23 / 65

第23話 恋愛小説なんか読まなかっただろ

――この気持ちがただの憧れだったら、どれだけよかったことでしょう。 擦り切れた手が目に入る。 こんな手では、あなたの綺麗な袖を掴めない。 私には、華美なドレスも、絹のような肌も、宝石のような瞳もない。 住む世界が違うとは、このようなことを言うのだと、愚かな私は初めて理解した。 「うぅっ…………」 拠点に戻った俺はひとり、ベッドの中で、クヴァールから借りた”明けない夜に恋をした”を読んでいる。なぜだかドハマリしてしまった。 まずこの使用人、すごく健気なのだ。 メイド長や令嬢の嫌がらせにも耐えて、昼夜問わず一生懸命仕事をして。相手の貴族が惹かれていくのがわかる。俺も絶対応援する。 それでいて、この貴族もいい男なのだ。 立場がありながら使用人を守ろうとして、それがかえってまわりの反感を買ってーーー、 いつの間にか涙がぼろぼろ零れていた。 止まらなくなってしゃくり上げた。 諦めなきゃいけない恋を、それでも諦められない気持ちが。 自分にすごく、重なった。 本を置いて、布団にくるまる。ぐすぐすと泣いた。 「エルマ、ただいま。ーーーーエルマ?」 扉が開いて、ギルバートの声がした。 俺は布団の中で肩をびくりと震わせる。 ……やばい。 こんなに泣いてるとこ、見られたくない。 ギルバートは荷物を放って、すごい勢いで俺のベッドに駆けてきた。 「どうした? 体調悪いのか? また魔素が足りなくなったのか、それとも」 布団をぎゅっと掴むも、ギルバートに剥がされる。 俺は間抜けな泣き顔を晒してしまった。 ギルバートが息を呑んだ。 「エルマ、ど、どこか、痛いのか」 「ちが、ちがう、体調はわるくない!」 「じゃ、じゃあ、どうした。誰かに、何か………」 「ちがう! あー…………聞けって!」 俺は手をぶんぶんと振って誤解を解こうとする。このままじゃ話がこじれるだけだ。 「小説読んでたんだよ! それで、ついハマっちゃっただけ」 「………小説?」 ギルバートが眉間に皺を寄せる。 「ほら!」と小説を見せると、ギルバートはしぶしぶ手に取る。 「……恋愛小説?」 「あ、ああ。知り合いに借りてさ。オススメされたんだよ」 「…………誰に」 ぎろっと睨まれた。瞳が鋭い。 悪いことをしていないはずなのに、口の中が渇いていく。 「クヴァールさんっていう、トラオム聖教会の医者だよ。健康診断の件とかで話をしてさ、仲良くなったんだ」 「…………ふうん」 「ほんと、それだけ。名作だから、つい、な」 無理やりいつもの調子に戻そうとして笑いかけるも、ギルバートはぐっと口を曲げたままだった。 「エルマは、恋愛小説なんか読まなかっただろ」 「べ、別にいいじゃん。俺だっていつまでもガキじゃないんだし。恋愛小説くらい読める」 「………いつから」 え、何いってんの。 ギルバートの顔を見つめる。なんか、すごく機嫌が悪い。 ……いつからって、どういう意味だ。つい聞き返したくなったけど。 あんまり刺激したくなくて、ちょっとぼかして返した。 「読んだのはこれが初めてだけど……」 「なんで読もうと思ったんだ」 「別にギルバートに関係ねえじゃん」 俺がいつ何読んだっていいだろ、と開き直ろうとすると、ギルバートの眉間の皺は、より深くなっていく。 ごくりと唾を飲み込んで、口を開いた。 「任務はちゃんとやってる。余暇に何しようが俺の勝手だろ」 「………へえ」 布団を掴むギルバートの手が、ぎりぎりと震えている。うつむいて、顔はよく見えない。 「あのさ」と声をかけようとすると、ギルバートが遮った。 「早急に解決しなければならない事件が暗礁に乗り上げてるのに、よく”任務はちゃんとやってる”って言えるな」 息を呑んだ。こんな声は初めて聞いた。 その声はすべての感情を押し殺したように、冷たかった。 ごめん、と、謝りそうになった。途端、 ギルバートは俺の顎を掴んで、無理やり顔を上げた。 鋭い金色の瞳と視線が合って、背筋がぞくりとした。 「なん、だよ」 「魔素補給だ。”任務”だろ」 「なん、で、いまっ………!」 抵抗しようとしてもできなくて、そのまま口づけられた。 いつもより荒い、噛みつくようなキスだった。 食べ尽くされるように口を開けられて、深く、深く、舌が交わった。 ギルバートの胸を押そうとしても、その手すら掴まれた。 ぎりぎりと、強く。 ギルバートは止まらなかった。 押さえつけるようにキスを続ける。 その瞳は、逆光でぎらりと光っていた。

ともだちにシェアしよう!