋まっていた。電車が滑り込んでくると、人の流れに合わせて乗り込む。車内は朝らしい静けさに包まれ、それぞれがスマートフォンを見たり、目を閉じたりして過ごしていた。
凪と怜央は吊革を掴み、隣同士で立つ。
「凪くんって、いつもこの電車?」
「そうだけど。なんで」
「あー。だから俺ら毎朝会わないんだ。俺この電車より一本早いやつだから」
「は? お前遅刻?」
「違う違う」
怜央がなにか言い返そうとした、その時だった。
「水瀬先生じゃないですか」
聞き覚えのある声に、凪は反射的に顔を上げる。数歩先の吊革を掴んでいた一之瀬が、目を丸くしてこちらを見ていた。
「え、一之瀬先生」
「やっぱり先生だ。おはようございます」
一之瀬は人混みを縫うように近づいてくると、にこりと笑った。
「まさか水瀬先生とこんな所で会うなんて」
「……そうですね」
そう答えた凪だったが、一之瀬の視線はすぐに隣の怜央へ向く。
「水瀬先生のお友達ですか?」
問いかけられた怜央は、一之瀬を見てにっと笑う。それから、何の躊躇もなく凪の肩を引き寄せると、
「水瀬凪くんの彼氏でーす」
「……おい」
凪は呆れたように怜央を見た。
「朝から適当なこと言うな」
「えーだめ?」
「その反応もいらない」
一之瀬はぽかんと二人を見比べる。
「……え?」
完全に信じかけているらしい。その様子に怜央は吹き出した。
「ごめんごめん。冗談ね。いや、俺的には本気だけどね?」
さらっと余計な一言を付け加えて笑う。
「で、俺? 俺、凪くんの幼なじみ」
「だから最後まで余計なんだって」
凪が呆れたように言うと、怜央は「えへへ」と悪びれもなく笑った。一之瀬は二人を交互に見つめ、ようやく状況を理解したように苦笑いする。
「……びっくりしました」
戸惑ったように目を瞬かせる一之瀬を見て、怜央は満足そうに笑った。どうやら、反応を楽しんでいるらしい。
そんな怜央を見て、凪は小さく息をついた。
「すみません。驚かせるのが趣味みたいなところあるんで、こいつ」
そう言われても、怜央は悪びれる様子もなく肩をすくめるだけだった。
そんなやり取りをしてる間にも、電車は軽い揺れを繰り返しながら目的の駅へ近付いていく。まもなく到着を告げるアナウンスが流れ、電車はゆっくりと速度を落とした。
「水瀬先生、降りましょう」
一之瀬に声を掛けられ、凪は扉の前へ移動する。ホームへ降り立つと、朝の空気がひんやりと頬を撫でた。
振り返ると、車内には怜央が立ったままこちらを見ている。
「じゃあ、ハニーまたね。愛してる」
窓越しにひらひらと手を振る姿は、朝から相変わらず気楽そのものだった。凪は小さくため息をつきながら軽く手を上げて返すと、電車が視界から消えるまで見送った。朝から散々振り回されたというのに、不思議と嫌な気分ではなかった。
そんなことを考えながら、凪は一之瀬とともに学校への道を歩き始めた。
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