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第25話 あの頃の記憶

 宇緑の部屋の前でソワソワしていたら、桂伽に部屋の中に押し込まれて、ドアを締められた。  無情にも沈黙したドアを呆然と眺める。  螢緋は恐る恐るベッドに目を向けた。  いつも一緒に寝ているベッドに、宇緑が一人で寝ていた。  螢緋は少しずつベッドに近付いた。宇緑の顔を覗き込む。普段よりずっと白い。 (いっぱい血を流したから)  気が弱って、流れが底流している。固く閉じた目は、開く気配がない。 (こんな宇緑、見たことない)  そこはかとない不安が胸に広がった。  螢緋はもそもそと布団の中に手を入れて、宇緑の手を握った。指の先が冷たい。  宇緑の指先を両手で包み込んだ。 (せめて、こうして手を握っていよう)  本当は螢緋にこんなことをする資格はないのかもしれないけれど。 「宇緑、ごめん」  頬に、自分の頬を重ねた。やっぱり冷たい。 「起きるまで、手を握っているから。宇緑の血、早く増えろ」  宇緑の手をきゅっと握って、その顔を見詰めた。 「お詫びになるか、わからないけど」  戸惑いながら、宇緑の頬に唇を寄せる。冷えた頬に口付けた。 「あ、あとは手を、繋いでいるから」  どうか、傍にいさせてほしい。声に出しては言えなかった。 〇●〇●〇  夕焼けが眩しい。いつもの社の、いつもの日常だ。  退屈だと思うのは贅沢なんだろう。神様が退屈な世は、平和だ。  秋の夕暮れ時。今日は秋祭りだから、夕暮れ時でも人出が多い。  子供が迷子にならないように、狐火を飛ばした。緋色の狐火は珍しい。逢魔ヶ時の足下を照らす灯になればいい。  どれだけ人通りが多くても、通り過ぎていく人々と目が合わないのは、当然なのに。 (あの子供、やけにこっちを見ているな。気のせいだろうか)  ランドセルを背負った小学生と目が合っている気がする。  螢緋は片手をあげると、ふわりと狐火を浮かせた。 「もうすぐ暗くなる。早くお帰り」  少年に向かって狐火を飛ばした。  飛んできた狐火を、少年が嬉しそうに見詰めた。 (やっぱり、見えているのか)  よく感じれば、強い霊力だ。  呪力も感じ取れるから呪禁師の家系なのだろう。 (将来が楽しみな子だ。成長したら、また会う機会もあるかな)  そんなことを、ぼんやりと考えていた。  会う機会はすぐにやってきた。少年はあれから毎日、やってきた。 (神がそうそう、会うわけにもいくまい)  そう思って隠れていた時期もあったが、こう毎日のように会いに来られると、気になるものだ。  少年が中学生になった頃には、世間話をする仲になっていた。 「そういえば、制服が変わったな。高校生になったのか?」 「いつの話、してるの? 俺もう二年生だし。どれだけ会っていると思うの」  呆れた顔をされた。そうは言われても、人と神では感じる時の流れの速さが違う。 「そうだったか。似合っているよ」  この辺りでは見ない制服だが、中々に男前だ。背も伸びたし端正な顔をしている。 「君は、女子にモテそうだね」  少し、俗っぽい話を振ってみた。あまり慣れないが、恋の話なら神でもできる。 「あんまり興味ないな」  思ったより素気ない返事が返ってきた。 「そうなのか、意外だね」 「貴方が良い」 「ん? 何が?」 「俺は螢緋が好きだよ。緋色の狐火も、貴方自身も綺麗だ。俺のお嫁さんになってよ」  冗談だろうか。慣れない俗世の話など、振るんじゃなかった。 「いや……俺は男だから、お嫁さんにはなれないよ」 「性別なんか、どうでもいい。螢緋をお嫁さんにしたいな」  笑って流すべきなのか。それにしては宇緑の目が本気だ。 「性別どころか、神を娶ろうとは変り者の発想だ。俺はこれでも狐神だ。守りもすれば祟りもする神だよ」 「知ってるよ。俺だって、宗像神の加護を頂けるくらいには、神に縁がある人間だよ」 「そういえば、道主貴様の加護を頂いているのだったね」  この地に長く根付く花山院の血筋を継ぐ御曹司だったと思い出した。  花山稲荷大明神の神使である螢緋にも縁が深い家柄だ。 「あ、じゃぁさ」  宇緑が、ぽんと手を打った。 「俺が最年少で典薬寮の寮頭になったら、お嫁さんに来てよ」  困った心持で、螢緋は考え込んだ。 (典薬寮の寮頭か。人の齢だと四十くらいで上がるのだったか。その頃には嫁をもらって落ち着いていような)  螢緋は、うんうんと頷いた。 「そうまでいうなら仕方ない」 「え! 約束してくれる?」  宇緑が嬉々として前のめりになった。 「実現できたらな」  螢緋は宇緑の頭を撫でた。宇緑が、ぷっくりと頬を膨らませた。 「絶対にやり遂げるよ。自信があるんだ」  宇緑が自信満々の笑みを浮かべた。その顔を、冗談半分に受け止めた。  大学に上がった宇緑は、社に来る頻度が減った。自分に興味を失くして、人の世に馴染んだのだろうと思った。  また久し振りに、退屈な日々が戻ってきた。  誰とも目が合わない日々に戻りつつあった頃。知らない男がやってきた。 「初めまして、狐神様。花山院宇緑君を陥れるための、呪具になってください」  それが界隈で噂になっていた神狩りだと気付いた時には、何もわからなくなっていた。 〇●〇●〇 「……けいひ、螢緋」  耳元で声が聞こえる。懐かしい声だ。 「宇緑……約束を」  約束通り、最年少で典薬寮の寮頭となった宇緑を褒めなくては。 (俺は冗談のつもりだったのに、宇緑はやり遂げた。あの約束……本気だったのか?)  もう一度、気持ちを聞きたい。  唇に、ふわりと熱を感じた。 「次は起きている時に、ね」  柔らかくて、温かい。宇緑の隣は、心地良い。 (だから、どうかずっと傍に)  言いたいのに、声が出ない。微睡みが、螢緋の意識を絡めとる。  温もりに包まれて、螢緋の意識はまた深い眠りに落ちていった。

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