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第10話 検体

「葵くん……それが恋だよ。相手のことを想えば想うほど、恋とは不安になるモノなのだよ」  美咲さんはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべ、どこかおちょくったような口調で言ってくる。  白い看護師服のまま、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした美咲さんは、まるで自分の部屋みたいにくつろぎ始める。 「お姉さんがお子ちゃまな葵くんに色々とアドバイスしてしんぜよう」  フフーンと鼻を鳴らして言う美咲さんに向かって、口を尖らせながらジト目で文句を言う。 「……美咲さん、揶揄ってるでしょ?」    オレは真剣に悩んでいるのに、美咲さんといったらニコニコと無邪気な笑顔を浮かべ楽しんでいるようだった。  まるで拗ねた子どもなオレの態度がかわいいとでも言うように、くすくすと笑いを嚙み殺しているのが見え見えだ。  それでも、文句ばかり言ってるオレを美咲さんはまっすぐな目で見つめてくる。  その瞳には、慈愛に満ちた優しい色が宿っていた。 「そんなことないよ~。ん~、ここはやっぱり、ちゃんとデートしておいでよ!」  パンッと胸の前で手を打ち合わせ、まるで何かを決意したみたいに力強く言い切る美咲さん。  彼女のその勢いに、思わず苦笑いが漏れる。 「ちゃんとしたデートって言ってもさ~。美咲さん、オレがこの病棟から出ちゃダメなの、知ってるでしょ?」  ちょっと拗ねた口調で、唇を尖らせて文句を口にする。  テーブルの上に置かれたラビヲを指先でちょいちょいと弄りながら、視線を落とす。  オレの腕に繋がっている透明の点滴のチューブ。  普段からできるだけ気にしないようにしているけど、腕に刺さる小さな違和感がオレを現実に引き戻してくる。  だって、オレはフェロモン崩壊症の症例患者としてここに入院している。  十日に一度は詳しい検査があって、その時間だけは嫌でも思い知らされるんだ。  佐藤先生以外のスタッフたちは、オレの身体の状態を事細かく記録していく。  それ自体は必要なことだってわかっている。  わかってるけど……  静かな病室に響くペンを走らせる音を聞いていると、自分が患者じゃなくて【データ】になったみたいで、少しだけ怖くなる。  時々、自分が【患者】なのか、【検体】なのか……わからなくなる。  先生も、美咲さんも……いつも、普通に接してくれているから、つい忘れそうになっちゃうんだ。  オレがここいる理由を……  それに、オレ自身、こんな身体で外に出る勇気なんてない。  外の世界で、普通の恋人がするデートなんて、夢のまた夢でしかない。  そりゃ、憧れはするよ?  先生と街にデートに行きたい。  いつも買ってきてくれるケーキ屋さんでお茶をして、先生おすすめのケーキを食べたい。  映画館に行って、流行りの映画を見ながら先生の肩にそっと寄りかかりたい。  雰囲気が良かったら、映画のエンドロールが流れる暗闇の中で、先生がそっとキスしてくれるかも……  でも、そんなデート、考えただけで眩し過ぎて目がくらんでしまう。   「だから、ここの病棟から出なきゃいいんでしょ?」  美咲さんは何かを閃いたみたいに目を輝かせた。 「うんうん、それなら大丈夫!」  美咲さんはひとりでうんうんと頷きながら、ニッコリ笑う。  その笑顔が、まるで太陽みたいに眩しくて、つい目を細めてしまう。   「葵くんは、佐藤先生からのお誘いを心待ちにしていなさい!  美咲さんはなぜか自信満々だった。 「絶対楽しいデートになるから♪」  満面の笑みを浮かべ、サムズアップで言い切っている。  彼女のその自信たっぷりな態度に、つい笑みが零れた。  美咲さんって、ほんと不思議な人だ。  どんな時でも、こうやってオレを元気づけてくれる。  まるでオレの暗い気持ちを全部見透かして、わざと明るく振舞ってくれてるみたい。 「ん、わかった。美咲さんの言葉を信じて、待ってみるよ」    いつものスケッチブックを開き、デフォルメされた小さな美咲さんの絵を描き始める。  ニッコリ笑顔の美咲さん。  闘志満載のボクシングポーズを取る美咲さん。  今日の太陽みたいな、キラキラした美咲さん。  色鉛筆でオレンジやピンクを重ねていくと、ページが一気に華やかになる。  美咲さんのイメージカラーって、ほんと彼女にぴったりだ。   「ふふっ、葵くんには私がこんな風に見えてるんだ~。可愛く描いてもらえて、お姉さんは嬉しいぞ~♪」  美咲さんがよしよしと頭を撫でてくれる。  その手は温かくて、なんだか本当のお姉ちゃんみたいで、内心くすぐったい気持ちになる。  頭を撫でてもらっていて、ふと思い出す。  この色鉛筆、前に美咲さんが旦那さんとデートしてる途中に買ってきてくれたものだ。 「美咲さん、いつもありがとう。この前買ってきてくれた色鉛筆も、絶対大事にするから」  描き上がったばかりのちびキャラを、丁寧に色鉛筆で塗っていく。  オレンジの髪に、ピンクのアクセント。  スケッチブックのページが、まるで美咲さんの明るさを閉じ込めたみたいに鮮やかに彩られる。   「海の絵も完成したら、絶対美咲さんに見せるから、楽しみにしててよ!」  美咲さんは一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに優しい笑顔に戻った。  美咲さんの目が、ほんの一瞬、どこか遠くを見ているような影を帯びた気がした。 「うん、待ってる。じゃあ、約束ね。私、楽しみにしてるから!」  美咲さんはニッコリと笑った。  いつもと変わらない、明るい笑顔だった。  だけど、その瞳の奥にはほんの少しだけ、別の感情が揺れた気がした。  心配?  それとも、不安?  ほんの一瞬だけ見えたその表情は、すぐにいつもの笑顔に隠れてしまう。 「でもさ、くれぐれも無理しないでよ?」  さっきまでの軽い調子とは少し違う声だった。 「葵くんの身体、ちょっと心配だから……」  その言葉に、胸がチクッと痛む。    美咲さんはいつもこうやって、さりげなくオレのことを気にかけてくれる。  看護師だからってだけじゃない。  多分、友だちとして……  フェロモン崩壊症のせいで、オレがいつか動けなくなるかもしれないってわかってるのに、それでもこうやって笑顔でいてくれる。  美咲さんのその優しさが、オレにとって本当に、ほんとにありがたい。 「うん、わかった。無理しないよ。美咲さんも、いつもありがとう」  スケッチブックに目を落としながら、小さく呟く。    美咲さんの絵の隣に、そっと先生のちびキャラも描き足した。  白衣を着た先生が、優しく笑ってる。  その隣には、今より少し元気になったオレ。  そんな絵を描ける未来が、いつかきたらいいなぁ……

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