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第71話 選択

ギルバートは剣を構えた姿勢でじっとクヴァールを睨み付ける。 クヴァールの腕の力は強かった。 俺の首筋にはナイフ、すぐ近くには救急箱がある。 おそらく、この中に”神の御許”が入っている。 ……暴れて落としたら、大爆発だ。 クヴァールほどの警戒心の強い人間なら、”神の御許”を輸送業者には預けない。 念のため上級司祭の私兵たちは輸送業者へ向かい、差し押さえた荷物を確認している。 ダリウスとカイルは残りの兵とともに研究所に突入し、ガサ入れしている最中だ。 俺とギルバートでクヴァールに対峙する計画だった。ギルバートは先にノイヤール峠で待機し、俺が囮となって”神の御許”の在処を探るという計画。 クヴァールが”神の御許”を”ガラス製の瓶”だと認識しているなら、クッション性のあるもので包み、自分の手元で管理する。 医者が救急箱を持っているのは不自然ではない。関所のチェックもサッと通れる。 ちらりと見えた救急箱には、普通では考えられないほどの量の包帯が入っていた。 おそらく、この包帯の下に”神の御許”が隠されている。 計画は順調だった。 俺が人質になるまでは。 クヴァールはギルバートを視界に収めながら、にっこりと笑った。 「ルフトシュタットくん、だっけ。エルマの相棒」 「……」 「きみがエルマに相棒以上の感情を抱いてるのは知ってるよ」 「だったらなんだ」 「剣を捨てて。遠くに投げるんだ」 ほら、と低い声で続ける。ナイフが俺の首筋にめり込む。 金属の尖った感覚がした。じわりと液体が伝う感覚がする。血だ。 ギルバートが目を見開く。 大丈夫だ、と伝えようとするも、腕の力が強くて、うめき声が零れてしまった。 ギルバートは手にしていた剣を、地面に放り投げた。 「これでいいか」 「あと三歩下がって」 「……早く解放しろ」 「それはエルマ次第かな」 クヴァールはふふっと笑って、俺に視線を落とした。 「残念だよ、エルマ。僕を裏切ったんだね」 「……裏切ってなんか」 「裏切ったよ。僕は信じてたのに。エルマが、僕のことを選んでくれるって」 腕の強さは緩まない。 俺はハッ、と鼻で笑った。 「選ぶ? ナイフ突きつけてくる野郎なんか選ぶわけないだろ」 峠の端から辛うじてトラオムの街を見下ろせた。街灯の光が朧気に浮かびあがる方向から、歓声かなにか、音が聞こえた。 ダリウスたちだろう。研究所の制圧はうまくいったのかもしれない。 「あんたの悪事はバレてんだ。俺たちに従ったほうがいいと思うぜ」 ちらりと見上げると、クヴァールの視線は無機質なほどに冷たかった。 「きみは僕より彼を選ぶんだね」 「ああ、そうだな。アイツは俺を人質にはとらない」 「可哀想に。表面的なことしか理解できないで」 ねえ、とクヴァールは低い声で囁いた。 耳元に聞こえる声が、蛇のように絡みつく。 「この国で報われない努力を続けていいの? 僕と一緒に来たら、うんと大切にしてあげるよ」 「行かない」 「美味しいもの食べて、面白い本を読んで。たくさん愛してあげるよ」 「あいにくだけど、興味ないね」 強気な瞳で見上げると、クヴァールは、はあ、とわざとらしくため息を吐いた。 「でも、数分後には。きみは僕を選んだ方がよかったって、泣くと思うよ」 首に突きつけられていたナイフが、少しずつ、押し込まれる。 薄皮が切れて傷が広がる。 本能的な恐怖に、体中の血の気が引いた。 「ルフトシュタットくん」 クヴァールははっきりとした声で告げた。 「”コレ”の中身は見当がついてるだろう」 「……ああ」 「”コレ”か、エルマか。選ぶんだ」 クヴァールは俺にナイフを突きつけながら、左手で救急箱を持ち上げる。 ギルバートの顔が歪んだ。 「どういうことだ」 「今から”コレ”を投げて渡すよ。割れたらどうなるか知ってるよね。うまくキャッチできたらきみにあげる」 「………」 「でも、きみがそれをキャッチした瞬間、僕はエルマの首を掻き切るよ」 息を呑んだ。 首元のナイフが存在感を増している。 ……嘘じゃない。こいつは、本気で俺を殺すつもりだ。 ギルバートは歯を食いしばり、肩で息をする。 遠目からでも、全身が怒りに震えているのが伝わってくる。 「エルマを選んだらどうなる」 「そのときは馬車で僕が逃げる。追いかけてきたら”コレ”を割るよ」 「お前も死ぬが、いいのか」 「いいよ。捕まるくらいなら道連れにする」 クヴァールはにこりと笑って宣言する。 研究所で騒ぎがあったことは把握しているだろう。だとしたら、コイツがこの国に残る理由なんかない。全力でヴァルトラに逃げるはずだ。 ……”割る”というのも、本気だ。 トラオム全域が吹き飛ぶと知っていても知らなくても、コイツなら”割る”という確信があった。 「選んで、ルフトシュタットくん。箱か、エルマか。きみはどっちを選ぶ?」 クヴァールの声がしんとした山に響いた。 冷たい風が、俺たちの間を吹き抜けていった。 ギルバートが俺に視線を向ける。 歯を強く食いしばっている。葛藤がありありと見える。 選ぶもなにも、選択肢など元からない。 単純な算数の問題。どちらを選べば犠牲者が少ないでしょうか。 ……簡単だ。 「ギルバート、箱を選べ」 クヴァールの手の中で、俺は叫んだ。 「俺のことは気にするな、大丈夫だ」 「エルマ、でも」 「いいから!」 ギルバートは瞳を揺るがせた。 クヴァールは俺を見て「へえ」と笑う。面白がるような表情だ。 「自分の命より国なんだ。この国はきみを救ってくれないのに?」 「いいさ。愛する人が生き延びるんならな」 「妬けちゃうな。そんな美談、せいぜい仲間内の可哀想な話で終わるのにさ」 くすくす、と耳元で笑う声が気持ち悪い。 虫が這うみたいに、鳥肌が立つ。 クヴァールは白々しい笑顔を俺に向けたあとで、ギルバートに向きなおった。 ギルバートは怒りを必死に抑えているのか、手が震えている。 けれど、はっきりした声で告げた。 「”箱”を渡せ」 クヴァールは目を細めて、にやっと笑った。 「きみは”箱”を選ぶんだね」 「早くしろ」 「わかった、わかった。じゃあ、あと二歩下がって」 ギルバートはクヴァールを睨み付けたまま、下がる。 かなりの距離ができた。急いで取り押さえるにしても、クヴァールが俺の首を切るほうが早い。 強い風が俺たちの間を通り抜けた。 枯れ葉が舞い、かさりと音が立つ。 居心地の悪い緊張が走った。 クヴァールは、ゆっくりと、救急箱をギルバートに投げた。 箱は高く放物線を描き、ギルバートのところへ飛んでいく。 思ったより遠く、高く、空を切り抜ける。 ギルバートが箱に向かって、大地を蹴る。 俺はその一瞬の姿を目に焼き付けた。 ギルバートなら”神の御許”を取り戻してくれる。 トラオムを、救ってくれるって、信じてる。 「残念だったね、エルマ。きみは選ばれなかったよ」 クヴァールの低い声が耳元で響いた。 首に突きつけられたナイフが、ぐっと押し込められる感覚がする。 瞬間。 俺は右手に意識を集中させた。 手のひらに魔素が集まり、熱く、バチバチと、音がする。 「ーーーー《ラグナ・イルミナ》」 雷鳴のような轟音が、響き渡った。

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