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第8話 ロムじいさん

 寸胴に作ってあったシチューを、宇緑が大きなタッパーに入れ始めた。 「螢緋、これを風呂敷で包んで紙袋に入れて」 「わかった」  シチューを入れた紙袋を持って家を出た。  途中、上京区の和菓子店・出町ふたばで塩豆大福を購入した。 「どこに行くんだ?」 「京都駅の東側」  宇緑に付いて歩いていた螢緋は、周囲を見回した。 「ここは、崇仁地区か。宇緑が来るのは、意外だ」  今でも差別が残る地域であり、穢れが溜まる場所だ。  呪いを扱う呪禁師や呪詛師であっても、穢れを嫌う術師は多い。 「ん? あぁ、螢緋を連れてくるの、初めてだっけ。ここには頼もしい知り合いがいるんだ」  宇緑が悪戯に笑んだ。  こういう顔をする時の宇緑は、とっておきを隠している。 「知り合いに会いに来たのか。だったら、意外じゃない」  顔が広い宇緑だ。色々な場所に知り合いや協力者がいる。  そんな螢緋を眺めて、宇緑が微笑んだ。 「螢緋の素直なトコ、好きよ。きっと螢緋も仲良くなれるよ」  簡素な家屋が立ち並ぶうちの一軒に、宇緑が入っていく。  玄関ではなく裏側に回った。鴨川に向かう狭い庭に、縁側が付き出す。  七十歳近いであろう老人が座って、爪を切っていた。  足に陰が落ち、老人が手を止めた。顔を上げた老人が、ギロリと宇緑を睨んだ。 「なんだ、疫病神が来おったか」  舌打ちをして、老人が顔を顰めた。 「相変わらず酷いなぁ。ロムじいさんが好きなシチューと塩豆大福、持ってきたんだよ」  宇緑に目配せされて、螢緋は紙袋を差し出した。 「ふん、馬鹿の一つ覚えが。たまには別のもんを持ってこい」  文句を言いながら、ロムじいさんが紙袋を受け取った。 「別の物を持ってくると、臍を曲げて受け取ってくれないだろ」  宇緑がずっとニコニコしている。ロムじいさんとの会話を楽しんでいるようだ。  早速、塩豆大福を食べ始めたロムじいさんが、螢緋を横目に睨んだ。 「随分と、変わった舎弟を受け入れたもんだな」  横目で見ている割に、全身を観察するかの如く、上から下まで舐めるような視線だ。 「そうだろ。お気に入りの子なんだ」  ロムじいさんの視線が、宇緑に向いた。  呆れているような、驚いているような、変な目だ。 「螢緋、挨拶して」  宇緑が螢緋の背中を押して促す。螢緋は一歩、前に出た。 「典薬寮の呪禁師、螢緋だ。よろしく」 「……呪禁師ねぇ。典薬寮の」  ロムじいさんが目を細めた。 「そう、典薬寮の、ね」  宇緑がニコニコと笑顔を崩さない。その笑顔に圧を感じる。 「ちなみにロムじいさんの本名は朗矛(ろうむ)だよ」 「ロウムだから、ロム?」  螢緋が首を傾げたら、宇緑が頷いた。 「(ろく)坊は何の用だ。土産を持って来るってことは、下心があるんだろうが」  塩豆大福を食べ終わった朗矛が、風呂敷を解いてタッパーを開けた。 「そうそう、下心、ありまくりなんだよ。最近、市内に出回ってる呪具ドラッグ、この辺にも来た?」  宇緑が縁側に腰掛けた。  口に運びかけたスプーンを、朗矛が止めた。 「その話しか。来たよ、変なのが。一も二もなく追い返したがな」  朗矛が、シチューを一匙、啜った。 「変なの?」  螢緋は首を傾げた。朗矛が螢緋を見上げた。  その目が不審な何かを帯びて見えた。 「穢れの強い術師、女みたいな恰好をした男がな」  ドクン、と心臓が揺れた。  朗矛の目がずっと螢緋を見上げている。 「儂らよりずっと濃い死の穢れを纏った術師、どこかアンタに気配が似ていたよ」  朗矛が螢緋を指さした。 「俺と、似た……」  思い当たる節がないわけではない。けれど、もう三年も昔の居場所だ。  宇緑の手が螢緋の体を引き寄せた。 「人間だった? 妖怪だった? それ以外?」  宇緑が朗矛に問い掛けた。 「人間だったよ。訪ねてきた女みたいな男は、な」  朗矛が螢緋を流し見て、シチューをひと啜りした。 「雲類鷲と関係ありそう?」  宇緑が続けて問い掛ける。螢緋は思わず宇緑を見上げた。 「ここには、あの家と繋がっている人間が多い。知っているだろ」  朗矛が面倒そうに吐き捨てた。  呪具には穢れを使う。  処刑場の管理や執行を行っていた崇仁地区の住人が雲類鷲家と繋がりがあるのは、道理だ。  だからこそ宇緑も、真っ先に崇仁地区に足を運んだのだろう。 (俺は、雲類鷲の繋がりを、何も知らない)  使い捨ての駒でしかなかった螢緋は、雲類鷲家の細かい繋がりや事情を知らない。 (何か知っていれば、もっと宇緑の役に立てるのに)  雲類鷲にいた頃の記憶は曖昧になりつつある。その前なんて、どこで何をしていたのかすら、思い出せない。 (俺は、何者なんだろう)  雲類鷲才貴に飼われる前の自分は、何をしていたのだろう。思い出そうとしても、頭が真っ白だ。  くらりと、軽く眩暈がした。傾いた体を宇緑の手が引き寄せた。 (あ……心臓の音)  胸に耳がピタリと付いて、宇緑の心臓の音が聞こえた。  螢緋の胸から、灰色のモヤモヤがすっと晴れた。 「その辺の事情は、把握しているよ。だからこそ、聞いてるんだ」  宇緑と螢緋を眺めて、朗矛が面倒そうに目を逸らした。 「あの家と関係あろうとなかろうと、自分たちに降りかかる火の粉は払う。儂らは、そういう人種だ。迎合はしないよ」 「知ってるよ。だから俺は、ロムじいさんがシチュー好きで塩豆大福好きだって、知っている訳だからね」  宇緑がニコニコと朗矛を眺める。 「そこがあの家と典薬寮の違いかね。奴らは、この場所を庭くらいに思っていんのさ。実際に大昔から、呪詛に使う穢れを集めに来ているがね」 「てことは、ロムじいさんとは違って、迎合しちゃった人もいるかもだね」  朗矛が横目に宇緑を眺めながら、シチューを皿に移した。 「崇仁地区は最初の火付け役。本命は伏見か東九条、そんな話だそうだよ」  そう言い置いて、朗矛が台所に消えていった。 「伏見が東九条か……なるほどね」  宇緑が頷いた。満足そうな顔をしているから、欲しい情報は得られたのだろう。  タッパーを洗った朗矛が紙袋に入れて宇緑に戻した。 「わざわざ洗ってくれて、ありがとね、ロムじいさん」  朗矛が、ギロリと宇緑を見上げた。 「人の中の穢れを増大させる」  朗矛の言葉に、宇緑が表情を止めた。 「穢れや陰の気の塊である邪魅(じゃみ)を増大させるドラッグだそうだ」 「……邪魅か。欲望が引き出されて、ストッパーがなくなるね」  宇緑の声が冷えて響いた。 (厄介なドラッグだ)  邪魅に塗れると、人は自分の中の欲望に狂う。  明らかに人為的な操作なのに、人が人らしく壊れるドラッグだ。見破るのが難しい。 「呪いも増大する」  朗矛が言い切った。その目が螢緋を一瞥した。 「足元を掬われんように、気を付けろよ、緑坊」  紙袋を受け取った宇緑の顔が強張った。だがすぐに、いつもの笑みに戻った。 「珍しく御忠告、ありがとう。勿論、想定内だよ」  宇緑の目がほんの少し憂いを帯びている理由も、言葉の意味も、螢緋にはわからなかった。

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