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第19話 呪毒師・楽々浦鈴音

 伏見の向島団地周辺は閑散としていた。  平日の昼間だから当然かもしれないが、それにしても人通りがない。 「売人の姿もすっかり消えているな」  遊馬が周囲を見回している。売人どころが、人がいない。 「遊馬、これ、何か変じゃないか?」  団地脇の道路にも、近くの公園にも人の気配がない。こんなこと、あるだろうか。 「さっきまでも人は少なかったけど、気配まで消えるなんて、まるで結界だ」  そう口走って、気が付いた。 (意図して張った結界に、いつの間にか誘導された?)  螢緋は遊馬の腕を掴んだ。 「とにかく、この場を離れよう。ここにいるのは、良くない気がする」  走り出そうとした螢緋の足が止まった。  振り向くと、遊馬が俯いて肩を揺らしている。 「遊馬!」  下から遊馬を覗き込む。顔色が悪い。  肌の色がどんどん紫に変色していく。 「けい、ひ……毒、だ。一人で、にげ……」 「嫌だ!」  倒れ込んできた遊馬の体を受け止める。  受け止めきれなくて、膝を折った遊馬と一緒に蹲った。 「遊馬、遊馬!」  脱力した大きな体が、螢緋に覆い被さった。 (呼吸が浅い。遊馬は毒って言った。なんで俺は平気なんだ。とにかく今は、遊馬を何とかしないと)  何の毒かもわからない。  解毒の方法も、螢緋は知らない。成す術がない。 「きゃははは! まずは一人、こーろした!」  子供のようなはしゃぎ声が響いた。螢緋は周囲を見回した。  目の前に、粧に似た男が立っていた。 (粧じゃない。女みたいな男って、ロムじいさんが言っていたヤツか)  似ているからと、粧が潜入捜査で姿を似せて変装していた。 「暗殺術の毒ってのはさぁ、気付かれないようにバラ撒くから、面白いんだよねぇ。どんなに屈強な術師も毒には勝てないもーん! きゃはは!」  スキップするように男が歩み寄る。  螢緋は遊馬の体を引き寄せた。 「動くなよ、クソガキ」  男が螢緋を睨んだ。 「お前が行方不明にならなきゃ、こんな手間なんかなかったのにさぁ。まぁ、呪具ドラッグ作るのもバラ撒くのも、ラリった馬鹿ども見物するのも楽しかったけどぉ。邪魅もいーっぱい回収できたしぃ」  男が口端を歪に上げた。 「行方、不明?」  螢緋は男の言葉を繰り返した。 「でもでもぉ、典薬寮に入り込んでいたのは、褒めてあげるぅ。花山院宇緑の懐に潜り込むとか、優秀じゃーん。さすが、僕が作った呪具だよねぇ」 「……は? お前が作った?」  男の言葉が、わからない。  男が顔を歪めて螢緋を睨んだ。足を振り上げて、思い切り遊馬を蹴り飛ばした。 「ぐっ……」  短い悲鳴を上げて、遊馬の体が吹っ飛んだ。 「遊馬!」  追いかけようとした螢緋は、動きを止めた。  男が倒れた遊馬の首に注射器の針先を押し当てた。 「さぁて、問題でぇす。この量の呪毒を注入したら、このお兄さんはどうなるでしょう。一、苦しいけど死ねない。二、もがき苦しんで死ぬ。三、即死。四、人でない呪物になる」  男が顎を上げて笑った。  ぞくりと、螢緋の背中に寒気が走った。その瞬間、昔の記憶が頭を過った。 『お前は僕が作った呪具、暗殺マシーンだよ』  目が覚めた瞬間に言われた言葉だ。あの時、目の前にいたのは雲類鷲才貴と、もう一人。 「呪毒師・楽々浦(ささうら)鈴音(りんね)」  螢緋を作った違法術師は、確かにそう名乗った。  鈴音が興奮したように目を見開いた。 「僕の名前、ちゃんと覚えてるじゃーん。御褒美に正解を教えてあげるね。正解はぁ、二と四でぇす。何故なら僕は、呪毒師だ・か・ら」  鈴音が注射器を持つ手をわずかに動かした。瞬間、螢緋は狐火を放った。  鈴音の手元の注射器が割れる。赤い炎に包まれ塵になった。 「うわぁ……僕の傑作、解毒しやがった。萎えるんですけど。そういうの、求めめてねぇから」  さっきまでとは別人のように声のトーンが下がる。  じっとりとした目で、鈴音が螢緋を睨んだ。 「遊馬を返せ」  螢緋は狐火を目の前に掲げた。 「だからぁ、そういうの、いらないって。どうせ、お兄さんの全身を解毒できる力なんか、今のお前にはないよ。お前は僕と交渉するしかないの」  鈴音が遊馬を蹴り飛ばした。 「交渉って、何を」  螢緋は慌てて狐火を消した。  鈴音の目がニタリと笑んだ。可愛いポーチから、透明な液体を取り出した。 「お前が僕と一緒に来るなら、このお兄さんに解毒剤を飲ませてあげる」 「そんな言葉、信じられない」  螢緋に言葉に、鈴音が更に顎を上げた。 「きゃはは! 馬鹿の常套句、出た。きゃははは!」  鈴音が、さも可笑しそうに笑い転げる。 「毒を取引で使うならさぁ、解毒剤は必須だよぉ。そこは誠実でないと、取引って成立しないじゃん。誠実とか笑っちゃうけどぉ。きゃはは!」  螢緋はいつでも狐火を出せるように手に気を満たした。  目の前で笑う男の言葉の、どこを信用しろというのか。 「それにさぁ、このお兄さんには生きて典薬寮に戻ってほしいんだよねぇ。花山院宇緑を連れてきてもらわなきゃだしぃ」 「宇緑を、どうして」  鈴音が、倒れている遊馬の頭を踏みつけた。  螢緋の肩が、ビクリと揺れた。 「殺すためだよ。お前が花山院宇緑を殺すの」 「……は?」  鈴音が遊馬の頭を何度も踏みつけた。 「ほら、どうすんの? 僕と来るの? 来ないの? このお兄さん、死んじゃうよぉ。僕はどっちでもいいけどさぁ」  鈴音が容赦なく遊馬の頭を踏みつけ、蹴り上げる。  浅く息をする遊馬は、ビクリとも動かない。螢緋の気持ちが焦る。 「わかった、行く。行くから、やめろ。早く遊馬に解毒剤を飲ませろ!」  前に出た螢緋を眺めて、鈴音が動きを止めた。 「よくできました。いい子。仲間を思うって、素敵だねぇ」  鈴音が手を伸ばす。指先から縄が伸びて、螢緋の腕を掴まえた。 「僕が作った暗殺マシーンは、もっと傑作なんだ。お前を傑作に戻してあげるよ」  鈴音が、うっとりと螢緋を見詰めた。  もう片方の手から、解毒剤を遊馬に向かって投げた。解毒剤の小瓶が、遊馬の足元に転がった。 「自分で飲めたら、死なずに済むよ。頑張ってね。飲めれば、だけど。きゃはは!」  遊馬の耳元で、鈴音が大声で笑った。  螢緋に繋がる紐を引いて、歩き出した。 「待て、せめて飲ませてから……」  首を強く引っ張られて、言葉が詰まった。 「いつの間に……首輪?」  腕に掛かっていたはずの紐が、いつの間にか首に巻かれた首輪に繋がっていた。 「ここは僕の結界の中、幻想空間。最初からお前らに勝ち目なんか、なかったんだよ」  鈴音が螢緋に向き合った。ハメた首輪をうっとりと眺めた。 「やっぱりいいなぁ、首輪。最初から、こうしておけばよかった。お前は僕のペットなんだから」  ぐん、と強く引かれて、体が前のめりになった。 「典薬寮はどうせ皆殺しだからさぁ。死ぬのが早いか遅いか、それだけでしょ。生きていたら伝書鳩くらいにはなってよね。きゃはは!」  縄を引いて、鈴音が歩き出した。引き摺られて螢緋も歩き出す。  後ろを何度も振り返る。遊馬が、目を開けた。 「あす……」  螢緋は咄嗟に言葉を飲み込んだ。  遊馬が目で何かを訴えているように感じたからだ。 「螢緋……必ず、助けに行く」  遊馬の口が、そう動いたように見えた。  螢緋は唇を噛んで、ほんの少しだけ頷いた。

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