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第7話 無駄話
【ラビヲ】を持ってきてくれた日から、先生はちょこちょこ何かをくれるようになった。
フルーツがいっぱい入ったカップのゼリーだったり、ちょっと前に流行っていた【味のしない?飴】、和菓子屋さんのフワフワのどら焼き。
オレが「欲しいなぁ」って呟いた色鉛筆。
今日なんて、先生がどこかのケーキ屋さんのカップケーキを差し入れしてくれた。
茶色の紙袋から取り出した包み紙がカサカサっと音を立てて、病室に漂う消毒液の匂いに、ほのかにバターの甘い香りが混じる。
カップケーキを手に持つと、ほんのりまだ温かくて、外の世界がこの病室にやってきたみたいだった。
先生は「健診だ」と言いながら、毎回こんな風に何かを持ってきてくれる。
カルテを片手に、ぶっきら棒な顔で渡してくるけど、耳がちょっとだけ赤いのをオレは見逃さない。
多分、先生なりの気遣いなんだと思う。
ここに来て三ヶ月以上経つけど、オレは一度もこの部屋から出たことがないから……
まだ自力で歩行することはできるけど、すぐに疲れて座っていることもできなくなっちゃう。
車椅子で移動すればいいんだろうけど、ひとりで車椅子に乗って移動するのはちょっと怖い。
ちょっとした段差で倒れそうになったし、身動き取れなくなったら迷惑をかけちゃうから……
それに、ここ以外行く場所なんてオレにはない。
先生が持って来てくれる小さな贈り物が、まるで外の世界を連れてきてくれるから、それ以外は望まない。
だって、先生がオレのために選んでくれたってだけで、めちゃくちゃ嬉しい。
「オレね、一度も普通の恋愛ってしたことないんだよね」
日課の血液検査を受けながら、注射のチクッとした痛みを誤魔化すために、つい自分のことを喋り続ける。
「ほら、Ωだと発情期とかで面倒なことあるでしょ?実はオレ、最初はβだって診断されてたんだよね」
毎日こうやって血を抜かれてるのに、注射の針の冷たい感触が未だに慣れなくて、喋ってないとマジで気を失いそうになる。
今日は、先生にちょっとだけオレのことを知って欲しくて、独り言のように話し始める。
「でも、高校に入ってからその診断が間違いだって判明したんだよね。オレ、ずっとβだって思ってたのに、本当はΩだったんだ。それから、友だちはみーんなネットの中だけになっちゃった」
一瞬、先生の注射を持つ手がピクリと止まる。
まぁ、当然だよね。
こんな話、急にされたら誰だって驚くよね。
それでも、オレは話し続ける。
まだβだと思っていた頃に、ちょっとだけ片想いをしていた同級生のことや、絵を描き始めたときのこと。
先生にはただの患者の昔話でしかない、どうでもいい話。
でも、先生はやっぱり先生だ。
いつもみたいにテープを丁寧に貼ってくれて、カルテにサラサラと何かをメモしている。
けど、今日はなんだか静かだ。
いつもだったら、『無駄なおしゃべりはやめろ』って言ってくるのに、今日はオレなんかの面白くもない話をじっと聞いくれている。
「憧れてはいたんだよ?デートしたり、手を繋いで歩いたり、コンビニのアイス食べながらくだらない話で笑い合ったりさ……そういう普通の恋愛」
話しをしていてつい感傷的になってしまう。
「一度でいいからみたかったなぁ~。ネットの友だちと恋愛映画の感想を言い合いながらめっちゃ憧れたんだよね。オレも健全な男子だったからさ~。好きな人とのキスとか、抱きしめたりとか、ドキドキしたり……とか。そんなの、オレには夢でしかない話だけど……」
止血のテープをそっと指で押さえながら、笑って誤魔化す。
こんな話をしても、先生を困らせるだけだってわかってるのに……
でも、今日の先生はいつもとちょっとだけ違った。
先生はカルテをじっと見つめたまま、なんか考え事してるみたいだった。
やっぱりしゃべり過ぎちゃった?
オレの子どもっぽい憧れ話なんて聞いても面白くもないもんね……
これ以上は黙ってればいいのに、沈黙が怖くてついベラベラと喋ってしまう。
「でもさ、オレみたいな奴に恋愛なんて無理なの、ちゃんとわかってるよ?ただ、憧れってあるじゃん。【運命の番】とか、ドラマや漫画とかの作り話ではよく聞くけど、ロマンチックだけど現実味ないじゃん?だから、普通の恋愛って……ホント、どんな感じなんだろ?やっぱり、しあわせな気持ちになれるのかな?」
ため息と一緒に声が抜ける。
【運命の番】なんてロマンチックな関係、望んだことはない。
望んでも、オレには関係のない話だって分かっているから……
望んだって、フェロモン崩壊症の身体じゃ叶わない夢だってわかってる。
だったら、普通の恋愛でいいから、一度だけでもしてみたかったなぁ~
好きな人に『好き』って、ただ素直に言えたらよかったのに……
先生は、何も言わなかった。
病室には、点滴のポタポタという音だけが静かに響いている。
ふと視線を向けると、先生はカルテを閉じたまま黙っていた。
いつもだったら『無駄なおしゃべりはやめろ』とか、『採血中はじっとしていろ』とか、何かしら言ってくるのに……
でも、今日は違った。
先生は、少しだけ眉を寄せて、何かを考え込むように俯いていた。
その横顔は、いつも通り無表情なはずなのに、なぜか苦しそうに見えた。
オレ……変なこと言っちゃったかな。
やっぱり、オレなんかが恋愛の話をするなんて、重かったかな?
先生のこと、困らせちゃったなぁ……
そう思った途端、急に恥ずかしくなった。
だって今の話って、ほとんどオレの願望垂れ流しじゃん!
「な、な~んてね。今の話全部なしなし!子どもっぽい夢だってわかってるから忘れてよ、先生!」
沈黙に耐えられなくて、両手をグググっと天井に上げて誤魔化す。
こんな話をして、面倒なヤツって思われたくないから……
だけど……
先生はすぐには視線を逸らさなかった。
ダークグレーの瞳が、まっすぐオレを見つめている。
何かを決意するみたいに……
何かを耐えているみたいな、まっすぐな瞳。
そして——
「なら、やってみるか?俺と……」
先生の言葉に、オレは心臓が止まりそうになった。
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