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第4話 一回、死んで

 音の無い世界で、たった一人、蹲っている。  ここがどこなのか、知らない。自分が誰なのか、知らない。  最初に声をかけてきた男が、何者でもない自分に名前を教えた。 「緋色とは、変わった色だ。禁忌術を使ったにしては期待外れだが、駒くらいにはなるだろう。お前の名前は螢緋だよ」  何者でもない自分は螢緋だと知った。 「お前は雲類鷲の駒だ。お前の飼い主はこの私、雲類鷲才貴だ。精々、私に尽くせ」  雲類鷲家の長男である才貴が飼い主。そう教えられた。  人の中に、人でない何かが混じった、異端の人間。自分のことは、そう認識していた。  才貴の言葉に従って、覚えて、鍛えた。命令通りに仕事をした。 「私の名前を言いそうになったら、自分から死ぬように。お前の命に、最初から価値などないのだから」  最初から価値はない。温かくも冷たくもない。無味な存在であるほど良い。そう思っていた。 (俺も温かい音がするんだ)  目を開けたら視界が歪んでいた。涙で顔まで濡れていた。 「ここは、どこだ」  やけに大きなベッドで寝ている。広い部屋には誰もいない。 「あぁ……そうか。俺は昨日、捕まったんだ」  では何故、生きているのか。頭の中の才貴が問い掛ける。 (俺が口を割る前から、宇緑は雲類鷲才貴の存在に気付いていた。飼い主がバレた)  本当なら死ぬべき自分は、まだ生きている。 (早く、死なないと)  周囲に道具を探す。自分のナイフは宇緑に没収された。  カタン、と襖が開く音がした。 「おはよう、螢緋」  螢緋の顔を見た宇緑が顔色を変えた。 「どうしたの? どこか痛い?」  宇緑が螢緋の体をペタペタと障った。 「悪い所、なさそうだけど。昨日、雑に扱い過ぎたかな」 「雑に……?」  雑にされた覚えはない。背負われて運ばれて、食事と風呂を与えられて、ベッドに投げ飛ばされたくらいだ。 「丁寧に投げられたから、痛みもなかった」  どうやったらあんなに丁寧に投げられるのか、疑問だ。  宇緑が、吹き出した。 「それは良かった。落ちた先はベッドだったからね」  宇緑の指が螢緋の目尻に溜まった涙を拭った。 「泣いていたから、何かあったのかと思ったんだよ」  螢緋は自分で自分の頬を拭った。 「本当だ。泣いたのなんか、何年振りだろう」  生理現象以外で流す涙は、久し振りだ。涙を拭って、螢緋は宇緑を見上げた。 「お前は、俺を殺さないのか?」 「まだ言うの? 螢緋はもう俺の側近だって、何回も言っているのに」 「でも、俺には飼い主がいて、名を知られそうになったら、死ねといわれている」  殺すはずだった宇緑の元で生きていると知れたら、どうなるのだろう。 「宇緑は飼い主の名を知っていた。だから俺は、死なないといけない……っ!」  視界が反転して、天井が見えた。気付いたら宇緑が馬乗りになって、螢緋の首に手をかけていた。触れる手に、熱い呪力が灯る。  宇緑の顔が歪んでいる。怒りなのか悲しみなのか。その感情を、螢緋はきっと知らない。 (なのに、どうして。胸が締め付けられて苦しい)  宇緑のこんな顔は見たくない。そう思う。 「昨日から、螢緋を殺す機会が何回あったと思う?」 「何回も。お前はいつでも、俺を殺せた」  いつ、どの場面でも、小鳥の首を手折るより容易く殺せた。 「俺の側近になるのは、嫌?」 「良いとか嫌とかの問題じゃない。ただ、命令がまだ残っている」 「死ねってやつか」  宇緑が、ぎりっと歯軋りした。 「だったら、俺が一度、螢緋を殺してあげるよ。生き返ったら、俺の螢緋になるって約束できる?」 「死ねば、飼い主の命令が終わる。けど、生き返るのは無理だ」 「無理かどうか、試してみようか」  宇緑の手が、首から胸に滑り降りた。 「何をするんだ……っぁ!」  胸の奥が掴まれたように苦しくなった。瞬間、視界が真っ暗になった。 (体が、動かない。何も見えない。どうなってるんだ。息もできない)  呼吸が止まっている。心臓の音もしない。なのに、苦しくもない。 (これが死か。怖いくらい、静かだ)  無音の暗闇に浮遊しているような感覚だ。不安定な揺れが心許なくて、怖くなる。何かに掴まりたいのに、何もない。体も動かない。 「……けいひ、螢緋。戻っておいで」  暗闇の彼方に光が見えた。伸びてきた手が螢緋を掴む。その手を、掴み返した。 「……っはぁ!」  突然、視界が明るくなった。肺に酸素が大量に入り込んで、螢緋は慌てて呼吸をした。 「はぁ、はぁ」  真っ暗だった時より、ずっと苦しい。上半身を起こして、螢緋は必死に息を吸った。 「これで螢緋は一回、死んだ」 「死んだ? 今のが?」 「心臓、止まったでしょ?」  螢緋は自分の胸に手をあてた。トクントクンと、鼓動が鳴っている。 「確かにさっきは、止まっていた」 「飼い主の言う通り、死んだんだ。生まれ変わった螢緋はもう、俺の側近になれるよね」  宇緑が期待に満ちた目を向ける。 (死んだなら、もう才貴と玲悧は飼い主じゃない)  才貴に飼われていた螢緋は死んだ。螢緋は顔を上げた。 「わかった。生き返らせた宇緑の側近になる」 「やっと名前、呼んだな」  宇緑が螢緋にデコピンした。案外、痛い。螢緋は額を摩った。 「これで螢緋は俺の螢緋だね」 「それでいい。命令をくれ」 「命令はあげない。俺は螢緋の飼い主じゃない」  宇緑の手が螢緋の頬を摘まんだ。 「じゃぁ、なんだ?」  よくわからなくて、首を傾げる。 「俺たちは仲間だ。同じ目的に向かって走る仲間。だから、命を懸けるなら皆で、だよ」  仲間という関係が上手く理解できなかった。 「よくわからないが、宇緑の命令なら、そうする」 「命令じゃないよ。これは……そうだな。お願い、とかかな」  宇緑が、螢緋の頬から手を離した。 「螢緋がしたいようにしていい」 「俺がしたいように?」  螢緋の顔が、どんどん俯く。 「よく、わからない」  したいようにしたことがないから、宇緑の言葉の意味が理解できない。 「大丈夫だよ。俺と一緒にいれば、すぐに我儘になれるって」 「わかった。そうする」  わからないので、螢緋は素直に頷いた。 「よしよし、可愛いな、螢緋」  やけに頭を撫でられた。どうして撫でられているのか、わからない。わからないから素直に撫でられていた。 「これで俺の、螢緋だよ」  宇緑が螢緋を愛おしそうに撫でる理由は、もっとわからなかった。

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