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第16話 雲類鷲才貴との対面
月明かりも届かない深夜二時。秋の夜なのに、虫の声も聞こえない。
宇緑と螢緋は伏見稲荷神社の千本鳥居にいた。
(何だろう。ここに来てからずっと、胸の奥がザワザワする)
不安が込み上げてくる直前のような違和感が消えない。
「螢緋、大丈夫?」
宇緑が螢緋の肩に手を掛けた。宇緑の熱が、ジワリと沁みる。
ザワザワした不安が、少しだけ鎮まった。
「大丈夫」
螢緋は宇緑を見上げて、頷いた。
胸の奥にほんの少し残ったザワザワは、見ない振りをした。
「随分と手懐けたものだね。感情のない呪具は扱いやすかったかな」
遠くの鳥居の下に、男が立っていた。螢緋の心臓がドクリと下がった。
一歩、また一歩と男が近付いてくる。
(雲類鷲才貴……宇緑を殺せと、俺に命じた、黒い呪禁師)
宇緑の前に立たなければ。身を呈してでも守らなければ。そう思うのに、体が動かない。
「はっ、はぁ……はぁ」
呼吸が乱れて速くなる。体が勝手に震え出した。
「螢緋、後ろに」
宇緑が半歩前に出た。
勝手に手が伸びて、気付けば宇緑にしがみ付いていた。
「後ろは、嫌だ。宇緑が見える所に、いたい」
宇緑と目を合わせられる場所にいたい。
螢緋の手が宇緑を引き寄せる。
(怯えているのか。あの男に? 俺はどうして、宇緑にしがみ付いているんだ)
混乱して、思考が纏まらない。
宇緑の手が、螢緋の肩を抱いた。乱れていた気の流れが、整ったように感じた。
「精神はひ弱になったようだ。連れ帰って鍛え直さないといけないかな」
雲類鷲が口端を上げた。久し振りに見る、下卑た笑みだ。
「しばらく見ないうちに、随分とペットらしくなったな、螢緋」
螢緋は宇緑の服を強く握った。宇緑の手が螢緋の肩を抱き寄せる。
「久し振りだね、雲類鷲さん。呪禁師協連の会合以来?」
雲類鷲の目が、宇緑に向いた。
「相変わらず、年上の敬い方も知らないらしい。敬語くらい使えないのか? 確か、二十五歳だったか。若くして典薬寮の寮頭になどなると、誰も常識を教えないのかな」
「雲類鷲さんの歳、知らないからね。術者としての格も肩書も、俺のほうが上なんだから、敬ってくれていいんだけどなぁ」
宇緑が余裕の笑みを見せた。雲類鷲の顔から笑みが消えた。
「私は三十二歳だ。この機によく覚えておけ」
「大事な話を聞きに来てあげただけでも、感謝してほしいなぁ。典薬寮の寮頭としてなら、無視してもいい誘いだったよ」
宇緑が雲類鷲の言葉を完全に流した。雲類鷲の顔が、見る間に険しくなった。
「だったら、話は早いさ。その呪具を返してもらおう。それは行方不明になっていた、うちの呪具だ」
雲類鷲の指が螢緋をさす。宇緑に抱かれた肩が、ビクリと跳ねた。
「行方不明、ね。螢緋は初見で俺を攻撃してきたけど。それも雲類鷲さんの指示ってことでいいのかな?」
「さぁ、知らないな。意志を持つ呪具が行方不明の間、どんな行動をとっているかまで、さすがの私も把握しきれないのでね」
雲類鷲が、鼻を鳴らした。
「宇緑……」
螢緋は宇緑を見上げた。小さく首を横に振る。
「大丈夫、わかっているよ」
宇緑が螢緋の耳元で囁いた。
「そっちも、持て余しているから連れてきたのだろう。さぁ、返してもらおうか」
雲類鷲が手を伸ばした。その手から逃げるように、螢緋は一歩下がった。
「持て余してなんか、いないよ。螢緋は最初から、うちの子だよ。渡す道理がない」
「では、どうして連れてきた。怯えているようだが、寮頭様は仲間をいびる趣味でもあるのかな」
宇緑が息を吐いた。
「雲類鷲さんと一緒にしないでほしいな。趣味とか真逆だと思うよ。俺もね、聞きたいことがあったから、螢緋を連れてきたんだ」
「聞きたいこと?」
雲類鷲が片眉を上げた。
「螢緋の中に何を隠した?」
宇緑が、真っ直ぐに問い掛けた。雲類鷲が表情を止めた。
「この三年、探し続けていたんだけどね。取り出せなくて、困っているんだよ。どうにかする方法、教えてくれない?」
何でもないことのように流れた宇緑の言葉は、螢緋にとって初耳だった。
(取り出す? 俺の中の何かは、取り出せるのか?)
人の中に、人でない何かが混ざっている。ずっと、そう感じていた。
その何かの正体を、宇緑は掴んでいるのだろうか。
終夜は正体までわからないと話していたのに。
「ふっ……」
雲類鷲が、小さく吹き出した。
「ふふっ、あはは。そうか。さすがの花山院宇緑でも、ソレはどうにもできないか」
呟いた雲類鷲が、顔を上げた。
「選択肢は二つだ。今すぐソレを俺に返すか。傍において顛末を見届けるか」
雲類鷲が指を折って見せ付ける。さっき以上に下卑た笑みだ。
宇緑が、表情を落とした。
「ふぅん。じゃ、後者にするよ」
螢緋の肩を抱いたまま、宇緑が後ろを振り返り歩き出した。
「は? 待て、後悔するぞ。ソレはお前が思う以上に……」
雲類鷲が言葉を詰まらせた。
立ち止まった宇緑が、雲類鷲を振り返った。
「俺が思う以上に何なのか、知らないけど。予測を超えてくるなんて、楽しみだね。いいよ、それでいこう」
「今の内に返さなければ、後悔するのはお前だ、宇緑!」
「俺の後悔はアンタが決めるもんじゃないだろ」
宇緑は歩き出した。
肩を抱かれた螢緋は、引き摺られるように一緒に歩いた。
「螢緋、忘れるな。お前の飼い主は今でも、この私だ」
ぞくり、と寒気が走るような呪いの声が聞こえた。
ほんの少し振り返って見えた雲類鷲の顔は、まるで鬼のように怒りに歪んでいた。
その視線は、宇緑の背中を刺し続けていた。
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