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第70話 特定
秋の冷たい風が吹き抜けた。木々が、ざざざ、と音を立てる。月明かりがあたりを照らしていた。
幻想的な白い光が、クヴァールの姿を浮かび上がらせる。逆光となって顔はよく見えない。
足元には大きなトランクが三つ佇んでいた。
「来てくれると思ってたんだ。エルマは、きっと。僕のところに」
クヴァールはにっこりと笑う。
医務室で見ていたときと同じ笑みだが、本性を知ってしまったあとでは、薄ら寒いものを感じる。
逸る心臓を必死に抑えて、俺は笑顔を浮かべた。
「……ええ。色々迷ったんですけど。こっちの方がいいかなって」
「本当? よかった。僕を選んで正解だよ、エルマ。絶対幸せにしてあげるね」
クヴァールはぱっと顔を輝かせる。
俺はゆっくりと峠を登った。足が重いのは、山道だからではないだろう。
クヴァールと真正面から対峙する。もう手を伸ばせば届く距離まで近づいた。
さりげなくあたりに視線を配る。
馬車が一台、クヴァールの数メートル後方に待機している。茂みに身を潜めているのが数人。五、六……いや、十人近くいるかもしれない。
「エルマ、荷物は? それだけ?」
クヴァールは俺の姿を一瞥した。
近所に行くような小さなカバンに目を向けて、きょとんと首を傾げている。
「俺の持ち物なんて、ろくにこの国にありませんからね。着替えがあれば充分です」
「そっか。潔いね。僕なんか大量の荷物を運んじゃったけど」
「そんなにたくさん? 何が入ってるんですか?」
「いろいろ。身だしなみを整えたりね」
クヴァールは肩をすくめて笑った。
トランクが三つ。大きくて、俺ひとりでは全てを運べない。馬車にも荷物が積まれているようだ。中身を調べるだけでも時間がかかる。
……どれに”神の御許”が入っているのか、早く特定しなければ。
「いたっ」
「どうしたの、エルマ」
「……さっき、峠道を歩いてるときに切っちゃたみたいです」
俺はクヴァールに手を見せた。
三センチ程度の切り傷が左の手のひらに入っている。
「血が出てるね。思ったより深いかも」
「どうしよう……。汚したくないし。クヴァールさん、包帯とかありますか?」
「うん、ちょっと待ってて」
クヴァールは後ろの馬車に行き、荷物をがさごそと探る。
トランクには手をつけない。これらのうちのどれかを開けるかと思っていたのだけれど。
この手の傷はさっき自分でつけたものだ。
どれに”神の御許”が入っているのか、考える時間を稼ぐため。会話の糸口を探りたかったのだが。
「お待たせ、ちょっと怪我見せて」
クヴァールは馬車から大きな救急箱を取り出した。消毒をして、慣れた手つきで包帯を巻く。白い布にじわりと赤が滲んだ。
……もしかして。
「ありがとうございます。クヴァールさん」
「いいんだ。何でも言ってよ」
「そうですか、じゃあ」
クヴァールの手を、しっかりと掴んだ。
「その救急箱の中身、見せてもらえませんか」
ぎり、と強く握ると、クヴァールは息を呑んだ。
「……どうして、かな」
「俺、医療に興味があって。お医者さんが何を持ち歩いてるのか知りたいんです」
「今じゃなくてもいいよね。ヴァルトラに着いたら見せてあげる」
「今がいいんです」
かわそうとするクヴァールの手を、しっかりと掴む。
クヴァールは引きつった笑みを浮かべた。その表情には、いつもの余裕は感じられない。
「その箱、蹴り飛ばしたっていいんですよ」
低い声で囁くと、クヴァールは掴まれていた手を思いっきり引いた。
救急箱のふたを勢いよく閉じて、拾い上げる。
途端に、茂みに隠れていた人影が、わっと姿を現した。
「ギルバート! 救急箱だ!」
俺は大声で叫んだ。
馬車の上、数メートル上に伸びる木から、ギルバートが飛び降りる。スタ、と静かな着地だった。
その流れで、飛び出してきた十数人の人影を、舞うように打ちのめした。剣を急所に当て、気絶させる。
ばたばた、と、一瞬のうちに男たちが地に倒れる。男たちのうめき声すら聞こえないくらい鮮やかな手つきだった。
男たちはナイフや銃、棍棒などを持っていた。俺は襲われる寸前だったらしい。背筋に一筋冷や汗が垂れる。
ギルバートは救急箱を抱えるクヴァールに目を向けて、低い姿勢で斬りかかろうとする。
「来るな!」
クヴァールが叫ぶ。
近くにいる俺に手を伸ばし、ぐっと引き寄せる。
クヴァールは救急箱を左手に、右手に俺を抱えて、ギルバートに向かい合った。
俺の首筋にはナイフが添えられていた。金属の冷たい感触がする。一ミリでも動かせば、ぐさりと突き刺さってしまうだろう。
「……クヴァール、手を放せ」
ギルバートは鋭い視線で睨み付ける。
剣を構えて、いつでも切れるような姿勢だけれど。
クヴァールはそんなギルバートに、飄々とした笑顔を向ける。
「エルマがどうなってもいいの?」
むしろ楽しむような声で、クヴァールは俺の首筋に、ナイフを押し当てる。
ぴり、と皮膚が切れる感覚が、した。
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