43 / 65

第43話 醜い感情【SIDE ギルバート・ルフトシュタット】

「……きみは」 「お忙しいところ失礼いたします。聖騎士のギルバート・ルフトシュタットと申します」 「………どうも。医者の、オーランド・クヴァールです」 医務室の扉を開けると、クヴァールは机に向かって書類を整理していた。 部屋にはひとりのようで、他に音はない。 一瞬パーティーで会っただけの俺を覚えているだろうか。服装は変えているし、気づいていないといいのだが。 無表情を貫く。妙な緊張が走る。 「どうかされましたか?」 「実は、ある事件を捜査してまして。一昨夜のことをお伺いしたいのです」 「事件?」 クヴァールは訝しげに俺を見つめるも、そのまま目の前の椅子を勧めた。 俺はそこに腰掛ける。ぎしりと軋む音が響いた。患者が座る椅子だろうか、若干座りづらい。 「何かあったんですか」 「詳しいことは捜査中で。今は、すみません。伺いたいのは一昨夜の夕方以降に訪れた患者のことです」 そうですか、と、いまだ疑問が残っているような声でクヴァールは相槌を打つ。 そして書類の山に紛れていた帳簿を取り出し、ぱらりとめくる。「十八時以降に訪れた患者は五人ですね」と口にした。一昨夜の来室記録なのだろう。 「最後に来たのはアインホルン司祭ですね。二十時四十五分です」 「なるほど。彼はどんな用件で」 「頭痛がするとおっしゃっていたので、頭痛薬をお渡ししました」 「彼はよくいらっしゃるのですか?」 「そうですね。月に二、三度は。偏頭痛持ちなのでしょう。薬をお渡ししたらすぐお帰りになりましたよ」 なるほど、と相槌を打って、アインホルン司祭の言葉を思い返す。月に二、三度訪れるほどの偏頭痛持ち。思ったより症状は重そうだ。 「彼の偏頭痛の原因は?」 「しっかり診たことはないのですが……。まあ、そういう体質のひと、というのは納得できますね」 「例えば、特別な……魔法の副作用であるとか」 クヴァールはちらりと俺を見遣り、口を開く。 「体質に合わない魔素に触れると頭痛がする人がいる、というのは聞いたことがあります。魔素への感度が高いと身体に影響を及ぼすようですよ」 「魔素が影響を」 「ええ。高度な魔法を扱うひとは偏頭痛持ちが多いようですよ」 例えば、とクヴァールが区切る。 「《《ネクロマンサー》》、とか」 一瞬、喉の奥がぎゅっと締まった。 ネクロマンサー。 クヴァールは、はっきりと告げた。 この国ではネクロマンサーは眉唾物だ。 なのに、なぜ。 俺たちの捜査内容に気づいているのか。 歴史書の盗難事件、ひいては”神の御許”盗難事件すら筒抜けになっているようで、気味が悪かった。 「そんなに怖い顔しなくてもいいですよ、ルフトシュタットくん」 クヴァールがからからと笑う。 先ほどまでの張り詰めた表情は和らいでいた。 だが、俺の緊張は解けず、むしろ警戒が強まった。 「エルマから聞いてますよ。何かの事件の捜査をしていると」 「……は」 「きみはエルマの相棒なのでしょう。極秘任務だと聞いています。誰にも言ってませんから安心してください」 思考が一瞬、止まってしまった。 エルマの名前が出るとは思わなかった。 ……極秘任務のことを伝えるとは、よほどこいつを信頼しているのだろうか。 どうして、そこまで、こいつを。 こいつはどこまで知っているんだ。 「……なぜ、ネクロマンサーと」 「ああ、ちょっと前にエルマが図書館で調べておりましてね。珍しいな、と思っていたんです。それでちょっとカマをかけただけですよ」 当たったみたいですね、とクヴァールはいたずらっ子のように、笑う。 俺はぎゅっと唇を結んだ。部外者に捜査対象までバレているのは気持ちが悪い。 「ご協力、感謝します。詳しいことは捜査中ですので。部外者には伝えられないのです」 「わかってますよ。おふたりが任務で大変だということも」 クヴァールは笑顔を崩さない。だが、なんだか威圧感を感じる。 俺はできるだけ感情を表に出さないように、軽く会釈をして立ち上がった。 部屋の扉に手をかけようとした、瞬間。 「エルマの魔素供給は、どうされているのですか」 俺は手を止めてしまった。 振り返ると、クヴァールはよそ行きの笑みを浮かべていた。 目の奥は笑っていない。どろどろとした、薄暗い感情が渦巻いている。 「あなたに言うことでは」 「僕は医者ですからね。魔素についてはきみより詳しい。だからこそお伝えしたいのです。”ちゃんとした医療を受けさせるべきだ”、と」 無意識にこめかみに力が入る。 こいつはどこまで知っているんだ。 「魔素を他人から譲り受ける方法に依存するのはよくない。他人の魔素が身体に合わない場合は、体調不良も引き起こします」 「……特に体調不良を起こしている様子は見られません」 「素人判断は危険ですよ。医者に診てもらうのが一番です」 クヴァールはにやり、と口角を上げた。 「もしかして、エルマとキスしたいから、診せないんですか?」 赤い舌がちらりと覗く。 クヴァールは、優しい医者の皮を取り払った、悪魔のような表情を滲ませていた。 「なるほど、なるほど。天下の聖騎士様も、ひとりの人間なのですね」 「何を言っているんだ」 「いえ。気持ちは分かりますが、だとしたらエルマが可哀想じゃないですか。汚い私利私欲に振り回されてキスなんかされるなんて。もしかして、その先まで? ひどいですね。任務と称して、性的な行為を強いるなんて」 肩をふるわせ、呼吸が無意識に荒くなる。 怒りか、焦りか分からないが、腹の奥がぐつぐつと煮立つようだった。 お前なんかに言われなくたってわかってる。 私利私欲でこの状況を利用している、自分の愚かな感情なんて。 喉の奥がひくつき、掠れた声を零す。 「……ただの任務ですよ。別に。俺だって、したくてしているのではない」 クヴァールはにっこりと笑っている。 へえ、と眉を上げて、楽しそうに笑っている。 「そうですか。勘違いして申し訳ありませんでした」 「エルマの体調を気にかけてくれて感謝している。だが、これはこちらの問題だ。口を挟まないでくれ」 クヴァールは穏やかな声で「わかりました」と告げた。 俺は今度こそ扉に手をかける。 こんな部屋に一秒たりともいたくない。 「何か困ったらいつでもお越しください。協力しますよ」 その声を背に、俺は部屋を出た。 ぱたりと扉を閉めて、苛立ちを吐き出すようにため息を吐いた。胃がムカムカする。 それは、きっと。俺の醜い感情を、言い当てられたからだ。 誰にも知られたくない、汚い性欲と。愚かな独占欲。焦燥感、罪悪感。無力感。 歯を食いしばって、自分で頬を叩いた。鋭い痛みが走る。 ……惑わされるな。いまは任務が先だ。 あんな男の言葉なんか聞き流せ。 目をつむって、深呼吸をする。 静かに廊下を歩き出す。 遠くで、パタパタと、走り去るような足音が響いていた。

ともだちにシェアしよう!