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第21話 二重の罠

 螢緋の額を、鈴音の指が弾いた。  途端に、ぼんやりしていた意識がはっきりした。 「……なんだ? 一体、何が」  この部屋に入ってからの記憶がない。螢緋は目の前に立つ鈴音を見上げた。  鈴音が嘲るような笑みで螢緋を見下ろしていた。 「お前はいつか、自分で宇緑を殺すよ」 「そんな真似はしない。俺は、お前たちと一緒にいた頃の俺じゃない」  鈴音の口端に笑みが上った。 「お前は宇緑を殺すために僕が作った呪具だ。お前の中にいるものが、いずれ宇緑を殺すんだ」  鈴音が螢緋の胸を指さした。 「俺の中にいる者とは、何だ。俺は何と生きている?」 「全然、気付いてないんだぁ。可哀想にねぇ」  鈴音がカラカラと笑った。 「お前はねぇ、元はお稲荷さんの神使だった狐の神様なんだよ。御霊を穢したから、今は神力がカスカス。呪力に頼って生きるしかないポンコツ。その人間の身体も、反魂術で生き返らせただけの人形だしねぇ」  突然、自分のことを聞かされて、螢緋は息を飲んだ。 「俺が、神使の狐神……?」  そんな記憶、螢緋の中にはない。 (いや、本当にないのか。もう何度も、俺は何かを思い出しそうになっている)  小さな子供だった宇緑や、その頃の自分。あれは昔の記憶だったのではないか。 (どうしてこんなに、実感がないのだろう。俺の中の狐神が、目を覚ましていないから?)  俯く螢緋の額に、鈴音が指をあてた。 「何者だって同じだよ。お前は飼い主の命令に逆らえない」 「お前たちはもう、飼い主じゃない」  螢緋は鈴音の指を手で払った。  堪えられないと言った具合に、鈴音が吹き出した。 「宇緑を殺しても、お前は後悔しないだろうから、心配ないよね」 「俺は宇緑を殺さない」 「ふぅん。あ、そう。祟り神の力が暴走しても、同じことが言えるのかなぁ」 「祟り神の?」  鈴音がわざとらしく螢緋を流し見た。 「螢緋には封印がかかっていたようだけど。それって誰がかけたの?」 「封印? そんなの、知らない」 「えー? 知らないんだぁ。仲間なのに、教えないんだねぇ」  わざとらしく、鈴音が驚いた顔をした。 「宇緑が封印を施したと、言いたいのか?」 「他に誰がいるのさぁ。それってつまり、螢緋の中に何がいるか知っていて、あえて封じていたってことでしょー。しかも本人に内緒とか。仲間なのに、どうしてだろうねぇ」  クスクスと鈴音が笑う。  チクリと、胸の奥が痛んだ。 (宇緑は、気が付いていたのかな。俺の中の何かが狐神だと)  気付いていて、黙っていた。その可能性を否定できない。 (だけど、どうして封印なんか。危険なんだろうか。祟り神なんて、どうして)  与えられた情報量が多すぎて、自分の中で整理できない。  鈴音が螢緋を眺めてニヤリと笑んだ。 「でもぉ、その封印、綻んでるよ。最近、何か思い出したりしているんじゃないの?」 「綻んで……?」  思い当たる節なら、ある。知らないはずの記憶が見える瞬間がある。  螢緋の表情を眺めて、鈴音が確信的に目を細めた。 「宇緑も結局、僕らと同じかぁ。螢緋の飼い主になりたいだけなんだ」 「違う! 宇緑は、そういうのじゃない」  否定したものの、胸の奥に刺さった棘が疼いた。 (同じじゃない。でも……俺に内緒にしているのは、どうして?)  じりじりと、棘が胸を焼く。 「まぁ、良いけどさ。螢緋が幸せにしたい相手を飼い主に選んだら?」  ドクン、と心臓が揺れた。頭が、ぼんやりしてくる。 「幸せ……?」  視界が、ぐらりと揺れた。 (幸せに、したい。宇緑をもっと……苦しくしてあげたい)  ふわりと浮かんだ思いが、胸の痛みを取ってくれた。 「幸せに、苦しく……」 「そうだよ、それでいいよ。でも今は、忘れようね」  指を弾く音が聞こえて、ぼやけた意識がはっきりした。 「あれ……」  鈴音が呪具ドラッグを取り出した。螢緋に向かって突き出した。 「螢緋に選択肢をあげるよ。生きて宇緑を呪うか、自分が死ぬか」 「どういう、意味だ」  鈴音の目が笑みに歪んだ。 「螢緋の中に、宇緑に向けた死の呪詛を埋め込んだの。発動すれば、螢緋の意志に関係なく、螢緋は宇緑を殺すんだよ」  螢緋は息を飲んだ。 「回避するには、自分が死ぬしかないんだよねぇ。この呪具ドラッグは螢緋にとって、解毒剤の無い毒だ」  螢緋は呪具ドラッグを見詰めた。 (あれを飲んだら、俺は死ねる。宇緑を殺さなくて済む) 「使うか使わないかは、螢緋次第だよ。僕は、あげるだけぇ」  螢緋は、ゆっくりと呪具ドラッグに手を伸ばした。 「どんなに嫌がろうと、螢緋は僕のペットなわけだから。帰りたいなら典薬寮に返してあげるよ。そのほうが僕にとって都合がいいからね」  訝しい気持ちで鈴音を見詰める。鈴音がげんなりした顔をした。 「理解が悪いな。放っておいてもお前は宇緑を殺すから、帰りたいなら帰れって言ってんの」 「じゃぁ、どうして俺をここに連れてきた」 「そんなの、決まってる。誰が飼い主かを、螢緋の中に刻み込むためだよ」  鈴音が、ニタリと笑んだ。  胸の奥が、じわりと熱くなった。その感覚を不思議に思った。 (ここで帰るべきか? 鈴音を捕えるべきか)  逮捕するにも、一人では策もない。  鈴音が螢緋の肩に手をかけた。 「コントロール良好だから、しっかり発動させてみよっかなぁ」 「発動? なんのこと……」  鈴音が螢緋の耳元に口を寄せた。 「宇緑を幸せにするために、典薬寮に帰りなよ」  耳の中に、鈴音の声が沁みた。胸が震えて、幸せな気持ちが溢れてきた。 「幸せに……そうだ、帰らなきゃ」  螢緋は立ち上がった。 「帰って、宇緑を幸せにするために……殺さなきゃ」 「たっぷり苦しくしてあげて」  鈴音が螢緋の背中を押した。 「痛くて苦しいのが、何より幸せだ」  うっとりした気持ちになって、螢緋は幸せな一歩を踏み出した。

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